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日蓮大聖人・池田大作

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「広布第2幕」の新春を祝す(下) 猛然と獅子奮迅の力を出せ

2008.1.10 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1   今年こそ
    師子奮迅の
      師子となれ
 それは、十五年前(一九九三年)の一月のことである。
 私は、ロサンゼルス近郊にあったアメリカ創価大学で、世界史に輝く「公民権運動の母」ローザ・パークスさんをお迎えした。
 ちょうど、パークスさんの八十歳の誕生日の直前であったので、妻が用意した心づくしのバースデーケーキで祝福させていただいた。
 歴史を変えた、偉大な"人権のお母さん"は言われた。
 「きょう、池田会長とお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします。
 私は『平和』に尽くしたい。世界平和のために、会長と共に旅立ちたいのです」
 そしてパークスさんは、翌年、初めて太平洋を越えて、はるばる日本へ、おいでくださったのである。
 まさしく、八十歳からの新たな旅立ちであった。
 光り輝いていた、あの母の尊貴な微笑みを思い起こすたびに、私の胸は熱くなる。
 この来日の折、創価大学や創価女子短大で、パークスさんを歓迎した乙女たちも、今や、皆、立派な女性リーダーとして活躍している。
2  「世界人権宣言」が国連で採択されて、本年で六十周年。
 私が対談集を発刊したブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、その作成に尽力された大功労者であった。
 総裁は、私がお会いした九十四歳の時に、明快に言われた。
 現在の目標は──
 「教育です! 次代の人材を育成することです!」と。
 いかにして後継の青年を育てるか。人類の未来を真剣に考える人は、皆、この一点に心血を注いでいる。
 さらに我らは、広宣流布という万代不滅の聖業を遂行しているのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「問題は人だ。全部、人で決まる。一人の人間で決まるのだ」
3  今年は「三・一六」の広宣流布の大儀式から五十周年であり、四月二日の先生ご逝去から五十年となる。
 当時、世間は、逝去された恩師に対して罵詈雑言を浴びせ、"学会は空中分解するだろう"と嘲笑した。
 奮起すべき最高幹部たちさえ、意気消沈していた。師に守られることに慣れきって、無責任になっていたのだ。
 「攻撃精神でいけ!」
 「悪を放置してはならぬ。
 前へ前へ、攻めて出よ!」
 この恩師の遺訓を、私は声を大にして訴えた。
 新生の五月三日を目前に控え、私は一人誓った。
 「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
 一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒涛を乗り越えて。本門の青春に入る」(『若き日の日記』下、本全集第37巻収録)
 青年が、恩師の叫びを師子吼するしかない。弟子が学会精神の炎となり、師子奮迅の戦いをするしかないのだ。
 五月三日、私は、"七年を区切りに広布の鐘を打て"と語られた師の心をいだいて、広宣流布の希望の前進の目標となる「七つの鐘」の構想を発表した。
 六月三十日には、学会でただ一人の「総務」となった。
 広布のため、全同志のために、決然と一人立ったのだ。
 「組織の力で、広宣流布が進展するのではない。
 それは、強盛な信心の『一人』の力による。ゆえに、一人の真正の師子がいればよいのだ」とは、戸田先生の結論である。
 ともあれ、一切の誹謗中傷を打ち破り、日本中が驚嘆する大発展をもって、二年後(昭和三十五年)の五月三日、私は第三代会長に就任した。
 御聖訓に、「師子の声には一切の獣・声を失ふ」と仰せである。
 「師子王の子は師子王となる」──これが道理だ。
 わが青年部は、一人ももれなく「師子王」となれ!
4  師子の師子たる証は何か。それは、いかなる戦いも「奮迅の力」で猛然と戦うことだ。そして勝ち抜くことだ。
 ゆえに、そこには、瞬時も油断はない。
 有名な「経王殿御返事」にも、「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」と記されている通りだ。
 油断は大敵である。
 「歴史の父」と呼ばれる、古代ギリシャのヘロドトスが書き綴った史実がある。それは、古代に繁栄したリディア王国(現在のトルコ西部)の首都サルディスの物語である。
 この都は、金城鉄壁の城塞で護りが固められ、大軍勢が何日かけても決して攻め落とすことができなかった。
 しかし、難攻不落に思えた城塞に、一カ所だけ、警備兵が配置されていない場所があった。そこは断崖絶壁になっていたため、敵も味方も、"攻撃は絶対に不可能である"と思い込み、完全になおざりにされていたのである。
 ところが、誰もが無視していた、その断崖に一人の兵士が勇敢に挑んだ。そして登攀に成功した。ここに無敵の城塞は突破され、栄光を勝ち誇った首都サルディスも滅び去ってしまったのだ。
 「栄耀栄華によって驕慢の心が生ずる」(『歴史』松平千秋訳、岩波書店。引用・参照)とは、ヘロドトスが書き留めた誡めである。
 その「驕慢」から、油断が生ずる。
 ゆえに、順調な時ほど調子に乗ってはいけない。
 勝ち誇って酔い痴れることは、すでに敗北の兆しである。驕り高ぶった慢心から、衰亡が始まるのだ。
 いつしか苦労知らずになり、恩知らずになれば、増上慢に狂い、油断におかされてしまう。
 「師子は油断せず」
 この一点を、指導者は心に刻みつけていくことだ。
5  昨年の十一月、中東・アラブ首長国連邦のドバイで、「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展が盛大に行われた。
 これは、湾岸SGIの友が主催したものである。
 光栄なことに、ドバイ首長国のハヤ王女からも後援をいただいた。
 開幕式には、教育庁のアブドラ・アル・カラム長官、また教育センター「ドバイ・ナレッジ・ビレッジ」のアユーブ・カジム所長など、各界から三百五十人もの来賓の方々が臨席された。
 「多様性の調和」を育んでこられたドバイの識者の方々が、「教育・文化を通して人間的価値を創造する湾岸SGI」に対して、深い理解と共鳴を寄せてくださり、感謝にたえない。
 古代アラブの詩集『ハマーサ』に味わい深い一節がある。
 「われらの系図がどんなに高貴であっても、
 われらは一日たりともその上で休らうことはない。
 祖先たちが築き上げたように、われらも築き続ける、
 そして彼らが成し遂げたようにわれらも成就する」(鈴木邦武『ゲーテとアラビアの詩人たち』南江堂)
 わが創価学会も、どれはどの辛労を重ねに重ねて、広宣流布の道なき道を開いてきたことか。
 草創の師弟の労苦を思えば、断じて、安閑としてなどいられない。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
 この御聖訓を、よくよく拝してまいりたい。
 地球上、いずこの地であっても、いつの瞬間であっても、不二の弟子が一人立つならば、そこに、創価の烽火は上がる。
 「いつか」ではない。
 「今、この時」だ。
 蓮祖は厳命されている。
 「いよいよ強盛の御志あるべし
 「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ
 いよいよ、新しき人間革命の本舞台の幕は上がった!
 師弟不二の大いなる闘魂に燃えた、誠実一路の弟子を、私は待つ。
 その弟子の戦いと栄光を、私は信ずる。
  師子と立て
    師子と進めや
      師子と勝て

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