Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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声仏事を為す 語れ! 広宣流布は「声の戦い」だ

2007.3.6 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1   僕の声
    あなたの声も
      天の声
    幸福つつまむ
      邪義を倒さむ
 「私は最後の勝利を完全に確信しています」(『ド・ゴール大戦回顧録』3、村上光彦・山崎庸一郎訳、みすず書房)
 フランスのド・ゴール将軍が放った勇気の声である。
 一九四〇年。愛する祖国は、独裁者ヒトラーのもとに、ひとたびは窮地に立たされた。だが、その苦境にあって、名将は不屈の魂を声に響かせた。
 亡命先の英国からラジオ放送を通して、各地のフランス人に、反転攻勢の闘争を訴えていったのだ。
 ナチスとの戦いは「声の戦い」でもあった。卑劣な虚偽の悪宣伝も流されてくる。
 だからこそ、ド・ゴール将軍は同志に決然と言った。
 「われわれとしては、いままでよりいっそう声を高くし、断固たる態度で語らねばなりません」(同前)
 歴史が動くところ、そこには必ず信念の言論戦がある。
 「ペンは剣よりも強し」
 そして、「声は砲弾よりも強し」であるのだ。
2  「声仏事を為す」──これは「御義口伝」に引かれた、章安大師の有名な言葉だ。
 声が「仏の仕事」を行うのである。声で民衆を救う「仏の慈悲の行業」を為しゆくのである。声で魔を打ち破り、「仏の力」を示すのである。
 まさに、広宣流布は「声」による仏の大闘争である。
 戸田先生は、私たち青年に鋭く言われた。
 「言論戦なんだから、語りまくれ!」
 ことに先生は、その言論戦の最前線を、「一対一」の膝詰めの対話に置かれた。
 ゆえに弟子の私は、来る日も来る日も、悩める友のもとへ、悪戦苦闘の共のもとへ、走った。
 無理解の人にも、誠実に真実を語り抜いた。学会を侮蔑する傲慢な連中には、厳然と正義を師子吼し、慢心を打ち倒した。手強い敵も、大胆に味方に変えてきた。
 一回一回の対話が、言論戦であり、外交戦である。
 近代日本の思想家・内村鑑三は語った。
 「同じ舌を以て語る言葉に貴きもあれば卑しきもある、人を活かすものもあれば殺すものもある、世に言葉ほど安価くして言葉ほど高価きものはない」(『内村鑑三著作集』6、岩波文庫)
 確かに、声は〝タダ〟である。それでいて、人間として最高無上の「仏の仕事」ができるのだ。
 正義を言い切るのも、悪を破折するのも「声」である。
 わが友を励ますのも、健気に戦ってくださる同志を讃えるのも「声」である。
 イギリスの歴史家カーライルは喝破した。
 「『言葉』がなければ、人間もなく、ただ『幻影』があるのみだ」(『過去と現在』上田和夫訳、『カーライル選集』3所収、日本教文社)
 黙っていたら、広宣流布は一ミリだって進まない。
 大聖人御自身が、「声も惜まず」等と仰せである。
 ゆえに最前線に打って出て、勇んで語るのだ。滔々(とうとう)としゃべるのだ。
 言葉が不自由な方もいらっしゃる。だが、「この思いを伝えずにはいられない」との、やむにやまれぬ表現は、弁舌巧みな政治家などの何千倍、何万倍も、人の魂を揺さぶってやまない。
 「信念」があるから、声に力があるのだ。
 「誠実」だから、相手の胸を打つのだ。
 「勇気」があるから、悪に勝つのだ。
3  それは一九七四年(昭和四十九年)の秋九月、私はロシアの大地に第一歩を印し、歴史の古都サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)へ足を運んだ。第二次世界大戦の犠牲者が眠るピスカリョフ墓地に献花し、心から題目を送らせていただいた。
 あの大戦中、この街にも、人びとの不屈の「声の戦い」があった。
 約九百日にも及ぶナチスの包囲のなか、毎日、ラジオから流れてくる声が、飢餓と不安にさらされている市民の生きる支えになったのだ。
 「あなたの声が、この人たちを救うのです」(H・E・ソールスベリー『攻防900日』下、大沢正訳、早川書房。以下、同書から引用・参照)。放送局の要望に応え、文化人たちが詩を朗読し、歌を歌い、古都の不滅の誇りを伝え続けた。
 ある日、中継用の電力が足りず、市内のほとんどで放送が停止した。すると、大勢の市民が放送局に集まり、懇願したという。食料の配給が減らされるのなら我慢しよう。だが、放送だけは続けてくれ、と。
 ある詩人は、衰弱した体に鞭打ち、自作の詩を懸命に朗読した。終わった直後、スタジオで倒れた。まさに生命を賭けた戦いであった。
