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日蓮大聖人・池田大作

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「広布第2幕」の新春を祝す(上) 富士の如く 師子の如く

2008.1.9 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  新しい年が明けた。
 新しい光が輝き始めた。
 そして、新しい勝利の道が広がった。
2  "今日という日がある限り働くのだ"(『ゲーテ=カーライル往復書簡』山崎八郎訳、岩波書店)──これは、健康長寿の生命を謳歌しながら、一生涯、みずみずしい創造を続けた大文豪ゲーテの心意気であった。
 ゲーテを"心の師"と仰ぐ、十九世紀のイギリスの高名な歴史家カーライルは、この師匠の心に応えて、満々たる決意を語った。
 「前進! 前進あるのみです!」(同前)
 前進──来る年も来る年も、また来る日も来る日も、彼の師ゲーテは、天座を巡る太陽の如く、赫々と王者の軌道をたゆまず進み抜いた。
 ならば、弟子である自分もまた、そうあらねばならぬ。
 それが彼の誓いであった。
 蓮祖大聖人は叫ばれた。
 「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也
 この仰せ通り、命を惜しまず「死身弘法」を貫かれたのが、創価の初代、二代であられる。
 ゆえに不二の直弟子である三代の私も、新しい広宣流布の栄光の歴史を創りゆくために、後継の青年と、力の限り勇猛精進しゆくのみだ。
3    富士の山
     君もかくあれ
       師弟不二
 この年末年始、学会本部へ、まことに多くの同志が祝賀に訪れてくださった。
 改めて感謝申し上げたい。
 仕事始めのご挨拶にも、早朝から、多数の方々がお見えになられた。恐縮の極みである。
 史上最高の賑わいとなり、役員の方々にも、本当にお世話になった。
 今年の正月、東京は晴天に恵まれ、信濃町からも美事な富士の山を仰ぐことができた。
 静岡県富士宮市の友をはじめ、各地の同志が、雲一つない青空に巍巍堂々とそびえ立つ、一月二日の富士の写真を送ってくださった。
 富士は、いつも戦っている。
 山頂は1年を通じて、平均風速で約十二メートルの強い風に晒されているという。瞬間風速の最高記録は、実に九十一メートルにも及ぶ。
 私も四季の折々にカメラを向ける富士は、まさに間断なく烈風と戦闘を続ける、峻厳な闘魂の山である。
 わが師・戸田城聖先生とも、幾たび、ご一緒に新春の富士を仰いだことか。
 「あの清らかで気高い頂を見給え! 瞬時も戦いを止めないから、神々しいまでに荘厳なのだ」
 悠然と語られる先生ご自身が、何ものにも揺るがぬ富士の大境涯であられた。
4   不動なる
    富士の如くに
      今世かな
 戸田先生は、「同志の歌」で叫ばれた。
  捨つる命は 惜しまねど
  旗持つ若人 何処にか
  富士の高嶺を知らざるか
  競うて来たれ
  速やかに──
 この師の歌声に呼び出されるように、旗持つ若人は一人また一人と勇み集ってきた。
 皆、宝の人材であった。
 法華経の「譬喩品」には、「其の国の中には、菩薩を以て大宝と為す」(法華経156ページ)と説かれる。
 伝教大師は、朝廷に提出した有名な『山家学生式』の巻頭において、「国宝」の理念から書き起こしている。
 すなわち、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす」(『最澄』安藤敏雄・薗田香融校注、『日本思想体系』4所収、岩波書店)とのあまりにも有名な一節である。
 ここにいう「道心」とは、仏道を求める心であり、人びとの幸福のために尽くす大乗菩薩の心である。
 真実の宝とは、その人が持っている財力でも地位でも、権力でもない。人びとの幸福を願って行動する、その心こそが、究極の宝なのである。
