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日蓮大聖人・池田大作

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中国京劇院「三国志」 我らは平和と正義の「王道」を進む

2006.7.5 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  いつの時であったか、大賢者であられた、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁が語った温かい言葉が、今もって私の耳朶から離れない。
 「一人の指導者が道を開けば、皆が、その後に従います。
 未来は、ひとりでにやってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その代表が、池田先生です」
 真心あふれる励ましであった。
 総裁とは「人権の世紀」へのビジョンを論じ合うとともに、世界の文学も語り合った。
 その中で、「『三国志』のお話を聞かせていただきたい」と言われた時は、本当に驚いた。当時、博士は九十四歳である。偉大なる人は、どこまでも深く人類の叡智を追究している。
 今回は、この『三国志』について、少々、語らせていただきたい。(以下、民主音楽協会発行『中国京劇院 三国志――諸葛孔明』を参照)
                                      ◇
 本年の六月十八日、創価大学の記念講堂で、民音の招聘で来日された、文化の至宝ともいえる「中国京劇院」の特別公演が開催された。
 訪日団の井頓泉せいとんせん名誉団長(中国人民対外友好協会副会長、中日友好協会副会長)をはじめ、三千八百人の方々とご一緒に、私は、この「三国志――諸葛孔明」の素晴らしき劇を鑑賞させていただいた。
 その劇を通して示された、真剣なる出演者とスタッフの方々の究極の深き芸術の輝きを、私は忘れることができない。
 そこには、人間学があった。
 将軍学があった。
 生死の場面があった。
 師弟の場面があった。
 かつて、戸田城聖先生は、私たち青年に、「『三国志』は、人間指導者の最良の教科書であると思って学び給え」と仰せになった。
 創価大学での舞台は、「三顧の礼」「赤壁の戦い」「五丈原」の三場に凝結した構成と演出になっていた。
 まさに「心」と「美」と「技」が一体になった、民衆芸術の極致である。
 戸田先生がご覧になられたら、どれほど喜ばれたことであろうか。
2  第一場――。
 乱世を憂い、人民の幸福を願って、漢朝の復興のために決起した、有徳の指導者・劉備玄徳が登場する。
 両脇に並び立つのは、あの「桃園の契り」で固く結ばれた盟友・関羽と張飛である。
 天下の大業を成就するのは、「人」である。
 ゆえに、劉備は、智略の人材を必死で探し求めていた。そして「当代随一の賢人」の誉れ高き孔明の名を聞いた。
 四十七歳の劉備に対して、孔明は二十七歳。二十歳も年下であった。
 劉備の威徳をもってすれば、呼びつけるのも容易だったかもしれない。
 しかし劉備の方から、若い孔明の草庵に、最大の礼を踏んで、三度にわたり足を運んだのである。歴史に薫る「三顧の礼」だ。
 劉備は、ただ誠心誠意をもって懇請した。
 「世に戦火は絶えません。万民は苦しみ、故郷を追われています。私は弱小勢力ではありますが、どうか、万民のために、まげて、ご出馬くださいますよう!」
 孔明は、農民と親しく交わりながら、悠々と晴耕雨読の生活を続けることもできた。
 だが「人生、意気に感ず」であり、「士は、己を知る者のために死す」である。
