Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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後継の弟子の道 我らは『師の叫び』を忘れまじ

2006.5.20 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「青年よ、大志を抱け!」不朽の名言に師弟のドラマ 
 「青年を育てよ!」とは、わが師・戸田城聖先生の一貫した教えであった。
 創価学会は、この師の指導通り、青年に全力を注いだゆえに勝ったのだ。
 思えば、日蓮大聖人と第二祖・日興上人の年齢差は、二十四歳であられた。
 また、大聖人と第三祖・日目上人の年齢差は、三十八歳であられる。
 さらに、牧口常三郎先生と戸田先生は、二十九歳の年の差があった。
 そして、戸田先生と私は、二十八歳の開きがある。
 後継の焦点は、あくまでも青年なのだ。
 私にとって、十九歳の若さで、戸田先生にお会いできた以上の幸せはない。
 さらに、ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵とお会いして、東西の文明を結ぶ対話を開始したのは、伯爵が七十二歳、私が三十九歳の時であった。
 二十世紀最大の歴史家トインビー博士と、「人類の未来のために語り合いましょう!」と対談を重ねたのは、博士が八十三歳、私が四十四歳の年である。
 そして、人民の指導者・周恩来総理が、「あなたが若いからこそ大切にしたい」と病をおして迎えてくださった時、総理は七十六歳、私は四十六歳であった。
 ドイツの大詩人ヘルダーリンは謳った。
 「ごく若いときから、気高い人物に会うことのできたものは、しあわせである」(『ヒュペーリオン』手塚富雄訳、『ヘルダーリン全集』3所収、河出書房新社)
 全く、その通りと思う。
 戸田先生は、こうも言われた。
 「新しい人材がどんどん抜擢される、生き生きとした組織でなければならない。
 学会は"人材で築かれた大城"である。広宣流布を唯一の目的とする、一つの生命体なのだ。日進月歩、常に発展する生きものなのだ」
 今、男子部も、女子部も、また学生部も、希望と決意に燃えて成長している。二十一世紀を勝ち抜くために、学会は、「新しい生命体」として一新しつつあるのだ。
 ゆえに、わが学会は永遠に勝利していくだろう。
2  先日は、凛々しく成長した北海道の青年部が、はるばると東京牧口記念会館に集って、意気軒昂の総会を行った。私は本当に嬉しかった。
 牧口先生、戸田先生にもゆかり深き北海道の天地に、近代日本の若々しい勃興期、歴史に名高い出会いの劇が刻まれた。
 そして、忘れ得ぬ、あの力強い声が響き渡った。
 「ボーイズ、ビー・アンビシャス!(青年よ、大志を抱け!」
 かのクラーク博士が言い放った有名な言葉である。
 これは、札幌農学校(現・北海道大学)の初代の教頭として献身した博士が、アメリカヘの帰国の途につく折、見送りの教え子らに贈った惜別の言であった。
 今、この博士の銅像は、わが札幌創価幼稚園にほど近い羊ケ丘の地に、未来を指さしながら立っている。
 遠き異国の地でのクラーク博士の教育には、さまざまな困難があったにちがいない。私には、米国の大教育者ホレース・マンの信念を伝える文章が思い起こされる。
 「教師の仕事は無限に困難であるが、教師はそれによって、鼓舞されるべきであって、挫かれるべきではない。たとえ克服すべき困難性が増大しても、それによって教師の仕事は無限に高貴なものとなる」(川崎源『ホーレス・マン研究』理想社)
 わが創価学会教育本部の先生方が刻み残してこられた、二万事例を超す教育実践記録も、この「無限に高貴な」勝利の光に満ちている。
3  ところで、この「ボーイズ、ビー・アンビシャス」、すなわち「青年よ、大志を抱け!」が世に広まるまでには、意外にも、クラーク博士が日本を去って、何十年もの歳月が必要だったといわれている。
 それも、発端は、ただ一人の弟子の叫びであった。
 第一期生十六人の一人で、後に母校の教授や中学校校長を務めた大島正健が、最初に声をあげた人物であった。
 実は、札幌農学校は、二期生に新渡戸稲造、内村鑑三等を送り出したが、その後、クラークの精神的影響を排除しようとする、国家の圧力がかかっていったという。
 "草創の精神"が薄れ始めていたのだ。心ある弟子ならば、どれほど悔しかったことであろうか。
 そんな折、大島は、要請を受けて、講演を行った。
 演題は、「我が先師ウィリアム・クラーク氏」である。
 そして、師クラーク博士の遺言ともいうべき訓言を、人びとに誠実に語っていったのだ。
 それは、実に師と別れて十五年の節目であった。この彼の証言がきっかけとなり、やがてクラーク博士の言葉は、"校訓"ともいうべき地位を得ていったのである。
 ところが、当時、弟子の誰もこの言葉を語らず、積極的に叫んだのは、大島正健ただ一人であった。
 それゆえ"作り話ではないか"と、悪意の風説さえ流されたようだ。無責任な言動ほど、恐ろしいものはない。だが、彼は、微動だにしなかった。
 あの惜別の時、敬愛する師が弟子に向かって叫ばれた言葉を、どうして忘れることができようか!
