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日蓮大聖人・池田大作

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「敬老の日」に寄せて 「広宣流布の人」こそ「国宝」の人

2006.9.18 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「老年は心の花盛りだ」(『道徳書簡集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)
 これは、古代ローマの哲人セネカの味わい深い箴言の一つである。
 「敬老の日」とは、その「心の花盛り」の尊き大先輩方に、心から尊敬を捧げ、最敬礼しゆく日であると思う。
 世界的に著名なスイスの大思想家ヒルティも、しみじみと語った。
 「人生は老境においてますます美しく、崇高なものになることが可能であり、またなるべきである」(氷上英廣「ヒルティの生涯」、『ヒルティ全集』1所収、白水社)と。
 「高齢社会」は人生を、より美しく、より崇高に輝かせゆく可能性を帯びているのだ。
 そのためには、確かな哲学が必要だ。豊かな連帯が不可欠だ。
 大仏法は、その源泉となりゆく希望の哲理である。
  妙法は
    歓喜の法と
      いや増して
    朗らか王者と
      長寿を楽しめ
2  今、日本において、六十五歳以上の高齢者人口は、どれくらいであろうか。
 約二千六百万人である。総人口に占める割合、すなわち「高齢化率」は、二〇パーセントを超えた。要するに、国民の五人に一人が、高齢者となったのだ。
 皆が安心と活力と生き甲斐をもって人生を飾りゆけるように、いかに社会の諸制度を確立していくべきか。今こそ、政治が、真剣に聡明に取り組まねばならぬ重要な課題は、山積しているはずである。
 お隣りの韓国や中国なども、高齢化社会に入ってきたといわれる。
 中国の友人から伺った話では、旧暦九月九日(重陽節)を、九九が「久久」と同音であることから、長久長寿の意義を込め、「老人節」として大切にされているそうだ。
 欧州でも、高齢者の貴重な「経験」を、もっと社会に還元していこうという活発な取り組みが話題になっていると、わが友が語ってくれた。
 高齢者の方々が、「希望」と「誇り」と「喜び」に満ちて生きられるか、どうか。
 ここにこそ、人間主義の社会のバロメーターがあることは、いうまでもない。
 我らの創価の世界は、その生き生きとしたモデルを示しゆくのだ。
  この同志が
    大関西を
      築きたり
    三世に輝く
      多宝の長者か
3  誉れ高き「大阪の戦い」から五十周年――。
 今年も、わが大関西の同志の躍進は、まことに美事であった。
 あの歴史的な法戦に臨み、私と共に寝食を忘れて戦ってくれた、紅顔可憐な若き友も、七、八十代となった。まさに「光陰矢のごとし」だ。
 何より嬉しいことは、多くの忘れ得ぬ草創の同志から、「先生、まだまだ戦いまっせ!」と、意気軒昂の便りをいただくことだ。
 ご家族や後輩たちが、功労者の健在ぶりを教えてくださることも少なくない。
 報告を聞くたびに、妻と二人して「いついつまでもお達者で!」と祈る日々が続いている。
 当時、父や母の戦う後ろ姿を見つめた幼子たちも、今や立派に大関西の重鎮と育ってくれた。
 そして、その父母の孫や、ひ孫の世代が、私が絶対の信頼を置く今の青年部だ。
 ″常勝後継″の滔々たる流れは、完璧にできあがった。
