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日蓮大聖人・池田大作

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我が青春のゲーテ(上) 勝つのだ!

2007.7.13 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1  わが師・戸田城聖先生と共に、私はいつも歩んでいる。
 私の頭からは、瞬時たりとも、師の面影が消えない。
 永遠に、師とは一体である。
 永遠に、師弟は不二である。
 その仏法の正しい、そして偉大なる師匠から──。
 「大作、今日は何を読んだ」と、何度も何度も、いつもいつも聞かれた。厳しかった。鋭かった。怖かった。
 師をお護りし抜く、激しい戦いの渦中である。もとより、読書に専念する時間はない。
 師とお会いする時は、何を読んだか、そこから何を得たのかを答えることが、苦痛でさえあった。
 「読め! 若いうちに読め! 良い本を貪り読め!君は文学の才能があるんだから、必ず広宣流布のために、何か役立つだろう。読め!」
 そのなかで、読んだ一人が、ドイツの大文豪ゲーテである。
 「今日は、何を読んだか」
 先生の問いかけに、私は恐る恐る、お答えした。
 「ゲーテの全集を開きました......」
 にっこりと喜ばれた笑顔の師の姿が、私の生命から離れない。
 そのゲーテをはじめ、戸田先生のもとで読み学んだ哲人たちの好きな言葉を、綴らせていただきたい。
2  ゲーテが、親友の大詩人シラーに寄せて、"真の勇気"を謳い上げた詩がある。
 「早かれ晩かれ、愚昧な世間の抵抗に打ち克つあの勇気」
 「遂には高貴なるものの時期が到来するために、
 或いは勇敢に進出し、或いは辛抱づよく忍苦して当に益々高められてゆくあの信仰」(「シルレルの『鐘の歌』に附す結語〈エピローグ〉」片山俊彦訳、『ゲーテ全集』2所収、改造社)
 二十世紀、ナチスと戦った文豪トーマス・マンも、大切にしていた一詩だ。
 私が、このゲーテの詩を、戸田先生の前で朗詠すると、先生は深く頷かれた。
 「そうだ! その通りだ! ひとたび戦いを起こしたからには、断じて勝たねばならない。世間がどうあれ、勇気に燃えて、最後まで戦い抜いた人間が必ず勝つのだ。
 最も正しき信仰に燃えた、わが弟子が負けるわけがない。大作、君がそれを証明せよ!」
3  ゲーテは、一七四九年の八月二十八日、ドイツのフランクフルトに生誕した。
 このゲーテの生家を、ドイツの青年たちと訪れたことも、懐かしい歴史である。
 ゲーテが、世界に新しき文芸の黎明を告げた小説『若きウェルテルの悩み』を発表したのは、何歳の時であったか。
 それは、二十五歳であった。
 頼もしいことに、今、広宣流布の第二幕の勝利の黎明を告げてくれているのもこのの年代のヤングの青年部だ。
 ゲーテの作品は──
 教義小説の傑作『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』
 紀行文として名高い『イタリア紀行』
 珠玉の叙事詩『ヘルマンとドロテーア』
 自伝文学の名作『詩と真実』等々、多数がある。
 ゲーテの全集(ワイマール版)は、百四十三巻に及ぶ。
 彼が世界文学の最高峰『ファウスト』の総仕上げの執筆を開始したのは、七十六歳の年である。
 このことを、先日、再会した、七十六歳のゴルバチョフ元ソ連大統領に、私は申し上げた。そして共々に、二十一世紀の青年が歩みゆく道を開こうと語り合ったのである。
4  ゲーテが、たびたび足を運び、「ここから見るライン川が、一番、美しい」と絶讃してやまなかった景勝の地には、今、わがドイツSGIのビラ・ザクセン総合文化センターが立っている。
 ここには、ゲーテの詩集の代表作として知られる『西東詩集』の直筆原稿が所蔵されており、地域の方々も宝としておられる。
 ゲーテは強く戒めていた。
 「人間は、とかく低俗なものになじみやすい」と。
 だからこそ、青年は俗悪なものを峻別して捨て去れ!
 そして、絶え間なく一流の次元から学べ! これが、戸田先生の薫陶であった。
 青年が低次元の雑誌などを手にしていると、それこそ、烈火の如く叱り飛ばされたものだ。
5  ある日、先生は言われた。
 「世界の一級の名著は、誠実な人生を生き、誠実な心で読めば、正しく、深く、頭に、胸に入ってくる」
 私は、その時に、オーストリアの作家ツバイクの言葉「ただ誠実なもののみが真の英雄精神を体得する」(『ロマン・ロラン』上、大久保和郎訳、慶友社)との一節を申し上げた。
