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日蓮大聖人・池田大作

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青年に贈る言葉 「未来」は一切青年のものだ!

2006.3.16 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「若さには、未来があるゆえに、すばらしい!」
 ロシアの作家ゴーゴリの青春讃歌である。その通りだ。
 「未来」は、一切、君たち青年のものである。
 先日、デザイン関係の分野で活躍する男子部員の人材グループである「白鳳会」の有志が、素晴らしいポストカードを作成し、届けてくださった。
 一枚一枚、真心込めて作り上げてくれたものだ。私は、早速、学会本部の御宝前にお供えして、題目を唱えた。
 カードには、ロシアの文豪の肖像と箴言が、一人ずつ掲げられている。
 プーシキン(一七九九〜一八三七年)、ゴーゴリ(一八〇九〜五二年)、ドストエフスキー(一八二一〜八一年)、トルストイ(一八二八〜一九一〇年)、ゴーリキー(一八六八〜一九三六年)――。みな、ロシアを代表する偉人である。
 この一月、私に贈られた百八十五番目の英知の栄冠が、ロシアのウラル国立大学の名誉博士号であり、さかのぼれば最初の名誉博士もモスクワ大学であったことから、白鳳会の友は、ロシアの五人を選んでくれたようだ。
 いずれも、私が若き日より親しんできた文豪であり、折々に語ってきた箴言である。どの言葉も、青年を励ましゆく″指針″になっている。
 今回の随筆では、その幾つかを紹介して、新たな時代を担う青年部に贈りたい。
 「才能とは自分を信じることだ、自分の力を信じることだ」(「どん底」野崎韶夫訳、『世界文学全集』44所収、筑摩書房)
 これは、ゴーリキーが名作『どん底』で、無名の役者に語らせた言葉である。
 青春時代は、苦悩と葛藤の季節である。春の寒暖計の如く、激しく心が揺れ動いた経験を持たない人はいない。
 だからこそ、どんな時でも「自分の力」を信じて、快活に自分で自分を励まして、前へ前へ進んでいくことだ。
 なかんずく、正しき信仰は、わが生命に秘められた才能を自分らしく開花させ切っていく究極の源泉である。
 有名な「御義口伝」には、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く」「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せである。
 よく戸田先生も教えてくださった。
 「われ自らが南無妙法蓮華経の当体なりと決めて、広宣流布に生き抜くのだ。この心で戦えば、何も恐れるものはない。これが真の折伏だ」
2  「この世には学問より強い力はない」(N・B・メドヴェージェヴァ編『ゴーリキー児童文学論』東郷正延・笠間啓治訳、新評論)
 これもまた、ゴーリキーの言葉である。
 水の流れるように、たゆみなく努力し、学び抜いた人が、最後は勝っていくのだ。
 恩師・戸田先生は、ご逝去の直前の日々にも、私の顔を見ると、「今、何の本を読んでいるか」と尋ねられた。
 慢心した人間は学ばない。だから停滞し、時代に取り残されてしまう。それでは、後輩たちの邪魔になるだけだ。
 青年部は今回、真剣に″教学一級試験″に取り組んだ。
 方面では、中部、東北、そして第二総東京。県では、三重、青森、福島、千葉、愛知、高知、山梨などの奮闘が目立った。
 全国の若き求道の友の健闘を、私は心から讃えたい。
 聖教新聞に掲載された試験問題を見た、高名な仏教学者からも「素晴らしい! じつに高度な内容で驚いた」等の声が寄せられている。
 人類は、この「常楽我浄」の幸福の法理を、そしてまた「立正安国」の平和の哲理を求め始めている。
 若き創価の哲人の使命は、あまりにも大きい。в
 御聖訓には「行学の二道をはげみ候べし」と仰せである。
 これからも、日々の実践のなかで、一ぺージでも、一行でも、御書を拝していただきたい。御書に触れることは、御本仏の大生命に触れることであるからだ。
3  「歓喜は闘争の中にある!」「荒れ狂う大海原に、激しき波と嵐の暗闇の中にある!」(A. C. Пушкин; Собрание сочинений, том4, Художественная литература)と、大詩人プーシキンは叫んだ。
 「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」との仰せにも通ずる。
 一流の魂は、みな仏法と深く響き合っている。
 このプーシキンが、いまだ世に知られざる青年画家を励ました言葉も美しい。
 「働きなさい! 働きなさい! 青年よ! これが一番、大切なことである」(Валерий Пилипенко, И. К. Айвазовский, 1817-1900, Художник РСФСР)