  多宝会
    涙なくして
      語りえぬ
    広布の敢闘
      先駆の法戦を
4  国や組織が衰退しないための要諦は、いったい何か。
 釈尊は説いた。
 「女性を尊重すること」と「年配者を尊重すること」を決して忘れてはならないと。
 日蓮大聖人も、中国の歴史を俯瞰されながら、「年配者を大切にすることが勝ち栄えていくための根本の功である」と教えてくださっている(御書一二五〇ページ)。
 宝の中の宝である「多宝会」「宝寿会(東京)」「錦宝会(関西)」の方々を尊敬し、大事にしていく限り、学会はさらに隆々と発展していくことができるのだ。
 各地の座談会でも、円熟の先輩方の存在が光っている。
5  もう三十年近く前になろうか、思い出深き大中部の人材の宝城・三重研修道場を訪れた折のことである。
 地元で走り抜いてこられた多くの尊き母たちと、私は正しく深き人生の懇談をした。
 夫に先立たれ、貧乏のどん底で入会した母もおられた。
 最初は、子どもたちの多くが反対。よく、野良着で田畑に出るように外出し、途中で着替えて、座談会や折伏に向かったという。
 折伏に歩けば、悪口罵詈され、村八分のように苛められた。しかし、「必ず幸せになる信心だ!」と大確信をもって、雨の日も、風の日も、地を這うように、村から村へ走り抜いた。
 九人の子どもも、成人して県外に散っていた子を含め、全員、入会に導いた。
 もともと、寺もない地域である。学会員が亡くなると、彼女が導師を務めて、立派に読経をし、故人を送った。
 すでに傲慢な坊主抜きの清々しい「友人葬」の先駆を行っていたのである。
 この母の折伏・指導によって、多くの広宣流布のリーダーが育っていった。
 ″広布一筋″の偉大なおばあちゃんは、子や孫も創価の庭で成長し、一家眷属が大福運に包まれていることを、心から感謝しておられた。
 私は深く感動した。私は泣いた。
 そこには、戦い抜いてこられた人間の、あまりにも尊く、あまりにも輝かしき心の光があった。黄金の光があった。
 「母は勝ちたり」――所願満足の気高き笑顔皺を、私は生涯、絶対に忘れることはできない。
6  私が対談したアメリカの有名な未来学者ヘンダーソン博士は、語っておられた。
 「どんな大きな成功よりも、『あなたのおかげで、新しい人生を進むことができた』と言ってもらえるときほど、幸福を感じることはないのです」(『地球対談 輝く女性の世紀へ』。本全集第114巻収録)
 そうした最上の幸福の勝利者こそ、多宝の同志である。この老いたる広布の父母を讃えずして、誰を讃えるのか!
 この尊き信念の庶民を敬わずして、誰を敬うのか!
 こうした仏法の真剣にして誠実な実践者こそ、真の「国宝」であると、伝教大師は名づけられた。
 誰が偉いのか。誰人が真実の生命の勝者というのか。
 広宣流布の人こそ、「国宝第一」の尊き人なのだ。
 私は、無名無冠の国宝の同志を、終生、草の根を分けてでも探し出して、顕彰していく決心である。
  見るもよし
    見ざるもよしと
      ひたすらに
    仏天輝く
      広布の闘士よ
7  「蔵の財よりも身の財」「身の財より心の財第一なり」「心の財をつませ給うべし」 この簡潔な御聖訓は、年齢とともに一段と重みを増してくる。
 人生の最終章は、いかなる財を積んできたか、その総決算が問われるからだ。
 どんなに「蔵の財」を積み上げようとも、死後に持っていくことは絶対にできない。
 「蔵の財」に目が眩んで、「心の財」を積むどころか、反対に壊して転落してしまう、増上慢という愚かな人生の敗北の末路の惨めさ!