 大島は、師を見送った六十年後にも、「親しく仰ぎ見たクラーク先生を語らねば、すべてがうたかたの夢と消え去ってしまう」(お起き間正健『クラーク先生とその弟子たち』教文館)と、病床から師弟の真実を口述した。
 まさに、「われ、クラーク博士の弟子なり!」と、一筋に貫いた誠実一路の生涯であった。
 古代ローマの哲学者ボエティウスは綴っている。
 「誠実だけが各人を人間以上に高めることができますから、邪悪は邪悪のために人間の状態からころげ落ちた人々を、人間の価値以下におとしめずにはいません」(『哲学の慰め』渡辺義雄訳、『世界古典文学全集』26所収、筑摩書房)と。
 邪悪といえば、最も大恩ある私たちを裏切り、弓を引いた輩の姿は、畜生さながらであり、あまりにも浅ましい。皆が、その悪行を憤り、地獄に落ちゆく姿をあざ笑っている。
4  ともあれ、法華経の冒頭には、「如是我聞」(是くの如きを我れ聞きき)とある。
 甚深の法理であるが、一言すれば、師の説法を、弟子が"私はこう聞いた、信受して生命に刻んだ"という宣言である。"師匠の教え通りに我は戦う"という誓願ともいってよい。
 つまり、師弟は不二であるという究極の魂の厳粛なる継承といえるのである。
 広宣流布のために、死身弘法で戦う"創価三代"の師弟もまた、生命の不二のドラマを生き抜いてきた。
 あの戦時中、戸田先生は、「弟子の道」を語り、師匠である牧口先生の指導通りの行動を訴えられた。
 「弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない」
 この二年後、戸田先生は、牧口先生と共に、国家権力の弾圧で牢獄に入られた。
 そして、崇高な獄死を遂げた、わが師の仇討ちを固く固く誓って、戦後の日本社会に、正義の折伏の大旋風を巻き起こしていかれたのである。
 私も、戸田先生に四六時中、身を賭してお仕えした。権力の魔手から先生をお護りすべく、獄中でも戦い抜いた。
 私は、師の一言一言を――そこに込められた広布の大願を「如是我聞」し、あらゆる試練を越えて、その成就のために戦い、前進した。
 いつまで、お元気な先生の聲咳に触れられるのか、それはわからない。私は「臨終只今」の覚悟で、常に師の指導を伺った。
 夢物語のような遠大な展望も、私は、わが使命として胸に刻んだ。
 師匠の師子吼を受け継ぐのが、真の弟子であるからだ。
 先生は叫ばれた。
 「私の生きている間に、必ず七十五万世帯の折伏をしてみせる!」
 その通りに、若き不二の弟子が先駆けの勇将となって、恩師の願業を実現した。
 「大学をつくろうな。創価大学だ!」
 その通りに、私は創価大学を創立した。
 さらに、今月、晴れの二期生が巣立つアメリカ創価大学(SUA)に至る"人間教育の大城"を建設してきた。
 「君の舞台は世界だ。世界に征くんだ。
 日蓮大聖人まで大迫害する、心の狭い、嫉妬深い、日本などにとらわれるな!
 世界を見つめていけ!