 ラジオの声は、「食料も暖房も灯りも、希望も、事実上失われた時期に、この市に生命を維持しつづけたものであった」と、世界的なジャーナリスト、H・ソールズベリーは書き残している。
4  ラジオといえば、おかげさまで、小説『新・人間革命』のラジオ朗読放送も、一千回を超えた。関係者の方々の尊いご尽力にあらためて感謝申し上げたい。
 素晴らしい朗読を担当してくださっている小野田英一さんと沢田敏子さんが、毎回、最高の発声をされるために、どれほど真剣勝負で臨んでおられるか。私は深い感動を込めて伺っている。
 音声は、生命それ自体である。魂を込めた、その声は、人びとの心の水面に、いつまでも美しく波紋となって広がっていくものだ。
5  「若い人たちのためにしなければならぬ正しいことであったら、もちろんやるべきである。批判はあまんじて受ける」(『エリノア・ルーズベルト自叙伝』坂西志保訳、時事通信社)。こう言い切っていたのは、米国の第三十二代大統領F・ルーズベルトである。
 世界的な大経済学者ガルブレイス博士も、三十二歳の若さで、このルーズベルト大統領から重要な財政の舵取りを託された思い出を、私との対談集で語っておられた。
 一九四四年の当時、大統領の事務スタッフは、六百八十七人いたそうだ。
 当然ながら、脚光を浴びる部署の人も、陰の地味な部署の人もいる。
 そのなかで最も有能なスタッフの一人に、ルイズ・ハックマイスターさんという女性がいた。ホワイトハウスの電話交換手だった。
 超多忙な大統領がかける電話を、手際よく相手につなぐスピードは随一であった。そしてまた、彼女の〝微笑を含んだ声〟は、電話をかけてきた人を実に温かい気持ちにさせたという。(ジョン・ガンサー『回顧のルーズヴェルト』上〈清水俊二訳、六興出版社〉等を参照)
 それは、自分の声が「ホワイトハウスの声」「大統領の全権大使」であるとの、毅然たる責任感と使命感の発露であったに違いない。
 わが本陣の学会本部、聖教新聞社などでも、電話交換台の女子職員である〝金声会〟の皆さんの声が、どれほど学会を守り、創価の味方を広げていることか。
 恒例の「電話応対コンクール」(日本電信電話ユーザ協会主催)でも、毎回、高い評価をいただき、新宿区の代表として八年連続で都大会に出場を果たしている。
 ともあれ、「優れた言葉を語るという徳をもつことは、他のどんな徳にも優る」(『ティルッラル──古代タミルの箴言集』高橋孝信訳注、平凡社)とは、インドの大詩人ティルバッルバルの箴言である。
 創価の同志は、いずこの地にあっても、いかなる立場にあっても、広宣流布の勝利のために声を発し続けてきた。
 たとえ体が思うように動かなくとも、電話で同志を激励し、そして電話で仏縁を結び広げておられる〝多宝会〟の方々も多い。その声の、なんと神々しいことであろうか。
 あなたの声を聞いて安心した、あの一言で救われた、頑なな心が大きく変わった、そういうドラマは数知れない。
 御聖訓には、「法華経を一字一句であっても、自ら唱え、また人に語っていく人は教主釈尊の御使いである」(同一一二一ページ、通解)と仰せである。
 その通りに戦うわが学会員が、どれほど尊貴であるか。この方々を一言でも謗れば、罪を無間に開き、大切にしていけば、無数の仏を供養するよりも勝る功徳を受ける。これが、大聖人の絶対の御精神であられる。
 信仰していなくとも、皆様方の正しき声を聞いて、仏法への共感の喜びを起こすだけで、その功徳は大きい。これが、仏法の法理である。
 無量の歓喜と幸福の種を蒔きゆく日々であることを、どうか、誇りとしていただきたい。
6  戸田先生が、歴史上の人物で「会って大いに語り合いたかったものだ」と言われていた一人が、明治維新の英雄・高杉晋作であった。
 この高杉晋作も、「声」で敵を味方に変え、「声」で時代を揺り動かした。
 それは、元治元年(一八六四年)十二月のことである。
 当時、長州藩は、江戸幕府を恐れ、恭順の態度を示していた。
 この時、数え年二十六歳の晋作は、約二十人の精鋭と共に、藩の三隻の軍艦が停泊する三田尻(現・防府市内)に小舟で乗り付けた。そこで、晋作は、一世一代の大雄弁を振るい、自分と共に藩の変革に立ち上がれと、激烈に訴えた。
 それは、志半ばで幕府に処刑された師・吉田松陰の仇を断じて討ってみせるという、全生命を凝結させての師子吼であった。
 「諸君! 同意して碇をあげて馬関(=下関)へ来られよ」「いかになさるぞ!」(山岡荘八『高杉晋作』3、講談社)
 ──作家の山岡壮八氏が、聖教新聞に連載した『高杉晋作』で描いた名場面である。
 晋作は、ただ「声」のみを武器として、三隻の軍艦をも動かした。
 そして、一丸となって幕府に立ち向かっていく大潮流を起こしていったのだ。(高杉晋作の史話は、田中彰『高杉晋作と奇兵隊』岩波新書、海原徹『高杉晋作』ミネルヴァ書房、奈良本辰也『高杉晋作』中央公論社等を参照)
