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日蓮大聖人・池田大作

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希望の女子部・結成55周年を讃う 尊き『誓願』の青春に歓喜あり

2006.7.20 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1   春が来た
  夏が来た
  勝利の太陽が来た
  向日葵は 花の王者
  秋冬へと輝きゆく
      幸福の花
 乙女たちの笑顔のように、五十五本の黄金のヒマワリが、満面の笑みで咲き誇っていた。
 八王子の創価大学の近くにあるヒマワリ畑のご主人が、「女子部の結成五十五周年のお祝いに」と、美事な花籠をお届けくださったのである。
 私は、すぐに御礼をお伝えするとともに、早速、創価女子会館に飾っていただいた。
 一昨年、私が車で大学周辺を回っていた折、満開の花畑に心を惹かれ、思わずカメラのシャッターを押した。その写真がきっかけで、この畑のご主人とご縁が結ばれた。近隣の婦人部の方が、日頃から誠実に友好を重ねてきたご一家であられる。
 戸田先生も、ヒマワリが大変お好きであった。
 ある日ある時、女子部員が学会本部の会長室にヒマワリの花を生けたことがあった。大変に喜ばれた先生が、「ヒマワリのように、大きな力を持って生きるんだよ」と励ましていた姿も懐かしい。
 ともあれ、日本も、世界も、内外の方々から、わが女子部の爽やかな前進を賞讃する声が数多く寄せられている。
 晴れやかな結成五十五周年、本当に、本当におめでとう!
2   女子部の日
    この日は広布と
      学会の
    誓い込めたる
      師弟の日なるか
 一九五一年(昭和二十六年)の七月十九日の木曜日、西神田の学会本部には、生き生きと七十四人の女子部員が集った。師である戸田先生のもと、清らかな瞳の、そして使命も深き、永遠の未来の空に向かって伸びゆく女子部が誕生したのである。先生は、乙女たちに慈眼を注ぎながら言われた。
 「女子部は、一人も残らず幸福になりなさい」
 先生は、これまでの女性史は″宿命に泣く女性の歴史であった″と厳しく指摘された。この不幸な歴史を大転換していく使命を、先生は、若くして妙法を持った女子部に期待されていったのだ。
 さらに「女性の幸福の根本条件こそ、永遠不滅の妙法の哲学である。純粋な、忍耐強き信心に生涯を生ききることだ」と、心の底から訴え、教えられた。
 簡潔な、この指導のなかに、創価の人間主義の核心がある。
 当時は、敗戦から、まだ六年後であった。忌まわしき、あの戦争の傷跡は、あまりにも深かった。暗い不幸を嘆く女性の声は、社会の随所に満ち満ちていた。それは、民衆を侮蔑し、堕落した権力の魔性の犠牲であったのだ。古代ギリシャの大哲学者プラトンが明言した通りである。
 「極悪非道となる連中というのも、権力者たちの間から生まれてくる」(『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)
 戸田先生は叫んだ。
 ――人類は、「女性の幸福」に焦点を定めて、歩みを変えていかねばならない。そのためにも、若き女性が確固たる哲学を持つことだ。いかなる宿命にも負けない、強き生命力を持つことだ、と。
 それは、女子部への永遠の励ましになっている。
 私も妻も、恩師の心を我が心として、勇み戦ってきた。「
 大事な女子部が一人も残らず幸福に」と、真剣に題目を送り、祈らない日は、一日としてなかった。
3  女子部の結成式に、妻は、勤めていた銀座にある銀行の仕事を終えて、駆けつけたようだ。
 一九四一年(昭和十六年)の七月十二日、小学生の時に、父母と、信仰の道を歩み始めていった妻は、この時、入信十周年を迎えたばかりであった。
 殉教の師・牧口常三郎先生と、幼くして出会いを結ぶことのできた妻は、いわば「未来部の一期生」でもある。
 そして、広宣流布のための、戸田先生の真剣なる手作りの「女子部の一期生」ともなった。来る日も来る日も、仕事と広宣流布の学会活動の両立に懸命に努力しながら、草創の女子部の建設のために、班長として奮闘していった。
 時には、部隊トップの拡大も成し遂げたと、笑顔で語っていた。
 ともあれ、一九五二年(昭和二十七年)、あの蒲田支部の「二月大闘争」でも、折伏に、仏法対話に、それはそれは真剣に走った。