 これらの浅ましき金の亡者どもの行く末を、御書では「有財餓鬼」と厳しく叱り、戒めている。
 貪欲に蔵の財をため込んで、独り占めして、人びとに恩返ししようともしない。社会に還元しようともしない。
 そうした強欲な輩は、いずれ、馬の蹄のわずかな水を貪り続けざるを得ないような餓鬼道に堕ちる、と言われるのである。
 ともあれ、大中国の文豪・魯迅も、「人間の最も大事なことは『晩節』であって、よく気をつけないと、これまでの功績を台なしにしてしまうからだ!」と警告を発していた。
 人類の教師プラトンが、大著『国家』のなかで、「不正な人間」の結末について喝破した一節も、古来、深く読み継がれてきた。
 「たとえ若いうちはその正体を気づかれずにいたとしても、競走路の最後まで来たときに、捕えられて笑いものになり、年老いてからは、よそ者からも同市民たちからも惨めなありさまで辱しめを受け、鞭打たれ……」(『国家』下、藤沢令夫訳、岩波文庫)と。
 いかなる狡猾な悪党たりとも、人生の最後においては、必ず何らかの報いを受ける。いな、断じて厳正に裁かれねばならぬという、プラトンの魂の叫びであった。
 御義口伝には、「所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 権力の毒に狂い、同志を裏切り、私利私欲のため、忘恩の悪行を尽くした輩を見るがよい。
 学会のおかげで政治家になれ、偉くなれたにもかかわらず、その大恩を忘れて、増上慢になり、愚かな物欲の虜になった、公明党の幹部だった元議員が、皆から軽蔑され、落ちぶれてゆく姿はご存じの通りだ。
 因果の理法の仏法は厳しく、真実にして尊い。
 恩知らずは、必ず地獄に堕ちる。
 反逆の輩は、必ず無間地獄に堕ちる。
 これは、仏法の方程式だ。
 卑劣な悪事は白日のもとに晒され、その罪業は未来永劫に断罪され続けるのだ。
 「冥の照覧恥かしからざらんや地獄の苦み恐るべし」との仰せを、よくよく拝さねばならない。
 悪人の厳罰の姿は、後世への重大な教訓なのである。
8  「私は自分が年寄りだと思ったことはありませんし、いつも青年の気持ちでいます」
 世界平和の実現のために生涯を捧げられたロートプラット博士は、九十代半ばにして、私に快活に語られた。「この頃は肉体的な老化を感じるようになりました。しかし、それは肉体だけであって、精神はそうではありません。私自身、まだ若々しい精神で生きています」 生身の体である。何十年も働き、酷使すれば、あちこち傷んでくる。誰しも、何か持病に悩まされるものだ。
 さらにまた、配偶者を亡くされ、独り暮らしのお年寄りもおられる。友人の死など、別離の寂しさも重なってくる。老後の不安は、誰人たりとも当然あることだろう。
 しかし大聖人は、子どものいない佐渡の老いたる門下をこう励まされている。
 「釈尊があなたの親であり、日蓮があなたの子ですよ」
 「仏になることこそ、終のすみか(人生最終の住まい)と心を定めていくことです」(御書一三二三ページ、通解)
 多宝の皆様には、この妙法がある。
 同志がいる。学会がある。私がついている。
 トルストイが断言したように、「人間は病気のときも健康なときも変わりなく、自分の使命を遂行できる」。
 その通りだ。
 生涯、強く、強く生き抜いていくのだ。苦悩に負けない強靱な心に、仏はあるからだ。
 日蓮大聖人は、御年六十歳の御手紙に、こう仰せであられる。
 「日々の論義・月々の難・両度の流罪に、身も疲れ、心も痛んだ故でしょうか、この七、八年の間、年ごとに衰え、病気がちになってきましたが、大事には至りませんでした」(御書一一〇五ページ、通解)
 間断なき大闘争のゆえに、御本仏も、その晩年、さまざまな病気を抱えておられた。
 しかし、広宣流布への金剛不壊の闘魂は、旭日のように赤々と燃え輝いておられた。
 ある時は、門下への丁重な御返状のなかで、大聖人は「あなたがお見えになり、ワカメをいただいて、元気になりました」と綴られている。
 「虎だって、捕まえられますよ」「師子の背中にだって、乗れますよ」等と、闊達に御書には記されているのだ(一五八七ページ、趣意)。
 この迫力漲る仰せに、弟子たちは、どんなに勇気百倍、奮い立ったことであろうか。
