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日蓮大聖人・池田大作

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新しき50年の明星・学生部 勝利を開く「戦う知性」たれ!

2007.7.2 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1  数学の天才であられた戸田城聖先生が、青春の誇りとされていた歴史がある。
 それは、一九二二年(大正十一年)の十一月、来日したアインシュタイン博士の「相対性理論」の講演を、直接、師・牧口常三郎先生と共に聴かれたことであった。
 戸田先生は二十二歳の青年教師である。休憩を挟み、五時間にわたる名講義だったという。私に対する恩師の個人教授「戸田大学」でも、この思い出をよく伺った。
 牧口先生も、戸田先生も、常に向学と探究の魂を、熱く燃やし続けておられた。創価の師父は、自ら学生部の範を示されているのだ。
2  アインシュタイン博士は、明快に論じていた。
 「われわれ人間の生命の意義、ないしはおよそ生を享けているあらゆるものの生命の意義はなにか? この質問に答えることは宗教的であることにほかならぬ」
 「自己の生命およびその同胞の生命を無意味なものと感じる人は、不幸であるばかりでなく、ほとんど生きる資格をもたない」(湯川秀樹監修、井上健・中村誠太郎編訳『アインシュタイン選集』3、共立出版)
 真の宗教なき社会は、生命の尊厳なき不幸な社会だ。
 これは、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長で世界的な心臓外科医であるウンガ一博士と私の対談でも、深めてきたテーマである。
3  さらにアインシュタイン博士は、具体的な論点として、「平和運動では、宗教組織の協力が得られなければならない」(O・ネーサン/H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡』1、金子敏男訳、みすず書房)とも強調していた。
 人類の頭脳を代表する大物理学者は、ともすれば権力におもねってきた既成の宗教に厳しい目を向けた。だが、同時に、普遍の宇宙法則の実在を信じ、平和と人類への奉仕を促す深い宗教性に対しては敬虔であった。そして、宗教組織が社会に与える影響力も、博士は知悉していたのである。宗教に対する蔑視や冷笑は、むしろ、その人間の傲慢と愚昧の象徴に他ならない。
 平和のために行動するアインシュタイン博士の精神を継承して、世界の科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が、第一回の会合を開催したのは、一九五七(昭和三十二年)年の七月七日であった。わが創価の学生部が誕生した、一週間後のことである。
 パグウォッシュ会議の中心を担い、尊き人生を捧げ抜かれたのは、ご存じの通り、私と対談集を発刊したロートブラット博士であられた。
 ありがたいことに、博士は、アメリカ創価大学を訪問されたことを、逝去の直前まで、宝の思い出として語ってくださっていた。
 若き創価の英才に最大の信頼を寄せられ、博士は「私たちの後を継ぐのは彼らです」とも言われていたのである。
 ともあれ、人類史の至高の知性と良識から、正義の精神闘争を厳然と託された希望の陣列こそ、わが学生部だ。
 栄光の学生部結成五十周年、本当におめでとう!
 この大佳節をば断固と勝ち飾りゆく、わが男子学生部、わが女子学生部の、はつらつたる先駆の大前進を、私は何よりも嬉しく見つめている。
 牧口、戸田両先生も、さらにはアインシュタイン博士やロートブラット博士らも、君たちを会心の笑みで祝福されているに違いない。
4  古代中国の思想家・揚雄ようゆうは、こう述べている。
 「正道を習えば、邪道に打勝つこと言うまでもあるまい。おお学生諸君、道の正邪をよくよく究明したまえ」(鈴木喜一『法言』明徳出版社)
 「正」と「邪」を、明晰に見極めよ! そして「邪道」に必ず勝利しゆく「正道」の力を持て!