 師匠と共に戦いし青春は、栄光の輝きをもった永遠の人生である。
 創価女子会館に設けられた記念展示の一角に、戸田先生が私の妻に贈ってくださった御書が置かれている。その扉には、一九五八年(昭和三十三年の二月十一日、先生が最後の誕生日に詠んでくださった一首の和歌が認められている。
  月光の
    やさしき姿に
      妙法の
    強き心を
      ふくみ持てかし
4  戸田先生から薫陶いただいた、この「強き心」を、女子部の皆さんに伝えられることを、妻は深い喜びとしているようだ。
 先生は、一貫して訴えられた。
 「信心は強気でいけ!」
 「世間が、何と言おうが、強気でいけ!」「学会は、最後まで強気でいけ!」
5  アメリカの″人権の母″エレノア・ルーズベルトは言った。
 「世界で最も不幸な人間というのは、せっかくの時間を何に使ったらよいかわからなくて、いたずらに一日を迎え一日を送る人間のことをさすのだろう」(『生きる姿勢について』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳、大和書房)
 戸田先生の女子部への訓練は、温かくも厳しかった。
 先生は教えられた。
 ――信心してない人は、勤行もない。会合も行かなくてもよい。
 勝手気ままに自由に生きたほうが、幸福であるように見えるかもしれない。
 しかし人生は、そんな簡単ではない。厳しき因果の理法が人生だ。
 何のために、哲学は人間に必要なのか。何のために、仏法は人生に必要なのか。
 この大仏法こそ、絶対の幸福を根本的に追求し、万人に会得させんがために、先達が命を賭けて残された、光り輝く大道ではないか。
 ただ自由勝手でよいならば、学校に行く必要はない。勉強する必要もない。しかし、それでは、必ず後悔が残る。
 その反対に、哲学を学び、仏法を学び、生命の奥深さを見出していく。そして広々とした心で、深く感涙し、感動しながら、永遠の喜び、真実の幸福を探求し、体得することが、どれだけ大いなる歓喜であるか。
 人生の深き不思議さとともに、無限の喜びに充満される自己の生命を知ることの嬉しさは、いかばかりであろうか。
6   かぐや姫
    語り楽しく
      青春を
    心の奥から
      美光 浴びゆけ
 「心大歓喜」(心は大いに歓喜す)――この法華経の一節(法華経一六一ページ)を私が認めた和紙は、長年、学会本部に置いてあった。
 私は、それを創価女子会館の誕生の記念に贈らせていただいた。
 この言葉は、法華経全体で十カ所以上、記されているが、特に印象深いのは、竜女の女人成仏が説かれた個所である。
 舎利弗はじめ、男性の二乗の弟子らから軽んじられ、侮られていた若き竜女が、「我が成仏を見よ」(法華経四〇九ページ)と仏になった。
 そして、その童女が、人びとと諸天に普く法を説くのを見て、娑婆世界の菩薩たちは「心は大いに歓喜し」(法華経四一〇ページ)、はるかに敬礼を捧げ、無量の衆生もまた、その法の恩恵に浴したのである。
 竜女は誓って叫んだ。
 「我れは大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」(法華経四〇七ページ)
 竜女は「苦しんでいる人を救わずにおくものか」と、仏の強い強い心を我が身に開き、仏と同じ行動に立ったのである。
 法華経に説かれた、この生命の劇は、苦悩に沈む人びとにとって、「私も幸せになれる」という無限の希望の法則となった。
 まさしく広宣流布に立つ正義の誓願の、永遠の勝利の心となったのだ。
 これこそ、わが女子部の心である。
7  女子部の最高幹部の集いである華陽会で、戸田先生は、真剣な表情で言い残された。
 「広宣流布は、女性の手でできる」
 どれほど深い意義があるか。今でも、私たちはその指導を噛みしめている。
 女子部を大切にして、多くの対話をすることだ。
 女子部が成長することが、その家族が幸福になることだ。さらに、将来の結婚の相手が、その相手の家族が、さらに生まれてくるお子さんが、全部、広宣流布の大きな波を創るリズムになっていくことを忘れてはならない。
 ゆえに、女子部を大切にした組織は、皆が幸福になり、明るく、未来は勝利だ。
 その反対の愚かな指導者がいる所は、会員を不幸にし、広宣流布の世界を、自分の無謀にして愚かな″威張り″によって壊してしまうのだ。
 それは、地獄の指導者だ。断じて、そんな連中についてはならない。