 創価の魂を、全世界へ伝播させていくのだ。
 これが君の使命だ。これが私の唯一の願望だ」――。
 何で、この崇高な師弟の深い約束を忘れようか。
 私は、厳然と立った。悠然と戦った。
 世界に師の名声を残した。
 百九十の国々と地域へ、妙法流布の大道もつくった。
 さらにまた、戸田先生は、厳命なされた。
 「将来、師のお陰で、偉くしてもらいながら、畜生の如く師恩を仇で返し、踏みにじっていく悪逆な連中が出たならば、断じて許すな!」と。
 ゆえに、悪と戦うのだ。悉く悪を挫くのだ。これが恩師に対する「報恩の道」であるからだ。
 大切な大切な人生最極の契りを作ってくださった師であり、父である戸田先生が亡き後も、私は心から先生を思い、さまざまな法戦を展開してきた。
 "先生ならどうされるか"と、心で師弟の対話をしながら、壮大な構想を練り、祈りに祈り、戦いを起こした。
 誓いを忘れず、自分の使命の場所で、師弟の勝利の旗を掲げ抜いてこそ、真の弟子であるからだ。
 御聖訓には、「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」と仰せである。
 この通りに、私は実践してきたつもりだ。だから大聖人が護ってくださり、未曾有の創価の大発展を、厳然とお示しくださったと信じている。
 あまりにも多くの迫害もあった。理不尽な中傷批判もあった。
 しかし、すべて乗り越え、勝ち越え、今日の大興隆を悠然と見つめる嬉しさは、計り知れない。牧口先生、戸田先生も同じく見つめておられると、常に感謝している。
 いな、末法の御本仏・日蓮大聖人も、十方の仏菩薩も、この壮大なる法戦の勝利に対して、心から賞讃と厳護の御慈悲を光らせてくださっているにちがいない。
5  「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず
 日蓮大聖人は弘安二年、「出世の本懐」たる大仏法の精髄を打ち立て、一切の「正」と「邪」の決着をつける大闘争のなかで、厳然と仰せになった。
 最後は正義が勝ち、邪悪は無残に敗れ去る。これが仏法の真実の証明だ。
 そして蓮祖は、弟子たちに対して、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と厳しく指南されたのである。
 「つよる心」「戦う心」を失えば、魔が忍び込む。
 だから一瞬一瞬、一日一日が、仏と魔の戦いなのだ。
 大聖人は、退転し、反逆していった弟子について、こう喝破なされている。
 「日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである」(御書一五三九ページ、通解)と。
 現代にも蠢いている恩知らずの連中の本質を指しておられる、誠に厳しい御書である。
 これが、学会に大恩を受け、立派にしてもらい、あらゆる面で守ってもらいながら、鬼畜の如く裏切っていった、幾人かの欲深い大謗法の愚者たちの本性である。
 彼らの慢心、無知、気取りや、人間にあるまじき忘恩背信は、皆様がご存じの通りである。後世の戒めとするために、その末路を笑いながら見つめていこうではないか。
 師の指導を、我が身に引き当てて、真摯に姿勢を正していくのか、他人事のように聞き流していくのか――。
 この「如是我聞」の一念の厳しき差に、師弟を貫いていけるか、愚かなる人間と堕ちていくか、全く厳しい勝敗の分かれ道がある。
 ゆえに、仏法は「勝負」だと仰せなのだ。
 「まことの時」との御聖訓は、「いつか」ではない。
 常に常に、また常に、「今」である。「今から」なのである。
6  あの有名なクラーク博士とほぼ同じ時代を生きた、私の大好きな民衆詩人ホイットマンは、若き弟子に語った。
 「情熱――それなくして、人間と呼べようか?」(With Walt Whitman in Canaden, vol.4, University of Pennsylvania+Press)
 その通りである。
 さらに、フランスの文豪ユゴーは叫んだ。
 「私は、虚偽を売りつける聖職者(坊主)や不正に人を裁く人間とは、断固、戦う」(The Letter of Vivtor Hugo, Paul Meurice, University Press of the Pacific)
 創価の「破邪顕正」の大精神も、全く同じである。
 また、イギリスの歴史家カーライルは訴えた。
 「最初に『越えがたき難所に道を切り拓く』その人に誉れあれ! かくのごときが実に、すべて偉大な人間の任務である、――否、東西のあらゆる善き人の任務である」(『ゲーテ論』神吉三郎訳、育生社)
 これは、私の青春時代から大好きな言葉であった。若きわが弟子たちよ、私のあとを継げ!
 初代・牧口先生、二代・戸田先生の大正道である「法華経の道」「創価の道」を断固として勝ち進め!
 悠然と、晴れ晴れと、勝ち進め!
 君たちの栄光の青年部結成五十五周年、おめでとう!
 本当に嬉しい。
 一人ももれなく、勇気と勝利の雄々しき情熱を燃やしながら!
 一人ももれなく、勝利者となれ!
 私のあとを継げ!
 誇り高く、黄金の「創価後継の大道」を歩み抜け!

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