 これが、二千年前の賢哲が綴り残した「学生」への期待であった。
 この揚雄は「政治の核心」についても、喝破している。
 「真実は真実、虚偽は虚偽と、はっきり区別すれば、政治の核心を掴むことができるだろう。もし真実も虚偽もはっきりせず、混同されれば、政治の核心は失なわれるだろう」(同前)
 現代にも通ずる洞察である。いな、狡滑な「虚偽」を鋭敏に見破る若き学才の眼は、ますます研ぎ澄まされていかねばならない。
 そして、何ものにも臆さず「真実」を叫び切っていく、正義の学生の声は、いよいよ力強くあらねばならない。
 「後生畏るべし」(論語)
 戸田先生は、この言葉がお好きだった。
 そして「弟子は偉くなっていかねばならぬ。師匠が偉いと言われることは、『後生』すなわち弟子が偉くなったことが、師匠が偉くなったことに通ずるのである」と言われながら、私たち青年を眩しそうに見つめてくださった。
 青年畏るべし。
 学生部畏るべし。
 未来は、君たち英知の青年に託す以外にない。
 「力は知恵より来る」(『カーライル選集』5、高村新一訳、日本教文社)とは、イギリスの歴史家カーライルの至言である。
5  それは、一九五六年(昭和三十一年)──。
 わが創価学会が、大聖人の仰せの「立正安国」の実現のため、社会に打って出て、大きな変革の渦を起こし始めた最中であった。
 戸田先生が、深い決意の面持ちで、私に言われた。
 「大作、そろそろ、学生部を結成してもいいだろうか」
 満を持してのお話である。私は、言下にお答えした。
 「はい! お願いします」
 学生部誕生の淵源は、この不二の師と弟子の一瞬の呼吸で決まった。
 そして、この年の四月、結成の構想が発表されたのだ。
6  翌一九五七年(昭和三十二年)の冬一月、私は厳寒の北海道・夕張に初めて足を運んだ。
 この有数の炭鉱街で必死に働く庶民を、そして青年たちを真剣に励ました。
 その時、高校卒業を控えた青年がいた。彼は進学の夢をもっていたが、一家の柱として働かざるをえない事情もあって、深く悩んでいた。
 私は強く語った。
 「『人間到る処青山あり』だ。信仰を通して、いくらでも勉強できる。一切は、君の一念で決まるのだ!
 私も戸田先生のもとで学び、訓練を受け、あらゆる学問を、『生きた学問』に変えることができた。
 これが信心だ。これが学会魂だよ」
 私は固く握手を交わした。
 地元の炭鉱に就職した彼は、やがて郷土のため民衆のために、堂々と尽くしゆく勝利の人生を歩んでいった。
 大学に行きたくとも行けない。しかし、創価学会という最高の人間大学で、誇り高く錬磨し抜いてこられた方々こそが、地域で、社会で、信頼を勝ち取り、今日の広宣流布を築き上げてくださった。
 そのことを、私は瞬時たりとも忘れたことはない。
 二十世紀のアメリカの最高峰の心理学者マズロー博士も力説していた。
 「いたるところが大学となる」
 「一生涯が大学となる」(『人間性の最高価値』上田吉一訳、誠信書房)
7  その日、五十年前の一九五七年(昭和三十二年)六月の三十日は日曜日であった。
 東京の麻布公会堂には、詰め襟の凛々しき男子学生や、清楚な女子学生たちが、朝から続々と集ってきた。その数、五百人。法華経の「五百弟子」の意義の如く、師匠・戸田先生のもと、学生部の結成大会が晴れ晴れと行われた。
 この日、私は、北海道にいて、出席できなかった。
 怒涛の如き権力の魔性の攻撃に立ち向かい、学会の正義を掲げ、一心不乱に戦っていたのである。
 一つは、あの夕張の炭鉱労働組合が、何の過失もない学会員の締め出しを画策した「夕張炭労事件」。
 そして、もう一つは「大阪事件」である。
 どちらも、日蓮仏法によって目覚めた民衆が、社会をよりよくしようと政治改革に立ち上がった時、既成勢力が迫害の牙をむいたのである。
 無知ゆえに悪口する者、一知半解の的外れの中傷をする学者や評論家、新しい民衆勢力の台頭を恐れ嫉む既成政党や労働組合、そして、既成宗教や国家権力の弾圧......。
 まさに法華経に明かされた「三類の強敵」により「猶多怨嫉の難」%(御書五〇一ページ)が噴出してきたのである。
 「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し
 この難のなかで、私が生命に刻みつけた「佐渡御書」の御金言である。
 本陣・東京の戸田先生の膝下で、学生部の結成大会が行われている、その時──。
 弟子の私は北の大地にあって、わが同志を渾身の力で鼓舞しながら、逃げ惑う炭労の幹部に対して、断固たる姿勢で話し合いを求めた。
 炭労は、学会との"公場対決"を打ち出しておきながら、学会の勢いに恐れをなしたのである。
 正邪が曖昧になれば、苦しむのは民衆である。
 私は、勝負の時を見定め、今こそ徹底的に戦うのだと決めていた。
 学生部は、この迫害の嵐のなかに、新時代を切り開かんと船出したのだ。
8  何が本物の知性か。真実を見抜けない。正邪がわからない。臆病で、庶民の敵を倒せない──そんな知性は紛い物ではないか。
 私は、学生部に期待していた。いな虐げられた民衆を救えるのは、戦う知性の学生部しかないと確信していた。
 その確信の通り、学会の権力の魔性と戦っている時に、私と共に決然と立ち上がったのが学生部である。
 民衆を誑かす悪を倒す!
