Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「創立の日」を祝す 「不惜」の師弟に輝く大宝冠

2006.11.20 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1   創立に
    勝利の宴や
       菊花城
 秋の陽光が降り注ぐ十一月初旬、わが創価大学の正門前は、大王の王冠のような、絢爛たる菊が花盛りであった。地元・八王子の「加住菊友会」の皆様方が丹精なされた、美事なる菊花の展示会が行われたのだ。
 第九回を数える今回の展示会には、私の″二百の名誉学術称号″記念の意義も込めてくださり、感謝に堪えない。
 さらに、輝く「創立の月」を寿ぎ、大阪の泉州、京都、茨城の土浦や筑西、埼玉の川口、山梨、東京の世田谷や足立、新宿、渋谷、港、千代田、また文化本部、教育本部等の代表″菊花グループ″など、多くの同志の方々が、創価の宝城を祝賀の菊花で飾ってくださった。
 この場をお借りして、皆様の勝利と真心の大輪の花に、心から御礼を申し上げたい。
 御聖訓に、菊は「仙草(妙なる草)」(1095ページ)とある。寒さが厳しくなり、他の草花が枯れたあとで、凛とした花を咲かせ続けるからだ。
 その妙なる菊花の如く――
 「世の中が平穏な時には、誰が賢人であるか、わからない。世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる」(御書一〇九五ページ、通解)
 これが、大聖人の御照覧なのである。この蓮祖の御心に直結し抜いて、戦乱の世に死身弘法なされたのが、創価の父・牧口常三郎先生であられた。
 その先師に、戸田城聖先生は牢獄までお供し、お仕えし切って、不惜身命で創価学会を再建なされた。この恩師を、私は死力を尽くしてお護りし、師子奮迅の力で、わが同志と共に学会の大発展の道を開いてきた。
 「学会創立の日」十一月十八日は、奇しくも「初代会長の殉教の日」でもある。
 この日を荘厳する菊花は、我ら師弟の″勝利の大宝冠″なのだ。そして、わが無冠の誉れの同志に光る″生命の大勲位″なりと、私には思えてならない。
2  あの国に
   またこの国に
     妙法は
  仏意仏勅
    君らの不惜で
 学会本部のある信濃町では、町内会の方々も「創立の日」を御祝いくださった。さらに日本列島の津々浦々から温かな祝賀の声を寄せていただき、ありがたい限りだ。
 メキシコを代表する国際貿易港ベラクルス市でも、「11・18」を「創価学会の日」と定め、慶祝の議会が――。
 十年前の六月、ベラクルス国際空港で忘れ得ぬ出会いを刻み、共に記念撮影に納まった同志たちの晴れ晴れとした勝利の実証である。ご逝去の直前、「メキシコに行った夢を見たよ。みんな待っていたよ」と言われた恩師も、どれほど喜ばれることか。
 ブラジルでは、これまで、サンパウロ州議会、また二十三の都市で、「創立の日」等を祝賀する議会が盛大に開かれている。
 教育都市として名高いパラナ州アプカラーナ市のペゴレル市長が、こう語ってくださったことがある。
 「このような世の中だからこそ、教育に力を入れ、人びとの可能性に光を当てなければなりません」「世界平和のため、生命の尊厳のために努力を惜しまずに戦ってこられた方々を心から讃える日が、わが市の11・18『創価学会の日』なのです」
 「平和」と「文化」の建設に走る、世界の一千万の同志の御健勝と、それぞれの国土の御繁栄を、私は妻と共に、一段と深く祈りゆく日々である。
3  アメリカの哲人エマソンは語った。
 「どの社会が大きくなっても、ひとりの人間の大きさにはかなわないことを忘れてはならない。友情にあふれる個人が自然にしかも瞬間的に連合するとき、彼は二倍、いや数倍の大きさになる」(「ニュー・イングランドにおける改革者たち」原島善衛訳、『エマソン選集』4所収、日本教文社)
 その通りだ。いや、エマソンのいう「数倍」どころか、「無限大」だと私は思う。
 この「一人の人間」の壮大な力を開くのが仏法であり、人間革命である。
 「一人」を徹して大切にし、そして「異体同心」という究極の人間の結合を成し遂げたからこそ、大仏法は、世界百九十もの国々と地域へ広まってきたのだ。
 御聖訓には示されている。
 「一切の草木は、大地より出生する……一切の仏法も、また人によって弘まる」
 「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一である。そうであるならば、その人を毀ることは、その法を毀ることなのである」(御書四六五ページ、通解)
 まことに明快なる法則だ。
 日蓮大聖人の仏法の真髄を、末法濁悪の現代に広宣流布してきたのは、創価学会である。″創価三代″の師弟しかいない。
 一閻浮提第一の妙法を持ち、行じ、弘めゆく創価学会員は、一閻浮提第一の尊貴な人だ。
 この学会員を誹謗することは、最極の正法を誹謗することである。
 学会の和合僧を破壊することは、広宣流布の命脈を破壊することなのである。
 戸田先生は宣言された。
 「わが学会を悪口するものは、妙法使徒の集団を悪口するもので、現罰なくしてなんとしよう。人々よ、よくこれらの人々の今後の生活を見たまえ。また、妙法を純真に信仰するものの受ける、不可思議な一大功徳も、また刮目してみな見るべきである」
 卑劣な裏切り、恩知らずの反逆者のあまりにも惨めな敗残の末路は、ご存じの通りだ。
4  仏法は遠くにあるものではない。その甚深の法理は、すべて現実に即したものだ。
 たとえば、法華経に説かれる「高さ五百由旬、縦広二百五十由旬」という巨大な七宝の宝塔は、いったい、何を意味しているのか。
 大聖人は、佐渡の年配の門下の阿仏房の質問に答えられて、こう仰せになられた。
