Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

忘れえぬ師弟の語らい 「仏法は勝負」最高の人間道を歩め

2007.9.20 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  私は、「経済学の父」といわれた英国のアダム・スミスの言葉が好きだ。
 「裏切りと虚偽は、ひじょうに危険でひじょうに恐ろしい悪徳であり、しかも同時に、ひじょうに容易に、おおくのばあいにひじょうに確実に、おぼれることになる悪徳であって、そのためにわれわれはそれら(注=裏切りと虚偽)にたいして、他のほとんどすべてのものにたいしてよりも警戒的である」(『道徳感情論』下、水田洋訳、岩波書店)
 彼は、世界的に著名なグラスゴー大学の総長も務めた偉人である。大学者である。
 その五百五十年の伝統光る最高峰の名門グラスゴー大学から、一九九四年の六月、私は誇り高き名誉博士の称号を授与された。
 日本の学者も驚いた。
 世界の識者も驚いたようだ。また拍手を贈ってくださった。
 ともあれ、私は、鋭く真実に迫ったアダム・スミスのこの洞察が大変に好きである。いな、私の心に、今でも突き刺さるように残っている。
 それとともに、アメリカ・ルネサンスの哲人ソローも大好きだった。彼の言葉は、幾つも覚えている。
 ソローは、毅然として書き記した。
 「悪の枝を切ろうとする者が千人いるのに対して、悪の根を断とうとする者はひとりしかいない」(『森の生活』上、飯田実訳、岩波書店)
 悪との戦いは、中途半端であってはならない。
 「悪の根を断つ」──仏法の魂もここにある。
 この「破邪顕正」の魂を受け継くのが、我ら創価の師弟である。
2  「仏法は勝負」である。
 勝つか、負けるかである。
 釈尊も、魔と戦い勝って、成道した。いな、生涯、あらゆる障魔と戦い勝った。仏の異名に「十力降魔軍」「戦勝」「勝者」等とある通りだ。
 勝ってこそ仏である。
 これが、釈尊の精神であり、末法の御本仏・日蓮大聖人の法門である。
 人生も勝負だ。自分の人生、勝たねば幸福はない。善もない。敗北者は地獄だ。地獄に行かぬために、仏法があるのだ。この仏法を深く信ずるか、忍耐強く実践するか、勇敢に行動するかによって、勝負が決まるのだ。
 人生は、幸福が目的である。勝利のない人生は、苦しく、侘しい。絶対に、敗北の人生という不幸者になってはならない。
 戸田先生は、一生涯、全身全霊を打ち込んで、勝負の道を歩まれた。
 私は十九歳から、深き深き師弟不二の血脈を受けながら、最高の人間道を歩むことができた。
 妙法を流布しゆく、師弟不二の人生だ。
 全く悔いのない人生である。永遠に勝利と功徳の輝く人生である。
 十九歳の時に師に誓った、大仏法の広宣流布の誓願を、今も、いささかも揺るぎなく堅持して戦い進んでいる。
 皆様もご存じの通りだ。
3  ある時、戸田先生は言われた。
 「友人は必ず持つことだ。それも、良い友人を持つことだ。悪い友人は、人を利用する。悪い友人は、自分の前途を堕落させるから、近づけるな!」と。
 同志を心から大切にし、新しい友情を拡大していくことが、広布の実相である。この一点を、忘れてはならない。
 「私たちは健康に留意したり、貯金したり、屋根に雨漏りがしないようにしたり、衣類に事欠かぬように用意したりする。だが、あらゆるもののなかでいちばん貴重な財産である友人を失わないために、賢明な備えをする者がいるだろうか」(『エマソン選集』3、小泉一郎訳、日本教文社)
 このアメリカの思想家エマソンの言葉が思い出される。
4  戸田先生を囲んでの懇談の折、一人の青年が質問をしたことがある。
 「正しいはずの牧口先生が、どうして迫害を受けたのでしょうか」
 戸田先生の眼が、厳しく鋭く光った。
 先生は質問自体には、全く答えられなかった。
 ただ一言、こう言われた。
 「根本は弟子がどうかだ。師の大事の時に殉ずるのが、弟子の道じゃないか!」
 最も正しい師匠であるからこそ、最も迫害されるのだ。