 劉備の厚い信義に感じ入り、孔明は決然と立ち上がった。「同じ志を抱き、知遇に報いるために、ついて参ります」
 ここに、劉備と孔明の一体不二の結合が生まれた。
 後に、劉備は言った。
 「孔明と私は、いわば水と魚のようなものだ。魚は水がなければ生きていけない」
 これが「水魚の交わり」という名句の起こりである。
 日蓮大聖人も、この言葉を大切にしておられた。
 御聖訓には「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして」と仰せである。
 この通りに「水魚の思を成して」、「師弟不二」「異体同心」を貫き通してきたのが、わが創価学会である。
3  ところで、最初の出会いの折、孔明が劉備に示した遠大な展望こそ、「天下三分の計」であった。
 当時、曹操は、「天の時」を得て、隆々たる勢いを誇っていた。
 片や、孫権は、「地の利」を得て、盤石なる地盤を築いていた。
 この二大陣営が競合する天下の情勢にあって、三本足の「鼎」のように、第三の勢力を打ち立てることだ。
 では、劉備は、何によって立つべきか。
 孔明は訴えた。
 「『人の和』をもって、民を慈しまれよ」
 「仁政をしき、賢良を招いて、将兵を集め、三国鼎立して争われよ」
 「人望さえ得られるならば、雄飛のときが、必ず来ます」
 後の「魏」「呉」「蜀」の三国時代を創出する大構想であった。
 ――曹操らが誇示してきたのは、権力や策略によって、人民を力ずくで支配する「覇道」だ。
 これに対して、孔明が目指したのは、仁徳と智慧をもって人民の心をつかみ、連帯を広げていく「王道」であった。
 現代的に表現するならば、「覇道=ハードパワー」と「王道=ソフトパワー」とも位置づけられようか。
 かつて中国革命の父・孫文は、軍国主義の日本を戒め、邪悪な覇道ではなくして、正義の王道を進み給えと叫んだ。
 「王道」こそが、アジアの人びとから真に信頼され、共々に勝ち栄えていく道である。
 創価学会は、殉教の先師・牧口常三郎初代会長を原点として、平和と正義の「王道」を一貫して歩み通してきた。
 光栄にも、今回の特別公演には、中国・韶関学院の魏中林院長ご一行、さらにまた、韓国・東新大学の李鈞範総長ご一行も、来賓として出席なされた。
 名誉学術称号の授与のために、激務のなか、わざわざ来日してくださったのである。感謝に堪えない。
 また創価大学に、中国、韓国から、お迎えしている交換教員の先生方も列席された。
 さらに、この七月に中国を訪問する二百人の「青年部訪中団」や「教育者交流団」のメンバーも参加していた。
 文化の大恩ある中国、韓国との友好の流れは、滔々と受け継がれて尽きることはない。
4  戸田先生は、「天下三分の計」を、その世界観、歴史観の上から、現代に蘇らせて、自在に展開しておられた。
 ――何事であれ、二つの勢力だけでは、どうしても対立や衝突や争いの方向にいってしまう。常に不安定である。
 その谷間で苦しむのは、常に寄る辺のない民ではないか。平和と安定のためには、正しき価値観、中道の哲学を持った″第三極″を確立することが、絶対に必要である、と――。
 この戸田先生の卓見は、多くの世界の知性の志向とも一致している。
 アメリカを代表する哲学者のデューイ博士が、政治における第三極の重要性を強調していたことは、よく知られるところだ。
 この四月に逝去された、アメリカの大経済学者ガルブレイス博士も、″二極″の限界性を指摘された。
 博士は二大政党制を分析して、「政党が二つだけでは、完璧な解決策が出てこない」(『人間主義の大世紀を』潮出版社)と論じておられた。
 そして、多様な民意を反映するために、第三極の政党などが参加し、連立して政権を担う意義を、「民主主義のプロセスの一側面であり、現実なのです」(同前)と明快に語られていたのである。