 「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」
 そして、「阿仏房あぶつぼうさながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」と教えておられるのである。
 現代においては、来る日も来る年も、広宣流布に励みゆく創価学会員こそ、最高無上の生命の宝塔である。
 法華経に登場する「地涌の菩薩」の群像もまた、創価学会なくして、いずこに求めることができようか。なかんずく、経文に寸分違わず、三類の強敵と「師子王」の如く戦い抜いてきたのが、創価の三代である。
 さらに「竜女の成仏」は、一切の女性の成仏の道を開いた原理である。そこから無限に広がる女性の幸福と平和の連帯は、まさしく創価の婦人部、そして、女子部を象徴していよう。
 「妙音菩薩」は、敬愛する芸術部である。音楽隊、鼓笛隊、合唱団の方々もそうだ。
 「薬王菩薩」は、ドクター部であり、白樺の皆様にほかならない。
 「普賢菩薩」は、学術部や国際部、教育部、さらに広く学生部の俊英の活躍にも通じている。
 寿量品に説かれる――
 「我が此の土は安穏にして
  天人は常に充満せり
  園林諸の堂閣は
  種種の宝もて荘厳し
  宝樹は花果多くして
  衆生の遊楽する所なり」(法華経491ページ)
 この自我偈さながらの世界こそ、学会の会館であり、研修道場なのである。
 この創立記念日に当たり、新たに「関西池田記念会館」も誕生した。
 あの「大阪の戦い」から五十周年の佳節にそびえ立った師弟常勝の大殿堂である。私も訪問できる日を何よりも楽しみにしている(=2007年11月訪問)。
5  アメリカの高名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏が、先日、「仏法の発展と創価の三代会長」をテーマに八王子で講演を行われた。
 そこで、ストランド氏は、明晰に論じてくださった。
 ――釈尊の教団も、三代。大聖人の教団も、三代で基盤が確立した。創価学会も、
 初代は「教団の創立」
 二代は「形成と成長」
 三代は「完成と永遠化」
 という役割を果たして、完璧な宗教運動ができあがった。
 宗教は、早い時期に、どれだけ高い完成度に到達できるかが、その永続性に関わってくる。その意味で、創価学会の軌道が、三代で完成したことには深い意義がある。
 後継の弟子は、この″三代会長″の精神という幹からは決して離れてはならないのだ――と。
 私自身のことにもなって恐縮であるが、真摯に仏法を探究し抜いてこられた、西洋の知性の声として、そのままご紹介させていただいた。
6  法華経には――
 「我れは常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」(法華経479ページ)という重大な一文がある。文底から拝するならば、大聖人が御本尊をあらわされ、末法万年尽未来際の衆生のために、御本仏の大生命を留め置かれた御姿であられる。
 この大法を、地球上に慈折広宣流布し、まさに「我れは常に此の娑婆世界に在って、説法教化す」の経文を身読しているのが、創価学会だ。
 すなわち、学会は、それ自体が、「創価学会仏」というべき存在なのである。
 これが、戸田先生の絶対の大確信であられた。
 ゆえに、学会員に尽くすことが、仏様に尽くすことだ。
 創価学会の師弟を護ることが、正法正義を護ることだ。
 創価学会の陣列を拡大することが、広宣流布を拡大することなのである。
 どれほど偉大な使命と宿縁と福運の創価学会であるか。
 「雖近而不見」(近しと雖も而も見えず)」(法華経490ページ)になってしまえば、自分が損をする。
 智慧のない仏はいない。
 慈悲のない仏はいない。
 勇気のない仏はいない。
 不幸になる仏など、いないのである。
7  この「創立の月」を、わが同志は目覚ましい聖教新聞の拡大で慶賀してくださった。心より感謝申し上げたい。
 聖教新聞の放つ言論は、混迷の時代を照らしゆく哲学の光である。希望の声である。正義の響きである。
 御金言には――
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に」と断言なされている。
 聖教新聞こそ、我ら創価の破邪顕正の師子吼なのだ。
 フランスの信念の文豪ロマン・ロランは、鋭く訴えた。
 「いくら嘘をついても、真実はごまかせない」(『革命によって平和を』蛯原徳夫訳、『ロマン・ロラン全集』18所収、みすず書房)
 真実ほど強いものはない。
 真実ほど明るいものはない。
 聖教と共に、勇敢に真実を叫び、朗らかに堂々と真実の勝利の旗を打ち立てるのだ。
8  仏教発祥の天地インドの大哲学者ロケッシュ・チャンドラ博士は語ってくださった。
 「牧口先生が創始し、戸田先生が推進した『価値創造の思想』は、池田先生によって世界各地に広まり、地球的規模の広がりをもつようになりました」
 「生命について本質的な価値を創造しているという意味で、創価学会は、現代世界における比類なき存在なのです!」(『東洋の哲学を語る』。本全集第115巻収録)
 今、身近な地域にあっても、激動の国際社会にあっても、「生命尊厳」を掲げた、創価の平和と文化と教育の「智慧」と「力」が切望されているのだ。
 「地涌の義」の法則通り、この時を願い待った人材群も、次から次へ、歓喜踊躍して湧き出でている。
 「不惜身命」「異体同心」の学会精神は、不滅である。創立八十周年へ、世界広宣流布の新しき絵巻が絢爛と綴られ始めたのだ。
  創立の
    決意も新たに
      千万の
    同志の心は
      いやまし燃えなむ
                ――十一月十七日、学会本部・師弟会館にて。

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