 伝教大師は、古哲の言葉を引きながら、「言うこと能わず行うこと能わざるを国の賊となす」と断定している。
 いかに権威ぶろうとも、行動もなく、そして叫びもなければ、「国の賊」であると、喝破されているのだ。
 「能く行い能く言うは国の宝なり」(同前)。この言は伝教大師の結論でもあった。
 つまり、正しき哲理を堅持した言行一致の人が「国の宝」である。人のため、社会のために、正義を叫び、正義の行動をなしゆく人こそ、「国の宝」であるという、不滅の断言である。
 まさに、わが創価の闘士こそ尊き「国の宝」なのだ。「大宝」の存在なのだ。
 これ以上の「人材」はない。
 これに勝る「社会の柱」も「日本の柱」も、「世界の希望の柱」もないのだ。
5  嬉しいことに、本年の新年勤行会でも、実に多くの新入会の青年が誕生したとの報告が、全国各地から相次いで寄せられた。
 法華経の「涌出品」には、この娑婆世界の国土から、無量千万億の「地涌の菩薩」が涌出したと明かされている。
 悪世末法に、この「地涌の菩薩」の群像が登場しなければ、法華経は虚妄となる。
 蓮祖は「諸法実相抄」に、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」と明言なされた。
 私たちが新しい一年に掲げた「人材・拡大」というテーマは、まさしく、この「地涌の義」の証明に他ならない。
 「広布第二幕」のこの時に呼応し、新たな地涌の陣列が満を持して、昇りゆく旭日の如く躍り出てきたのだ。
6  一九五一年(昭和二十六年)の五月、戸田先生は事業の大難を乗り越え、第二代会長に就任されるや、「学会は発迹顕本した!」と師子吼された。
 「発迹顕本」とは、垂迹(仮の姿)を発いて、本地(真実の姿)を顕すことだ。
 それは、学会総体に「われ地涌の菩薩なり」という偉大な自覚が生じ、全学会員が広宣流布の戦いに立ち上がることだと、恩師は仰せられた。
 「地涌の菩薩なり」とは、戸田先生が法難の獄中で得られた悟達である。
 それは、最初は、恩師ただ一人の自覚であった。しかし、この地涌の菩薩の使命を、師匠と分かちもつ弟子が決然と立ったのだ!
 弟子の発迹顕本こそ、学会の発迹顕本の核心である。
 戸田先生は強調された。
 「わが生命の使命を、信心の実践の中で自覚せよ!
 観念でわかるのと、実践でわかるのとは、天地雲泥の差があるのだ」
 「師弟不二」の真髄を実践する弟子が一人いれば、一切を覚醒していける。
 そのまことの弟子として、私は阿修羅の如く戦った。
 師をお護り申し上げ、広宣流布の大法戦の拡大と勝利の道を開いていった。
 そして、恩師ご存命中の七十五万世帯の大願成就はもとより、平和と文化と教育の大構想も、すべて実現し、わが創価の正義を世界的に広げてきた。
 皆様がご存じの通りだ。
 師の教え通りに、発迹顕本した弟子が、今日の隆々たる大創価学会を築いてきたのである。
 「やると言ったことは、必ず成し遂げる男だ」──これが戸田先生からいただいた、私の誉れの記別である。
 ともあれ、何のために、自分は生まれてきたのか。何のために生きるのか。その根本の使命に深く目覚めた時、人間は計り知れない偉大な力を出すことができる。
 世界の良識も、この創価の師弟がもつ、民衆と青年への「エンパワーメント(力を与えること)」に注目している。
 国連のチョウドリ前事務次長も、私たちが「最大の障害をも乗り越えていく能力が人間にはある」との信念をもって、「一人ひとりから最高のものを引き出してきたこと」を高く評価してくださっている。
 ともあれ、今再び、「創価学会は発迹顕本する時なり」と、私は申し上げたい。
 「君よ、生まれ変わったように、新たな戦いを起こそうではないか!」
 「君よ、師子となれ!師子となって、勝ちまくれ!」
 「壮大な広宣流布の大願に、一緒に断固と生き抜こうではないか!」と。
  富士の山
    共に仰ぎて
      勝利かな

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