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日蓮大聖人・池田大作

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ハーバード大学からの新風 「対話」で平和の世紀を!

2007.2.21 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  「人間は前進しようとするときに成長する」(ゴーキリー)──。
 私と妻の大切な友人である、「人類初の女性宇宙飛行士」テレシコワさんの青春時代からのモットーである。
2  春風にも似た、さわやかなニュースが世界を駆けめぐった。
 それは、アメリカ最高峰の名門ハーバード大学から吹き薫ってきた清新な風である。
 創立三百七十一年の歴史上、初の女性の学長が誕生することが決まったのだ。
 第二十八代の学長になる、ドルー・ギルピン・ファウスト博士は、「南北戦争」などの研究で知られる歴史学の大家である。ハーバード大学の「ラドクリフ研究所」の所長を務めてこられた。
 ラドクリフ研究所といえば、十九世紀の後半に設立された女性教育の城ラドクリフ・カレッジが淵源である。あのヘレン・ケラーが学んだ誉れの母校でもあった。
 「前途を見つめている人のためには、常に新しい地平線が見えてくるものです」(『わたしの生涯』岩橋武夫訳、角川書店)
 これは、彼女が自伝に記した希望と信念の言葉である。
3  ハーバード大学出身の思想家エマソンは厳かに語った。
 「世界は、人間を教育するためにある」(『霊魂不滅』戸川秋骨訳、『エマアソン全集』6所収、国民文庫刊行会)
 ハーバードをはじめ、アメリカ東部にそびえ立つ、八つの名門私立大学は、「アイビーリーグ」と総称される。
 嬉しいことに、わがアメリカ創価大学の卒業生も、その最難関の大学院に、次々と進学を勝ち取り始めている。
 今回のハーバードの新学長決定で、「アイビーリーグ」八大学の半数が、女性の学長となる。四氏とも二十一世紀に入ってからの就任であり、前任の学長から二代続けて女性という大学もある。
 この大いなる潮流は、世界の高等教育機関においても変わらない。私がかつて表敬した、英国を代表するケンブリッジ大学でも、二〇〇三年、実質的なトップである副総長に女性が就任した。同じく招聘をいただいた、タイ王国の誇るチユラロンコン大学も、三年前から女性の学長が指揮を執られている。ともあれ私自身、これまで、多くの素晴らしき女性の総長・学長の方々と語り合ってきた。
 光栄にも、名誉学術称号を授与くださった──
 口シア・サンクトペテルブルク大学のベルピッカヤ総長。
 豪州のシドニー大学のクレーマー総長。
 中国文化大学の林彩梅りんさいばい学長。
 インドのラビンドラ・バラティ大学のムカジー副総長。
 ブラジル・ロンドリーナ大学のプパト総長。
 モンゴル・オトゴンテンゲル大学の創立者で初代学長のオユンホロル理事長、そしてナランチメグ学長......。
 忘れ得ぬ対話の歴史を刻んだ女性の大学トップは、優に二十人を超えている。
4  「女性の徳が社会にしみ渡れば、文明人は粗野な暴力を忌み嫌らって、理性にしたがうようになる」(『男とは女とは』石垣綾子訳、新評論社)
 これは、名作『大地』『母』などを残したパール・バックの確信であった。
 二十一世紀を「女性の世紀」「女性の時代」に、と私は一貫して主張してきた。
 昨年、お会いした、フィリピンのリサール・システム大学のデレオン学長も強調されていた。
 「平和と慈愛と正義──。これこそ、人類がもつべき建設的な美質です」と。
 さらにまた、ベラルーシのミンスク国立言語大学のバラノワ総長は語っておられた。
 「女性は、本来、『平和』『協調』『合意』を目指すという特質があります。勇み足の早計な決断を嫌がる傾向を持っていると思います」
 全く、その通りと実感する。
 「武力」や「権力」などのハード・パワーから、「文化」「教育」「平和」などのソフト・パワーへと、文明の基軸を大胆に変えることだ。そのためにも、二十一世紀文明は、生命を育み、護りゆく女性の智慧と慈愛を、中心的価値とすることである。
 以前、アメリカSGI婦人部が開催した「女性平和会議」にも参加された、エクアドルのイボン・ア・バキ駐米大使は、「もし各国の首脳が女性になったら、世界はどのように変わるか」との質問に、こう答えられた。
 「まず戦争がなくなります。子どもを慈しむ母親たちが、人を傷つける兵器を造ったり、使ったりするでしょうか。現実の世界は、あまりにも男性支配に偏っています」
