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日蓮大聖人・池田大作

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我が青春のゲーテ(下) 君よ正義の行動に生き抜け!

2007.7.14 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1  「困難があってはじめて善事は貫徹される」(エッケルマン『ゲェテとの対話』下、亀尾英四郎訳、岩波文庫)
 ゲーテが弟子エッカーマンに語った言葉である。
2  統一ドイツのワイツゼッカー初代大統領とは、一九九一年(平成三年)の六月十二日、大統領府にお招きいただき、一時間にわたって語り合った。
 ゲーテの精神を現代に蘇らせてこられた哲人政治家と、私は尊敬してきた。
 「キリスト教民主同盟」という政党の重鎮でもある、大統領は明言されていた。
 「私がいつも苦心しているのは、どうしたら他者を助けられるかということである」(『ヴァイツゼッカーの言葉』加藤常昭訳、日本基督教団出版局)
 一人ひとりの人間に目を向けて、慈愛の通った政治を進めていく源泉の力は、確固たる宗教性にある。
 このことを、大統領は、折に触れて論じ、そして自ら実践してこられたのだ。
 それゆえに、創価の社会貢献の行動にも、深い深い理解と共感を示されている。
 私たちのビラ・ザクセン総合文化センターにも、ご多忙のなか、喜々として足を運んでくださった。
 思えば、古代インドのアソカ大王は、政治とは"民衆から受けた恩"に対する"恩返し"だと考えていた。
 さらに「戸田大学」の個人教授で学んだ、十八世紀フランスの政治思想家モンテスキューの本には、「至誠の心こそ大政治家の魂だ」とあった。
 そういう「報恩」と「至誠」の心を持って、民衆に尽くし抜いていく真の政治家を育て上げたい。
 これが、戸田先生の悲願であったのだ。
3  ゲーテは語っていた。
 「私にとっては、われわれの霊魂不滅の信念は、活動という概念から生れてくるのだ。なぜなら、私が人生の終焉まで休むことなく活動して、私の精神が現在の生存の形式ではもはやもちこたえられないときには、自然はかならず私に別の生存の形式を与えてくれる筈だからね」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫)
 ゲーテと並び立つ、ロシアの巨人トルストイは言った。
 「絶対に病気をしない頑丈な健康な肉体は無い。絶対に消滅しない富も無い。絶対に滅亡しない権力も無い。これ等はすべて恒久不変のものではない」(『人生の道』上、原久一郎訳、岩波文庫)
 いかに永遠性を志向しても、生きとし生けるもの、すべてが「生老病死」を逃れることはできない。大宇宙の星々も「成住壊空」の流転からは免れない。
 大文豪の炯眼は、人生の究極に迫る。しかし、生命の真の実相には、いまだ到達できていないのだ。
 永遠不滅の大法則は、妙法しかない。この妙法に則って、広宣流布という「正義の中の正義」の行動に生き抜く生命もまた、永遠不滅である。ここにこそ、万人が、生老病死の苦悩を、常楽我浄の大歓喜へ大転換しゆく、最高無上の生命の軌道がある。
 ともあれ、ゲーテもトルストイも、日蓮仏法の真髄にめぐり合ったならば、どれほど驚嘆し、歓喜雀躍と探究を進めていったことだろう。
4  ある日の語らいで、十九世紀イギリスの歴史家カーライルの言葉を、私は戸田先生に申し上げたことがある。
 「時代の求めるところを正しく認識する智、之を導き正道を踏んでそこに到らしめる勇、これこそいかなる時代をも救済する力である」(『英雄崇拝論』老田三郎訳、岩波文庫)
 すると、先生は間髪を入れずに言われた。
 「牧口先生は、そういう力ある英知の人材を育てることを願っておられた。
 そして、創価大学をはじめ、創価教育の学校の建設を私に託された。
 私の代では間に合わないから、大作、どうか、頼むよ」
 私は、創価学園の創立記念日を、牧口先生が平和のために殉じられた「11・18」とした。
 さらに、創価大学の開学の日を、戸田先生の御命日の「4・2」。
 そして、アメリカ創価大学の開学は「5・3」とした。