 師匠の戒めを甘く考えて、純粋な女子部を、下に見たり、馬鹿にしたりした輩は、必ずといっていいくらい、皆に嫌われ、最後は堕落し、退転し、皆の厄介者として軽蔑されていることも事実である。
 皆様も、ご存じの通りだ。
 だからこそ、戸田先生は、厳しく叫ばれた。
 「師弟は不二であるゆえに、初代の心を継いだ第二代の私と共に戦うことが、牧口先生に対する報恩ではないか」
 そしてさらに、戸田先生は、「学会を裏切って、まともな死に方をするわけがない。断じて仏罰を受ける」と断言されたのである。
 二十世紀のブラジルの大作家ギリエルメ・フィゲイレド氏は、二十二年前、私がお会いしたジャン・フィゲイレド大統領の兄君である。
 彼のこの一言は、私の胸に深く突き刺さった。
 「真実は、私たちが生きる目的だ」(牧原純編訳『狐とぶどう』、『ブラジル戯曲集』所収、未来社)
 戸田先生は、真実を見通す″女子部の眼″を尊重されていた。
 男性は嘘をついたり、ヤキモチを焼いている場合もある。自分を正当化しようとする作意もある。感情と偏見で人を見る場合もある。
 それを見抜かれていた先生は、よく会長室で、女子部に、どの議員が良い議員か、悪い議員か等と、聞いておられた。
 女子部の意見を驚くほど大切になさっていた。
 「よく見ている。女性の眼は怖い。厳しい。女子部の眼は本当に正しい。正視眼である」と、先生は言われたのである。
8   人生の
    究極 生きなむ
      無上道
    悲しみ去れよと
      愉快な日日たれ
 一人が一人を立ち上がらせ、その一人がまた次の一人を立ち上がらせる――。
 この勇気の波動の中心に、気高き使命の女子部が、常にいた。いな、必ずいた。
 戸田先生は、心清きゆえに、悩みも多き乙女たちに対して、こうも語られた。
 「我々は最高の仏法を弘めているのであるから、御聖訓に説かれた通り、難のあるのは当然である。くれぐれも忘れないでもらいたい」
 難があるから仏になれる。悩みがあるから成長できるという原理を、釈尊も、大聖人も仰せである。
 弱い自分自身に囚われた感傷的な女性は、不幸の入り口へ来てしまう。センチメンタルは、青春の落とし穴である。
 「各人の生活の苦悩や戦いの物語は、すべての人にとって教訓となる」(『我が生涯の記』1、加藤節子訳、水声社)
 私は、このフランスの女性作家ジョルジュ・サンドの言葉が、大変、好きであった。
 苦労した分だけ、大勢の人びとを励ましてあげられる、大きな強い自分になれるのだ。
 「勇敢に進もう!」「朗らかにいこう!」
 これこそ、大切な女子部の合言葉にふさわしいと、私は思ってきた。
 各地で開催された「世界の書籍展」で、深い感動を広げた学会の重宝がある。それは、目も耳も口も不自由であったヘレン・ケラーが、自ら書き綴った一通の書簡である。
 「暗闇と静寂しかないところでも、太陽や花や音楽を楽しむことができるなら、それこそ、人間の深遠さを証明するものでしょう」と。
 ともあれ、女子部の時代に、一生涯の「信心の土台」を築き上げることだ。「人生の土台」を作り上げることだ。それが「一生成仏」の推進力となり、永遠の「幸福勝利」の原動力となるからだ。
 創価女子会館も、その基礎づくりの工事は、じっくりと積み重ねられていた。
 私と妻は、その間、何度も何度も、車で側を走り、題目を唱えてきた。
 人生の幸福の大宮殿の基盤を築くのが、青春時代である。
 具体的には、女子部の時代に、自分らしく「これだけはやりきった」「この信心の体験を積んだ」と語りゆける歴史を残すことだ。
 「卑しむべき無信仰こそが、諸々の悪の元凶である」と叫んだ哲学者がいる。
 正しき信仰を持った青春ほど、尊く強いものはない。
9  青春の心は、多感であり、繊細でもある。
 婦人部の方々をはじめ、大きな心で受け止め、包容してくれる先輩の存在が、どれほど心強い支えとなるか、計り知れない。
 自他共に、幸福になるための信心である。いたずらに窮屈にさせたり、絶対に萎縮させてはならない。
 大聖人は、千日尼に対して、同志への指導の在り方をこう教えられた。
 「浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし」「重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし
 妙法の世界に「変毒為薬」できぬ問題など、何一つない。
 ゆえに、皆が自信を持ち、希望を持って、伸び伸びと、晴れ晴れと前進できるように、リーダーは、聡明にして忍耐強い指揮をお願いしたいのだ。
 いつまでも、どの場所でも!