 私も、この御本仏に直結の法戦の闘志を燃え上がらせて、これまで幾度も病気を乗り越え、ありとあらゆる大難を勝ち越えてきた。
 我らの信心とは――
 宿命転換の信心である。
 更賜寿命の信心である。
 生涯青春の信心である。
 健康長寿の信心である。
 絶対勝利の信心である。
 広宣流布に生き抜き、戦い抜いた師弟には、三世永遠の成仏が決定している。
 「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」と、大聖人はお約束である。
 ゆえに我らの人生は、晴れ晴れと輝き、侘しく暗い後悔の影など断じてないのだ。
 私は、いつも、二祖・日興上人が、三祖・日目上人を讃嘆された御言葉を思い起こす。
 「日目は、十五の歳に日興に会い、法華を信じてより以来、七十三歳の老体に至るまで、敢えて遺失の義がない」
 どこまでも「師弟の道」を真っ直ぐに歩み通すことこそ、人間として究極の「勝利の総仕上げの道」なのである。
                                      ◇
 永遠の
   不老不死なる
    妙法を
  持ち生き抜け
     多宝会かな
9  「青年と老年の同盟」を訴えられたのは、牧口先生とも交流の深かった教育者・新渡戸稲造博士である。
 「真に偉大なる人とは青年と心を結べる人なり」という箴言を挙げて言われた。
 「老年の知恵は青年を叱ることにあるのではなくて、清新なエネルギーをさし向けるべき道を示すにある」と。
 そしてまた、「真に希望にみちた青年とは、老年と心を結べる人である」と。
 学会は、どこまでも青年を回転軸として、ダイナミックな「老・壮・青」の結合で大前進してきた。だからこそ、厳しき社会に根を張り、堂々と勝ち抜いてきたのだ。
 アメリカの″人間国宝″ともいうべきローザ・パークスさんは、八十一歳の時、生涯に、ただ一度、太平洋を越えて東洋まで足を運んでくださった。それが、私と妻の招聘に応えられての創価大学訪問であった。この「人権の母」が、その前年、私に言われた言葉を、忘れることはできない。
 「私の一番の趣味は、若者たちと一緒に働くこと、若者の手助けをすることです」と。
 わが婦人部の皆様方も、また同じ心で、青年を育んでくださっている。
 今、平日、昼間の時間帯に学会活動に励まれる、壮年部の「太陽会」の同志の健闘もまことに目覚ましい。
 戦後まもない、ベビーブームのなかで誕生した、いわゆる「団塊の世代」の方々も、いよいよ大量に定年を迎える時代となった。
 わが学会においても、今日の広宣流布の大発展の原動力となってくれたのは、この「団塊の世代」の人材群だ。
 信心に定年はない。
 ゆえに、創価の「団塊の世代」は、最も充実した人生の総仕上げの模範を、若々しく悠々と示していただきたい。
 そして、これからの「高齢社会」へ、颯爽と、新たな広宣流布の旋風を起こしていかれることを、私は期待してやまない。
                                      ◇
 真っ赤に燃え輝く、荘厳なる夕焼けを見ると、満足と喜びが胸にあふれる。
 「明日も晴れる!」と。
 三世永遠を照らす、勝利と希望の太陽の大哲学を持ちたる多宝会のわが友よ!
 断じて生き抜け!
 悠然と進め!
 そして、断固と勝ち抜け!
 私と共に!
 十九世紀、名門ベルリン大学の創設に尽力し、終生、人材の育成にも身を捧げた、ドイツの哲学者シュライエルマッハーは言った。
 「最後まで青年の力と楽しみを維持してゆきたい。最後まで、行為するごとに強くなり、いっそう生き生きとなるようにありたい」
 人生は最後の勝利が、最高の勝利である。
10  世界一
  随喜の心の
     多宝会
   永遠に崩れぬ
     仏は君かと
11  ――台風十三号により被災された、沖縄、九州、中国、四国の皆様に、心からお見舞い申し上げます。
12                                  (2006年9月18)

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