 正義の学会を護り抜く!
 学生部には、その尊き責任と使命があるのだ。
 英国の大哲学者J・S・ミルは、大学でスピーチした。
 「正しき側に組しないものはすべて悪の側に結局荷担することになる」
 「悪人が自分の目的を遂げるのに、善人袖手傍観していてくれるほど好都合なことはないのです」(『ミルの大学教育論』竹内一誠訳、御茶の水書房)と。
 正義の沈黙。それは、悪を助けることと同じである。
 さらに、ミルは叫んだ。
 青年時代に、学問に打ち込む究極的な目的とは、何か。
 それは「自分自身を『善』と『悪』との間で絶え間なく繰り返されている激しい戦闘に従軍する有能な戦士に鍛え上げ」(同前)るためである、と。
9  結成大会で戸田先生は、学生部員に向かって、宗教家になれとも、職業的革命家になれとも言われなかった。
 「この中から半分は重役に、半分は博士に」
 諸君よ、真実の──
 社会の指導者になれ!
 平和の建設者になれ!
 正義の勝利者になれ!
10  学会精神を叩き込まれた人材として、あらゆる分野に羽ばたくのだ。そうでなければ、広宣流布はただの絵空事になってしまうからである。
11  なかんずく、当時はまだ少なかった女子学生を、先生は心から慈しまれながら薫陶しておられた。
 近代看護の母ナイチンゲールは語った。
 「ものにはすべて時があります──訓練を受ける時があり、訓練を活かす時があるのです」
 「訓練とは、あなた方の中にある財産を、あなた方が活用するようにすることです」(湯槇ます監修『ナイチンゲール著作集』3、編訳者代表・薄井坦子、現代社)
 まさしく、女子学生部は、自分自身も、そして縁する人びとも幸福になり、自分の周囲から平和の世界を創造していける力を、磨き上げる最高の訓練の場である。
 今、女子学生部の出身者が「創価女性の世紀」の先頭に躍り出て活躍されている。その賞讃の声が、私のもとに各界から寄せられている。
 法のため、友のため、未来のため、価値ある青春を乱舞しゆく女子学生部の乙女に、私は英国の作家シャーロット・ブロンテの言葉を贈りたい。
 「いなは悔やんだり、恐れたり、泣いたりするときではありません。しなければならない、すべきことが非常にはっきりとわたしのために広げられています。わたしがほしい、祈り求めているのもは、それをやり遂げる力です」(エリザベス・ギャスケル『シャーロット・ブロンテの生涯』中岡洋訳、『ブロンテ全集』12所収、みすず書房)
 その力を思う存分に、わが生命から発揮していけるのが「自体顕照」の妙法である。
 牧口先生の知友であった、新渡戸稲造博士の随筆に、学生たちは「母の力に依って学問している」(『人生雑感』、『新渡戸稲造全集』10所収、教文館)
 つまり寝る間も惜しんで働く母親のお陰で学校に行けた学生が、いかに多いことか、と。
 たとえ時代が変わっても、わが子の大成長を祈る母の真心は変わらない。
 こうした母の心に報いることを忘れ、民衆に尽くすことを忘れたならば、いったい、何のための学問か。
 「青年は、母の悦びなりき」(「ある青年の死を悼む歌」大野敏英訳、『シルレル詩全集』下所収、白水社)
 わが学生部は、絶対に母を悲しませるようなことがあってはならない。ゆえに、絶対に交通事故を起こさぬことだ。また、とくに女性は、家族に心配をかけぬよう、夜は早く帰宅することを、注意し合っていただきたい。
12  私はトインビー博士をはじめ、世界中の碩学と対話を重ねてきた一つの結論がある。それは「指導者は人間革命から始めよ」という一点である。
 民衆を睥睨する、傲り高ぶった権力者、政治家、坊主たちを見るがよい。「何かの才をもっている愚かものほど、厄介な愚かものはない」(『箴言と省察』内藤濯訳、岩波書店)と、フランスの文人ラ・ロシュフーコーが嘆いている通りだ。
 偉くなった途端、権力の魔酒に酔い、庶民を裏切り、食い物にする忘恩者はもうたくさんだ!