 私も、あまりにも思い出多き山口開拓闘争の折、この防府の天地へ、度々、足を運び、晋作を偲びながら、新時代を開く声を響かせた。
 第三代会長就任を前にした昭和三十五年年の二月にも、関西から防府へ向かった。当時の日記には、「生涯、この国土世間に、わが生命が映っているようだ」(『若き日の日記』下。本全集37巻収録)と記している。
 真剣な中国方面の青年達の姿が、美しかった。私は、この時、原点の人材城・防府で、新たに「山口支部」を結成することを、固く決意したのである。
7  アメリカ・ルネサンスの旗手エマソンは洞察した。
 「胸奥より湧き出でたる温かき言葉は、予を富裕ならしめる」(『エマアソン全集』2、平田禿木訳、国民文庫刊行会)
 人に誠実な声をかければ、それだけ自分の生命が豊かになり、弾んでいくものだ。いわんや、広宣流布のために語った声は、大宇宙の妙なる常楽我浄の律動に融合しながら、わが生命に歓喜の谺(こだま)となって戻ってくるのである。
 反対に、「おごれる者たちの驕慢な言葉はおそろしい不幸の報酬を受ける」(『アンティゴネー』橋本一明訳、『シモーヌ・ヴェーユ著作集』1所収、春秋社)とは、フランスの女性思想家シモーヌ・ベーユが書き留めたギリシャ悲劇の一節であった。
 思い上がって、正法正義の人に浴びせた非難の言葉は、必ず自分自身に還ってくる。──法華経に説かれる「還著於本人(還って本人に著きなん)」の原理である。
 なかんずく人生の総決算のときに、因果の理法の上から、容赦なく断罪される。
8  有名なイギリスの青年詩人キーツは、戯曲に綴った。
 「すべての力の源は 率直さと 世の中に対する真実の言葉だ」(『オットー大帝 悲劇・全五幕』出口保夫訳、『キーツ全詩集』2所収、白鳳社)
 率直にして真実の言葉を、社会に向かい、時代に向かって鋭く放っていくのが、青年である。
 大聖人一門として奮闘する若き南条時光には、何やかやと悪口や妨害が絶えなかった。なかには、さも味方のふりをして、甘言をささやき、時光の信心を乱し、和合僧を壊そうと画策する者もいた。
 大聖人は、そうした相手には、こう言い切るのだと、時光に厳然と指導された。
 「大勢の人が聞いている所で人を教訓するより、まず自分の身を教訓せよ! と言い放って、かっぱと席を立ちなさい」(御書1540ページ、通解)──と。
 戦っているからこそ、魔の働きも強い。ゆえに何の逡巡もいらない。
 一つ言われたら、十、言い返す。調子に乗って悪口したものが〝しまった!〟と頭を抱えるぐらい、痛快に反撃するのだ。
 「師子の声には一切の獣・声を失ふ
 これが、創価の正義の誇りでなくてはならない。
9  戸田先生は叫ばれた。
 ──仏意仏勅の学会の大恩を受けながら、人間として恩知らずになった自分勝手の傲慢な人間を、絶対に幹部にするな! もし、そういう幹部は叩き出せ! もし、そうした幹部がいたならば、厳しく、遠慮なく叱りなさい。どんどん、自分の真実の思いを言い切っていきなさい。これが、学会の伝統の指導である。これが仏法である。
 とともに、正義の指導者が悪口雑言されている時は、抗議をしていきなさい。
 嫉妬と売名の中傷に対しては断じて破折せよ! その間違いを堂々と破折せよ!──これが、先生の正しき怒りであられた。
 私は、その通りにしてきた。師弟不二である。ゆえに、師匠の言う通りに実行してきた。これが正法正義であり、その通りにしてきた私は、全面勝利した。
 愚劣な卑怯な人間だけには絶対になってはいけない。
 仏法を信受し、偉大な使命に生き抜く青年諸君は、勇気を持って、「真実」を、「確信」を、「正義」をしゃべりまくっていくのだ!
 それが牧口先生の指導であり、これが戸田先生の指導であられたからだ。私も、そうであると信じている。
 「不惜身命」という戦いは、何よりもまず「声を惜しまず」「声の限りに」叫び抜く、勇敢なる言論闘争であることを忘れまい。
10  エマソンは語った。
 「わたしは生気に溢れて正しい道を歩き、あらゆる方法で歯に衣きせぬ真実を語らねばならぬ」(『エマソン論文集』上、酒本雅之訳、岩波文庫)
 大変に有名な言葉である。戸田先生もよく、「我々は正しいのだ、ありのままに真実を叫べ!」と、同様の指導を私たちにしておられた。
 近代ロシアの詩人マヤコフスキーは高らかに謳った。
 「ぼくらの武器はぼくらの唄だ。
 ぼくらの金は鳴りひびく声だ」(「ぼくらの行進曲」小笠原豊樹訳、『マヤコフスキー選集』1所収、飯塚書店)
 さあ、生命躍動の弥生三月がやって来た。
 勇気の声、希望の声も高らかに、創価の大前進をしていくのだ!
 朗らかに悠然と、厳としたスクラムを! 楽しく固く組みながら!
  語りなむ
    また叫びゆけ
      声仏事
    誉れの人生
      三世の功徳と

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