5  日蓮大聖人が、すでに十三世紀に「男女はきらふべからず」──男女は分け隔てがあってはならない──と宣言された意義は、計り知れない。
 夫に先立たれ、頼れる人もいないなか、健気に広宣流布に励みゆく妙法尼御前には、こう仰せになられた。
 「今あなたは、末代悪世の女性として、お生まれになり、このように物の道理を弁えない島(日本)の野蛮な人間たちに罵られ、打たれ、責められながら、それを耐えて、法華経を弘めておられる。
 あの釈尊の義母(摩訶波闍波提比丘尼)に比べて、あなたのほうが勝れておられることは天地雲泥であると、仏は、霊鷲山(りょうじゅせん)で、ご覧になっていることでしょう。
 かの釈尊の養母に授けられたお名前を『一切衆生喜見仏(一切衆生が喜んで仰ぎ見る仏)』というのは、別のことではありません。今の妙法尼御前、あなたのお名前なのです」(同一四二〇ページ、通解)
 末法の濁りがさらに進んだ現代において、来る日も来る日も、忍耐強く、広宣流布の道を切り開いておられるのが、わが創価の婦人部、そして女子部の皆さん方である。
 この方々こそ、釈尊からも、日蓮大聖人からも、まさしく「一切衆生喜見仏」と記別を授けられる最極の存在なのである。
 今、世界中で、創価の女性リーダーたちが、各界から喜び慕われ、仰ぎ見つめられていることは、その実証にほかならない。
 ビクトル・ユゴーは言った。
 「心を崇高にするような事業や、行動を為した人々に対しては、感謝しなければならない」(『ユウゴオ論説集』榎本秋村訳、春秋社書店)
6  大聖人は、北国の広宣流布の指導者・千日尼に言われた。
 「一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なり
 それほど「女人成仏」とは、法華経の真髄なのである。
 ご存じのように、法華経の提婆達多品には、「竜女の成仏」(法華経410ページ)が説かれている。これは、当時の"後れた男性"たちには、受け入れ難く、信じ難い教えであった。しかし竜女は、そんな偏見や不信には目もくれなかった。
 彼女は、根本の師匠である釈尊の前で、堂々と誓いを述べる。
 「私が仏の教えを聞いて成仏したことは、仏のみが正しく知ってくださっています。
 私は、師から学んだ大乗の教えを説いて、苦しんでいる一切衆生を救っていきます」(法華経四〇七ページ、趣意)
 誰が何と言おうと、師がすべてを見守ってくださっている。何を恐れることがあろうか。
 竜女は「私の成仏を観なさい!」と自信満々と言い切りながら、勇んで遠方の別天地にまで足を運び、妙法を説き広めていったのである。
 「女人成仏」とは、すなわち、「師弟不ニ」の勝利なのだ。
 さらにまた、御義口伝には「舎利弗よ、これを竜女だけの成仏と思うのは見当違いである。『自分自身の成仏』なのだと受け止めていかねばならない」(御書七四七ページ、通解)という叱咤が記されている。
 この御文に照らしても、男性は、真剣に戦う女性の同志に対して最敬礼していかねば、仏法の本義に反するのだ。
 「婦人部・女子部を大切にできない幹部は、役職を利用した畜生である」とは、戸田先生の厳しき指導であった。
 女性が、楽しく伸び伸びと、絶対無事故で、思う存分に活躍できるように、心を砕き、手を打ち、道を開いていくことが、リーダーの祈りであり、責務であることを、改めて確認しておきたい。
 この基本を厳として確立するところにこそ、創価学会の清々しい歓喜と活力に満ちた、永続的な前進があるからだ。
7  ──女性とは、その豊かな「会話の力」で「人類を文明化する人びと」だ。(「女性について」原島善衛訳、『エマソン選集』4所収、日本教文社。引用・参照)
 これはエマソンの洞察であった。
 私が共に対談集を発刊した、未来学者ヘンダーソン博士も、「女性のコミュニケーションの力」に、地球社会の希望を見出しておられた。
 わが創価の女性たちは、一日また一日、生き生きと、たゆみなく、信念の対話を積み重ねておられる。ここにこそ、「平和の世紀」を建設しゆく、人類の最先端の行動がある。
 ペルー文学の巨匠バジェホの不滅の言葉に──
 「優れた行為と、優れた声は、民衆より出でて、民衆に帰する」(Cesar Vallejo-Obra Poetica Completa, Alianza Editorial)とある通りだ。
8  「対話」──それは、ハーバード大学と私を結んできた、キーワードの一つである。