 また、これは宗教の次元になるが、私が対話を進めている宗教研究の大家で、ハーバード大学のコックス教授の指摘も、示唆に富んでいる。
 教授は、二つの音に、もう一つの音が加わって、美しい「和音」が生まれることに譬え、キリスト教とイスラム教の協調のために、仏教が良い影響を与えるのではないかと、希望を抱いておられた。
 そうした文明的な橋渡しの使命を、私たちに期待してくださっているのだ。
 ともあれ、わが創価学会は、今や、確固たる「日本の柱」として、そびえ立った。
 そしてまた「世界の眼目」「人類の大船」として、いよいよ真価を発揮し、貢献していく時を迎えたといってよい。
5  第二場――。
 一転して「赤壁の戦い」が始まる。
 孫権と劉備が同盟して、強大な曹操軍を退けた激戦である。連合の勝利であった。
 舞台は、息もつがせぬ連続宙返りなど、磨き抜かれた妙技が次から次と披露されていった。
 「三国志」を勉強して鑑賞に臨んだ未来部の代表七百人も皆、大喜びであった。
 京劇の世界では「台上三分鐘、台下三年功」(舞台での三分間の演技は、舞台裏の三年間の努力によって支えられている)と言われる。
 その見えざる修行への尊敬と賞讃を込めて、私は名演技のたびごとに、率先して拍手を贈らせていただいた。
 当初、拍手のタイミングをためらっていた場内も、呼吸が一致し、躍動の舞台と一体のリズムで、大喝采の波が広がっていった。
6  第三場――。
 舞台が、いよいよ「五丈原」に入ると、しばし音楽の調べが変わった。
 澄んだ弦の音が奏でる楽調は、あまりにも懐かしき、あの旋律ではないか。
 日本公演のために、土井晩翠作詞の「星落秋風五丈原」の曲を挿入してくださったのである。
 思わず、私は、一篇の詩を口ずさんでいた。
  祁山悲秋の風更けて
  陣雲暗し五丈原……
 それは、一九五三年(昭和二十八年)の新春であった。私たち青年は、先生にこの歌を披露申し上げたのである。
  成否を誰れかあげつらふ
  一死尽くしヽ身の誠
  仰げば銀河影冴えて
  無数の星斗光濃し
  照すやいなや英雄の
  苦心孤忠の胸ひとつ
  其壮烈に感じては
  鬼神も哭かむ秋の風
  …… …… ……
  千載の末今も尚
  名はかんばしき諸葛亮
7  やがて、一心に耳を傾けておられた先生が落涙された。
 「いい歌だ。もう一度、歌って聴かせてくれないか」
 先生は、何度も、また何度も所望されるのであった。
 「私には、天に叫び、地に悲しむ、孔明の痛烈な声が聞こえてきてならないのだ」
 先生は、それは、民を救わんとする「まことの使命を自覚したものの責務と辛さだ」と言われた。そして「この時の孔明の一念が、今日も歴史に生き続けているのだ」と。
 孔明の一念は、また恩師の一念であった。いな、わが師は、もう一重深く強く、愛弟子に真情を語られた。
 「孔明には、挫折も許されたかもしれない。
 しかし、私には、挫折は許されない。広宣流布の大業が挫折したら、人類の前途は真っ暗闇だからだ」
 私たち弟子は、偉大なる広宣流布の大将軍の、心奥の大境涯を垣間見る思いであった。
 「此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり
 大聖人の御心と完璧に合致された、創価の師であった。
8  先帝である劉備の死後も、激闘に明け暮れてきた諸葛孔明は、燃え尽きんとする生命を振り絞って叫んだ。
 ――おお天よ! 私、諸葛亮は、かたじけなくも、先帝陛下が三顧の礼を尽くしてくださり、そのご高恩と、遺児を託された重責にお応えすべく、犬馬の労を厭わず、国賊を討つと誓いました……。
 先帝の高恩を、なんで忘れるものか! 敵を倒す誓いを忘れるものか!