 なかんずく、仏法の根幹は、知恩であり報恩である。ゆえに、学生部出身からは、蓮祖が厳しく戒めておられた”畜生にも劣る不知恩”だけは出してはならない。
 大恩ある民衆に、そして師匠に弓を引いた恩知らずどもと、断固として戦い、呵責していくことが、尊貴なる学生部の責務である。
 「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ」と御聖訓には断言なされている。
 十八世紀英国の作家サミュエル・ジョンソンが達観している通り、嫉妬に狂った高慢な人間が必ず、「悪意の陰口をまき散らし、中傷の噂も増幅して伝え、名誉毀損の怒号を煽動」(『永遠の選択──サミュエル・ジョンソン』泉谷寛訳、聖公会出版)する。
 そうした卑劣な蠢動は、痛烈に打ち砕いていくことだ。
 二十一世紀の世界が求めているのは、「民衆に奉仕するリーダーシップ」である。
 その「指導者革命」の先頭に立って、世紀を引っ張っていく希望の星こそ、わが弟子である学生部であっていただきたいのだ。
13  一九六八年(昭和四十三年)の九月八日、あの「日中国交正常化提言」を行った第十一回学生部総会で、私は「御義口伝」の一節を拝した。
 「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり
 「普く賢い」リーダーが、世界平和を推進していくのだ。
 世界第一の「戸田大学」に学び、薫陶を受けることができた私は、実質的な学生部の第一号だと自負している。
 その最初の学生部員は、今や、世界二百十六の大学・学術機関から、知性の宝冠を拝受するに至った。全部、偉大な戸田先生への報恩の証として、師のもとに捧げることができた。
14  世界の諸大学が、一つ一つの栄誉を、どれほど深い思いで贈ってくださっているか。
 南米の名門コルンビア・デル・パラグアイ大学のウルビエタ理事長は、光栄にも祝辞のなかで語ってくださった。
 「顕彰の一つの目的は──『この方の徳行を模範にしてほしい』との願いを込め、社会に強いメッセージを発することであります。
 私は、パラグアイの青年に、池田先生の生き方を見習ってもらいたい。
 『危機的な状況に陥った世界にあっても、この方は偉大なる平和の大道を開かれた。この方は、どれほどつらい困難をも精神を高めるチャンスととらえ、あらゆる逆境に打ち勝ってきたのです』──こう青年に訴えたいのです」
 私個人ではなく、創価学会学生部の不撓不屈の闘争への賞讃として、紹介させていただきたい。
 我らの未来には、世界広宣流布の大道が、晴れ晴れと開かれている。また、無限に開きゆかねばならない。
 五十年の月日を経て、学生部は、今や、主な国・地域だけでも、アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、イギリス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、スイス、ベルギー、ガーナ、コートジボワール、韓国、香港、マカオ、台湾、フィリピン、シンガポール、マレーシア、インド、オーストラリア、ニュージーランドなど、全世界に広がる、一大学生平和勢力となった。
 キューバにも、妙法を受持した学生が誕生した。まさに学生部旗に描かれた若鷲が大空を翔けるが如く、知性と情熱の翼を広げて、地球の希望の未来を開くために奮闘している。
 「次の五十年」に輝き渡る「新しき明星」こそ、若き知性の諸君である。
 男子学生部の君よ、女子学生部の貴女よ、私に続け!
 この師弟の栄光の大道を、堂々と朗らかに進みゆけ!
 敬愛する君たちに、ビクトル・ユゴーの叫びを捧げたい。
 「偉大な心の誠実さは、正義と真理とに凝縮して、相手を粉砕する力になる」(『レ・ミゼラブル』2、井上究一郎訳『世界文学全集』44所収、河出書房新社)
 ──六月三十日、学生部結成五十周年の記念日に記す。
 学会本部・師弟会館にて。

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