 知日派として著名なボーゲル教授とも、また政治学の分野で、先駆的に「ソフト・パワー」の重要性を訴えられたナイ教授とも、私は語らいをもった。
 さらに、「ハーバードの幸運」と讃えられた第二十六代のルデンスタイン学長とも、対話を交わした。
 広島の復興に尽力された行政学の大家モンゴメリー博士とは、幾たびも語り合った。
 博士には、アメリカ創価大学の環太平洋平和文化研究センターの所長も、十年以上にわたって務めていただいた。
 振り返れば、ハーバード出身の方々との最初の縁は、ケネディ大統領であった。
 一九六三年(昭和三十八年)の二月、私が首都ワシントンを訪問し、お会いする予定が進んでいたのである。
 当時、大統領は四十五歳。私は三十五歳。
 ケネディ大統領も、東西の冷戦下にあって、新しき対話の道を切り開こうと、命を賭して挑戦されていた。
 会見が実現すれば、いかなる語らいが広がったことか。残念ながら叶わぬ対話となったが、後年、大統領の実弟であるエドワード・ケネディ上院議員が、わざわざ東京の聖教新聞社まで訪ねて来てくださった。
 また、一九九一年(平成三年)の秋九月、私がハーバードでの第一回の講演に招かれたのが、大統領の名を冠したケネディ政治大学院であったことにも、深い感慨を覚えたものである。
9  人と会わなければ、縁は広がらない。
 だから私は会った。地道に、勇気をもって!
 人と語らなければ、縁は深まらない。
 だから私は語った。誠実に、また真剣に!
 私と世界の識者との対談集は、現在進行中のものを含めると、五十点を超える。
 そのなかで──
 ハーバード大学の政治学の教授であった、元国務長官のキッシンジャー博士とは、『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』。
 世界的な経済学者のガルブレイス博士とは『人間主義の大世紀を』。
 トルコ出身の文化人類学者ヤーマン博士とは『今日の世界 明日の文明』。
 中国思想研究の泰斗ドゥ・ウェイミン杜維明博士とは『対話の文明』。
 宗教学、キリスト教神学のコックス博士とは『二十一世紀の平和と宗教を語る』。
 ──五人のハーバード大学の各分野の第一人者と、有意義な対談を世に問うことができた。
 それは、アメリカを最前線とする現代文明との対話であり、.さらにイスラム文明、儒教文明、キリスト教文明との対話であったといってよい。
 この春にも、こうした私のハーバードの友人の方々が集われ、「生死」をテーマに文明間の対話を行われる。
 そこでは、私が第二回のハーバード講演で申し上げた「生も歓喜、死も歓喜」という仏法の生死観にも、大きく光が当てられると伺った。
 「生老病死」という根源の苦しみを、どう打開するか。
 人類の最高峰の知性は、仏法の生命の哲理を、真摯に求めてやまない。
 「ぜひ、三度目の講演を」との要望もいただいているが、なかなか日本を離れることができず、申し訳なく思っている。
 ともあれ、すべては対話から始まる。
 かつて、アインシュタイン博士は言った。
 「私たちは、機械仕掛けで他人の心を変えさせることができない以上自分自身の心を変えて勇敢に語らなければなりません」(O・ネーサン/H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡』金子俊男訳、みすず書房)
10  アメリカ創価大学(SUA)の誉れの一期生で、ハーバード大学の教育大学院に進んだネイスン・ガウアー君から、先日、手紙が届いた。
 「SUAの一期生として、見事な模範を示します」と、凛々しき決意にあふれる便りであった。
 そこには、英知があった。夢があった。努力があった。友情があった。師弟があった。母への愛があった。青年の熱と力があった。私は、本当に嬉しかった。
 現在、アメリカの男女学生部の英才たちが学ぶ大学は、ハーバード大学をはじめ、全米二百五十を数える。
 みな、愛する母校で、生き生きと真理を探究し、価値創造の対話を展開している。
 忘れ得ぬ中国の鄧穎超先生(周恩来総理の夫人)は言われていた。
 「青年は、胸襟を開いて、大いに友情を広げていくべきです」(金鳳著『鄧穎超伝』人民出版社、中国語版)
 私たちが共に目指すのは、「生命尊厳の世紀」であり、「恒久平和の世紀」である。そして「人間が輝く世紀」である。
 その未来へ向かって、勝利の新鮮な「青年の風」「女性の風」「対話の風」が、今、さっそうと吹き始めている。

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