 ただ報恩の至誠であった。ただ天下を安んじ、民衆に平和と幸福をもたらさんとする大誓願であった。
 秋風の五丈原にあって孔明は、「必ず忠心を貫き、国を護れ」と、弟子に後事を厳粛に託した。しかも、慢心の武将について「あの男は謀叛を起こすぞ」と予見し、その悪を除く妙策まで授けておくのであった。
 まさに「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言われた如く、死してなお蜀軍の指揮を執り続けたのである。
 戸田先生も、「先の先まで手を打っておくからな」と、よく言われていた。
 さらに、何人かの傲慢な幹部については、「あいつは必ず裏切るぞ。絶対に信用するな!」と厳重に注意された。事実、その通りになった時、皆が驚嘆したものだ。
 峻厳な先生であった。
 正義の先生であった。
 師匠とは、なんとありがたいものであろうか。その師匠を蔑ろにして、広宣流布ができるはずは絶対にないのだ。
 舞台の孔明は、周囲の将軍たちに訴える。
 「諸将よ、私を助け起こし、先帝陛下を拝ませてくれ」
 そして孔明は、最後に、亡き劉備に深々と最大の感謝を表して、厳かに息絶えた。
 「三国志」の壮大なる人間絵巻のなかでも、ひときわ輝く究極の人生の劇である。
 その光景は、私の生命の奥深くに荘厳に刻印された。世の指導者たちに見せたい。これからの青年リーダーも心に刻んでほしいと思った。
 深い感動の余韻が、場内を包んだ。
9  今回の日本公演は、名脚本家として知られる中国京劇院の呉江院長が新たに執筆された、名場面の集大成であった。
 呉院長は、語られていた。
 「五丈原のくだり、病身をおして民のために指揮を執る孔明の姿が、晩年の周恩来総理とだぶり、私は何度も涙を拭いながら筆を進めました」
 その深き心境が、私には痛いほど伝わってきた。私も、中国の人民日報への寄稿などで、最大の敬意を込めて、周総理を「二十世紀の諸葛孔明」と讃えてきたからだ。
 周総理が常に語られた覚悟が、「鞠躬尽瘁きっきゅうじんすいし、死して後己まん」(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)であった。
 諸葛孔明の言葉である。
 思えば、偉大な中国京劇院を最大に護り、常に励ましてこられたのも、周総理であられた。私たちが間断なく積み重ねてきた文化の交流を、総理も微笑み見守っておられるにちがいない。
 また、こうした文化の偉業を陰で支えてくださっている民音推進委員の皆様に、私は心から感謝を申し上げたい。
 公演の終了後、京劇院の方々と記念撮影をし、懇談のひとときをもった。
 孔明や劉備、関羽、張飛を演じられた方々は皆、口の前に長い髭を付けられている。
 「髭を付けて歌うのは、大変でしょうね」
 私の妻がねぎらいながら尋ねると、孔明を演じた張建国先生は、こう答えられた。
 「初めは大変でした。
 しかし、練習して、訓練して、鍛錬し抜いて、自在にこなせるようになりました」
 芸術の英雄として真剣勝負の戦いに徹すればこそ、歴史に輝く大英雄を演ずることができるのだ。
10  諸葛孔明の「五丈原」は、無念にも、大業の半ばに倒れた悲劇であった。
 しかし「五丈原」の歌に涙された戸田先生は、一切の願業を成就された。
 そして、わが師・戸田先生は晴れ晴れと、勝利、勝利の未来を見つめながら、霊山へ旅立たれた。
 恩師の分身である、不二の弟子がいたからだ。
 今や、獄死した初代・牧口先生も、二代・戸田先生も、その正義が世界中に宣揚される時代となった。
 私たちの胸中に、今、鳴り響く「五丈原」の歌声には、悲哀の音調はない。
 幾百万の正義の青年たちが澎湃と続いているからだ。
 「今に至るまで軍やむ事なし」である。
 広宣流布の闘争は永遠だ。
 ゆえに、「鞠躬尽瘁」――広宣流布の諸葛孔明として、私は今日も指揮を執る。
 永遠なる師弟の誓いを果たすために!
 孔明は、将帥に教えた。
 「進撃するときは疾風のごとく、敗走する敵を追撃するときは迅雷のごとく、敵と矛を交えるときは猛虎のごとく行動する」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)のだと。
 この言葉を、若き創価の孔明たちに贈りたい。
 かねてより私は、中国京劇院の先生方から、書の要請をいただいていた。
 感動の舞台を終えたあと、私は最大の感謝を込めて、一幅の揮毫を謹んで捧げた。
 「誓」――と。

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