 先生は破顔一笑され、「その通りだ」とおっしゃった。
 「本を読んで、学者ぶって偉ぶる人、騙る人──これは、ただ本に読まれているのだ」とは、先生の持論であった。
 「『高慢は身をほろぼすもと』(『アンデルセン童話集』6、大畑末吉訳、岩波文庫)という、アンデルセンの言葉を思い出します」と私が申し上げると、先生は静かに微笑まれた。
 ともあれ、ゲーテは痛烈に見破っている。
 「中身のからっぼな人間は自分をひとかどの人物と思っている」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と。
 要するに、いばる人間は、中身のないことを、自ら曝け出しているのだ。
6  「真の反文化主義とは......虚偽のものを流通せしめることである」(『箴言と反省』小口優訳、春秋社)
 ウソを撒き散らすことこそ、最も文化に反することだと、ゲーテは激怒している。
 真実は光である。
 虚偽は闇である。
 この光と闇との戦いが、人間社会の実相といってよい。御聖訓には──
 「大妄語を構えて国主・国人等を誑惑おうわくし日蓮を損ぜんと欲す衆千の難を蒙らしむるのみに非ず両度の流罪剰え頸の座に及ぶ」と仰せである。
 大聖人を陥れ、命にも及ぶ大難を惹き起こした元凶も、悪逆きわまる虚偽であった。
 釈尊に反逆した提婆達多も、大妄語で破壊を企んだ。
 創価の三代の師弟も、同じ方程式で迫害を受けてきた。
 御書には、「そねみ候人のつくり事」と、陰謀の構図が明らかにされている。
 正義と真実の人間に対して、嫉妬に狂った連中は、いかに卑劣な讒言を企てることか。
 「言論の自由」──これは断固として死守せねばならぬ。しかし、「言論の暴力」──これは徹底して鉄槌を下さねばならない。
 ここにこそ、人間社会の宿命的な獣性を打ち破る、文化の勝利の道があるからだ。
7  「友よ、たとえ雲に包まれていても、勇気をもって楽しく働こうではないか。われわれは偉大な未来のために働いているのだから」(『人間性形成のための歴史哲学異説』小栗浩・七字慶紀訳、『世界の名著』38所収、中央口論社)
 これは、青年ゲーテが師と仰いだ、文学界の指導者ヘルダーの厳しき叫びである。
 この師の教えの如く、ゲーテは、偉大な末来のため、生き生きと社会へ関わり、勇敢なる行動を続けていった。
 一七七六年には、ワイマール公国の君主の招請に応え、ゲーテは政治の世界に身を投じた。若き大臣として重責を一身に担い、疲弊した国を忍耐強く変えていったのだ。
 ゲーテは、庶民とともに苦楽を分かち、庶民の中に飛び込んで、庶民のための政治を行った。
 洪水などの災害があれば、真っ先に現場へ急行して、自ら人命の救助を陣頭指揮するのが、ゲーテであった。
 「政治の力は行為することであって、演説することではない」(『ゲーテ格言集』大山定一訳、『ゲーテ全集』11所収、人文書院)とは、彼の信念である。
 「まじめなことがらで真剣になるのはあたりまえのことです」「善と正義がこの世に行われることを望む人なら、なおさらのことです」(アルベルト・ビルショフスキ『ゲーテ──その生涯と作品』高橋義孝・砂糖正樹訳、岩波書店)
 政治には、責任がある。
 傍観したり、あるいは批判だけしているのであれば、気楽であろう。自分は何も傷つかない。
 彼は毅然と言った。
 「あらゆる反対派は、ただ否定するだけである」(前掲『ゲーテ格言集』)と。
 ゲーテは、国家や国民のことを少しも考えていない党派など、頼りにしなかった。
 「利己主義と嫉みとは、悪霊のようにいつまでも人々をもてあそぶだろうし、党派の争いも、はてしなくつづくだろう」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫)と達観していたからだ。
 「正義」を見失った権力が、どれほど腐敗するか。そして、「民衆」を忘れ去った政治が、どれほど残酷になるかを、ゲーテは鋭く見据えていた。
 激しい公務の連続であろうと、一人の悩める青年のためにも具体的に手を打ち、自ら奔走する。これが、ゲーテであった。そして、現実に国を立て直していったのだ。その実績に多くの感謝と敬意が寄せられたことは、いうまでもない。
 たゆみなき実行の人生であった。八十歳を超えて、彼は『ファウスト』に綴った。
 「この地球にはまだ、偉大な仕事をなすべき余地がある。驚歎すべきことが成されなければならぬ」(第2部、相良守峯訳、岩波文庫)──

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