 今、時代は乱れ、若い女性を狙った、凶悪な事件が続いている。ゆえに、これまでも繰り返し申し上げてきた通り、女子部は帰宅時間が絶対に遅くならないように、注意し合っていただきたい。
 学会全体としても、一段とこまやかに、女子部の安全に配慮していくことを確認したい。
 「細心であることは、一種の賢明というものである」(トーマス・マンが『講演集 ゲーテを語る』〈山崎章甫訳、岩波文庫〉)とは、文豪ゲーテの言葉である。
 女子部の結成五十五周年はまた、幾重にも意義深き歴史を刻んできた。
 ″創価の花″として、会合の運営に携わる白蓮グループは結成四十周年。
 美容のアーチストが集う、華冠グループも四十周年。
 理容師の集いである二葉グループは三十五周年。
 ″妙音の天使″富士鼓笛隊は五十周年。
 女子学生部は、明年、五十周年を迎える。
 さらに活躍の舞台は、「女性の時代」のトップランナーの名にふさわしく、あらゆる分野に広がってきた。
 女子部教学部。女性平和文化会議。富士合唱団など各合唱団。看護者の白樺グループ。女性の医師・医歯学生の集いである桜冠会。女子青年教育者。社会部。デザイングループ。女子部国際部……。
 みな、「桜梅桃李」の法理そのままに、社会と世界という大カンバスに、百花繚乱の大画を悠然と描いている。
 SGIの世界百九十の連帯のなかでも、女子部の活躍が目覚ましい。女子部が一粒種となった組織も、少なくない。
 さらに、イギリス、イタリア、ポルトガル、ノルウェー、そしてアルゼンチン、台湾等、英邁な女性の総合青年部長、青年部長が次々に誕生している。
 ブラジルを代表する女性教育者として名高い、名門ロンドリーナ大学のプパト総長は、私への名誉博士号の授与のために、はるばると来日してくださった。
 その折、世界の女性へのエールとして、こう語っておられた。
 「大切なのは、正義を信じること。自分がしていることは正しいと信じることです。
 さらに、状況は変えていくことができると信ずること。そのために、自分ができることをしていくこと。そうすれば、絶対に社会をよくしていくことができます」
10  現代において、いかなる企業も、そしてまた、いかなる団体も「女性が力強く輝く」ところが、変化の連続のなかを、勝ち抜いていることは、明白なる事実である。
 これが、全世界の趨勢であり、歴史の必然であると語った著名な識者がいる。
 私が共に対談集を発刊した未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士は、一人の女性として環境問題に立ち上がり、今や世界的に活躍されている。その運動が、一波から万波へと広がった理由について、博士はこう語られていた。
 「普通の市民が何かやろうとすると、最初は『無理ではないか』とか、『壁は厚いだろう』と感じるものです」(『地球対談 輝く女性の世紀へ』。本全集第114巻収録)
 しかし、とても一市民の力では不可能だと思えるようなことでも、皆が力を合わせて取り組めば、必ず道は開けてきます」(同前)と。
 そして、大事なことは、″不撓不屈であること″、″絶えずあきらめることなく、人びとに対して、私たち一人ひとりには、より高貴な自我が内在することを訴えていくこと″と強調された。
 私たちが進める「広宣流布の運動」も、その通りである。
 博士は、創価学会を「最もよく組織された、最も不撓不屈の民衆の団体」と心から讃えておられた。
 若々しい女子部の時代が来た。明るい、あまりにも明るい女子部の時代が来た。
 老いゆく幹部たちも、皆、女子部を眩しく見つめている。若々しく指揮が執れる女子部の存在が、いやまして重要になってきた時代である。
 女子部の成長、女子部の幸福を、絶対に私たちは祈っていかねばならないのだ。
 そこに、未来の勝利があるからだ。
 わが女子部は、最高の青春を、最高に楽しく、最高に充実しきって生き抜いていただきたい。
 一人も残らず、幸福に! そのために、一人も残らず断じて負けるな!
  花と咲け
    花と薫れや
      花の道
    広宣流布の
      舞台で楽しく

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