 初代・二代・三代の生命は、創価教育の大城とともに、永遠に脈動していくのである。
5  先生は逝去の直前、私の手を握りしめながら言われた。
 「メキシコヘ行った夢を見たよ。待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな……。君の本当の舞台は世界だよ」
 一閻浮提の広宣流布への遺言となった。
 この先生の分身として、私は世界を走り、百九十の国々と地域の連帯を創り上げた。
 今や、先生が心にいだかれていたメキシコにも、幾多の同志が活躍している。
 今月、キューバで行われた意義深き国際社会宗教学会議には、わがメキシコSGIの代表が出席した。私からもご関係の方々への伝言などを託させていただいた。
 社会主義国家のキューバでも、今年の一月、わがSGIの法人が晴れて誕生した。
 キューバの独立の父ホセ・マルティは言った。
 「私たちが一日一日やっていることが、歴史である」(『ホセ・マルティ書簡集』4、社会科学出版。スペイン語版)
 我らの前進は、全世界のあの国でも、この地でも、一日また一日、不滅の栄光の歴史を創り上げている。
 さらにマルティは、「信仰は、信仰のない人を勇気づけるためでなければ、何のためにあるのでしょうか」(「十月十日を迎えて」青木康征訳、『ホセ・マルティ選集』2所収、日本経済評論社)と。
 信仰の有無を問わず、世界中の友に、創価の人間主義が勇気を贈っていることは、嬉しい限りだ。
6  「はでに光るものは、ほんの一時つづくだけです、真実なものは後世になってもほろびることはありません」(『ファウスト』手塚富雄訳、中央公論社)とは、ゲーテの言葉である。
 永遠の時の流れから見れば、人気や名声などは、一瞬の幻に過ぎない。
 地道な学会活動こそ、永劫に朽ちることなき、真実の生命の大光を放ち続けるのだ。
 ゲーテは、「いっペん俗世の宝を手に入れると、より高い精神の宝が幻影に見えてくる」(同前)と戒めた。
 権力の魔性に狂って、真の精神の宝を見失っていく人生は、あまりにも儚い。
 正しき師弟の道を踏み外した輩の無惨な末路は、皆様がご存じの通りだ。
 日興上人の「原殿御返事」には仰せである。
 「もとより、『日蓮大聖人に背く邪師らを捨てないことは、かえって、こちらの罪になる』というのが大聖人の法門であると、よくよく知っていかれるべきである」(編年体御書一七三四ページ、通解)
 「破邪顕正」に徹して、悪を断ち切っておかなければ、毒が後世に流れてしまう。
 仏法の師弟の世界は、峻厳である。ゆえに清浄無比であり、金剛不壊なのである。
7  ゲーテは、最晩年、自らの生涯を総括して、宣言した。
 「私の著作と私の生活の意味と意義は、純粋に人間的なものの勝利です」(『ゲーテ対話録』4、高橋義孝訳、白水社)
 なんと美事な、総仕上げの人生であったことか。
 ある日ある時、戸田先生は、私に言われた。
 「君は、ゲーテを超えて、書きまくれ! ゲーテ以上の膨大な全集を残してくれ給え」と。
 初代・牧口先生の全集も、第二代・戸田先生の全集も、私は、厳然と世に出した。
 現在、その後の研究も踏まえ、『牧口常三郎全集』十巻、『戸田城聖全集』九巻が集大成されている。
 そして、第三代である私の全集は、既に百巻が刊行された。今後、百五十巻となる予定であり、個人の全集としては、ゲーテをも超えて、世界最大級のものとなる。
 戸田先生の弟子として、師とのお約束を、ここにもう一つ果たすことができた。
 インドの詩聖タゴールは高らかに謳った。
 「偉大なる富も強大なる帝国も、やがては塵芥となるであろうが、精神の所産は不朽の価値を持っている」(『古の道』北昤吉訳、プラトン社)と。
 創価とは、不滅の精神の価値の創造である。
 この創価の師弟に生き抜く人生は、永遠に若々しい。
 ゲーテは、一生涯、創造の青春を生きた。
 「どうすれば、たえず若返ることができるか?」
 この問いに答えて、彼は自らの若さの秘訣を明かした。
 その詩の一節を、わが友に捧げたい。
 「君だってできる 偉大なものに 喜びを感じさえすれば
  偉大なものは つねに新鮮で 人を暖め生気づける」(「万能薬」高安国世訳、『ゲーテ全集』1所収、人文書院。引用・参照)

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