 御聖訓には、あまりにも明確に記されている。
 「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し
 「大難なくば法華経の行者にはあらじ」等と。
 重要なのは、師と共に殉難の覚悟で、師を護り、師を継いでいく弟子がいるかどうかである。
 その弟子がいなければ、師が命を賭して、三障四魔を打ち破り、弘通した大法も、令法久住できないからだ。
5  わが師・戸田先生が事業を失敗され、大きい苦悩の道を歩み始めた時に、信頼しきっていた弟子たちが、多く去っていった。
 この恩知らずの連中たちは、戸田先生の悪口雑言を、唾を吐くように言い散らして、去っていった。逃げていった。
 師と共に苦しむことが、どれほど大事であり、どれほど誇りであるかを知らない、畜生の心の連中であった。
 若き私は激怒した。
 夜の暗い事務所の片隅で、先生と二人で語り合った。
 「君よ、学会を護るために、師弟の伝統を永遠に護るために、阿修羅の如く、いな阿修羅となって戦い、活路を開いていってくれ給え!」
 先生のお体は、心労が重なり、衰弱していかれた。事務所の小さな座敷で、先生が横になられ、そこで懇談をしたことも、幾たびとなくあった。
 私は、この師の苦しみを全身で受け止めながら、まさしく阿修羅となって戦い始めた。ありとあらゆる行動を重ね、ありとあらゆる打開策を講じ、ありとあらゆる誠意を尽くした。
 全精魂を打ち込んで、師を護り抜くための、実社会での大闘争を続けたのである。
 激戦また激戦に明け暮れるなか、戸田先生はしみじみと語られた。
 「俺も、大作も、男らしい戦いをやり抜いてきたなあ」
6  アメリカの民衆詩人であるホイットマンが、私は好きであった。
 ホイットマンには、全幅の信頼を置く弟子トローベルがいた。師は、この愛する弟子夫妻の媒酌人にもなった。
 ホイットマンの生前最後に刊行された詩集『草の葉』の「第九版」の出版にも、若き弟子トローベルの献身的な尽力があった。
 「早く見たい」と待っている師の元に、勝利の凱旋報告の如く、弟子は、息せき切っこ、刷り上がつたばかりの『草の葉』を届けた。
 師の喜びは、弟子の最高の喜びであった。
 牧口先生にお仕えする戸田先生もそうであられた。
 戸田先生にお仕えする私も、そうであった。
 一八九二年の三月、逝去した師ホイットマンの傍らで、手を握っでいたのも彼である。
 亡くなる前、ホイットマンは日を開けて、最後の視線を弟子に向けた。
 ──未来を頼むぞ!
 弟子トローベルは、その無言の遺命を生命に刻んだ。
 彼は綴っている。
 「その時あなたから私に、未来の委任が渡されたのだ、その刺那、あなたより私に、あなたの血脈から私の血脈に」(「私の逝ける同志〈ウオルト・ホヰツトマンに〉」、長沼重隆『トラウベルを語る』所収、東興社)
 弟子は、いかなる毀誉褒貶にも動ずることなく、胸を張って、師ホイットマンを世界に宣揚していった。
 師の研究雑誌を、生涯の最後まで、約三十年にわたり、断固として刊行し続けたのも、彼である。
 その雑誌の名前は「ザ・コンサベイター」──意訳すれば、「宣揚」となろうか。
 偉大な師の真実を護り、正義を師子吼せんとの、深き誓いを込めたのであろう。
 師ホイットマンは、こう謳った。いな、こう叫んだ。
 「まず自分自身のあいだからその最良の見本を提供することが必要である。そして一人でも二人でもそういう見本を提供することによって、集団全体が千年も輝くものとなるのだ」(「第一八期大統領職!」亀井俊介訳、『アメリカ古典文庫』5所収、研究社出版)と。
 一人の真実の弟子を持てた師匠は幸せである。
 牧口先生が殉教して残された正義の大道を、戸田先生が一人、厳然と受け継がれ、社会に開いていかれた。
 その道を、私が一人立って、同志と共に、世界百九十の国々と地域へ広げてきた。
 戸田先生が勝ったからこそ、牧口先生が勝利された。
 私が勝ったからこそ、戸田先生が勝利されたのだ。
 そして、わが後継の青年部が、日本中、世界中で勝ちまくってくれるがゆえに、私も永遠に大勝利なのである。

1
1