 後年、この画家アイワゾフスキーは、″ロシア絵画の至宝″といわれる不滅の大傑作を残した。
 国立ロシア美術館の格別の御厚情により、東京富士美術館や神戸の関西国際文化センターで展示された「第九の怒濤」である。
 作家のゴーゴリも、辛苦を重ねるなか、自らに言い聞かせるように、″苦労は買ってせよ″と書きつづっている。
 いわんや、広宣流布は、人類の平和と幸福を築きゆく未曾有の大革命だ。
 楽にできるはずがない。
 経文に「猶多怨嫉。況滅度後」「一切世間多怨難信」等とある如く、苦難も苦労も当然なのである。
 ゆえに、青年部は、絶対に苦労知らずの甘ったれであってはならない。
 戸田先生も、「苦労しない人間に、いったい何ができるか!」と、それはそれは厳しかった。
 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」と、「兄弟抄」には明確に説かれている。
 殉教の師・牧口先生が常に拝されていた御聖訓である。
 魔という働きは、こちらの心が「弱ったな」「困ったな」と臆してしまえば、いくらでも増長して付け込んでくる。
 反対に、こちらが恐れずに、魔を魔と見破り、「さあ、かかって来い!」と勇敢に迎え撃てば、必ず退散するのだ。
 私は、十九歳で戸田先生にお仕えしてより、師匠に襲いかかってくる「三障四魔」は、弟子である自分が代わって、すべて受け切っていく決心で戦い抜いてきた。
 広宣流布の大師匠であられる先生を、私は命を懸けて、全青春を捧げて、お護りした。
 先生を厳護することが学会を厳護することであり、広宣流布の命脈を死守することであると確信していたからだ。
 そして、先生の御構想は、一つ残らず実現し、世界百九十の国や地域への広宣流布を遂行してきた。
 あのロシアの大地にも、「地涌の菩薩」が躍り出ることを、誰が想像したであろうか。
 首都モスクワはもとより、芸術の都サンクトペテルブルクでも、極東の都ウラジオストクでも、さらにゴーリキーの出身地である歴史の都ニジニーノブゴロドでも、わが創価の友は生き生きと社会に希望の光を広げている。
4  これまで、私は、ロシアの文豪に限らず、幾多の古今東西の偉人の箴言を通して、同志を激励してきた。
 日蓮仏法は「活の法門」であり、この妙法を根底とする時、すべてが無駄なく活かされていくからだ。
 歴史上の、あらゆる偉人の英知も、人間を励まし、幸福にしゆく智慧の一分として、自在に現代に活かし、実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる。
 最近、私は、何人かの代表に、トルストイの箴言をお贈りした。
 「かならず勝とうと堅く決心した者が勝つのだ」(『戦争と平和』中、中村白葉訳、『トルストイ全集』5所収、河出書房新社)
 大作『戦争と平和』の有名な一節である。
 すると電光石火で、あるご夫妻から報告が返ってきた。
 ――不思議にも、この箴言をいただいた時、妻が大病の宣告を受けた直後でした。驚きました。
 贈ってくださったトルストイの言葉の通り、「必ず勝つ!」「絶対に勝利して、お応えする!」と決意しました。
 すでに「心」で病気に勝つことができました、と――。
 その後、手術も見事に大成功で終え、ご夫妻で闘病の体験を語りながら、いやまして意気軒昂に広宣流布に邁進されていると伺った。
5  人間の魂から送り出る言葉には、偉大な力がある。
 我らの生命を鼓舞する勇気があり、希望がある。
 正義の信念があり、邪悪への憤怒がある。
 ともあれ、人間は言葉なしに生きられない。「言葉の力」を信ずることは「人間性の力」を信ずることである。
 ゆえに、デマや虚偽は、人間性を裏切る冒涜行為なのである。
 そうした下劣な人間の性根を、ゴーリキーは喝破した。
 「ずばぬけて美しいものを台なしにしようとする悪質な欲求は、非凡な人間をぜひとも誹謗してやりたいという鼻持ちのならない欲求と同じ源をもっている」(『追憶』下、湯浅芳子訳、岩波文庫)
 これが、嫉妬の魔性である。
 ドストエフスキーもまた、正義の人を陥れる陰謀の本質を鋭く見破っていた。
 すなわち、「中傷と名づけられるのはほかでもない、他人の名誉を傷つけようとか、もしくは社会的にその人の価値を落とそうという目的をもって、意識してうそをつく場合である」(『論文・記録』下、米川正夫訳、『ドストエフスキー全集』20所収、河出書房新社)と。
 だからこそ、虚偽の中傷とは、断固として戦うのだ。正義を叫び、真実を叫び抜いて!
 ゴーリキーは訴えた。
 「必要なのは――正義です! それが小さな火の粉をすこしずつ蓄めていって大きな火になるとき、その火は地上のいっさいの嘘と穢れを焼払ってしまいます」(『コロレンコ時代』和久利誓一訳、『定本ゴーキリー選集』5所収、青木書店)
 青年の熱と力こそが、この大いなる正義の炎を燃え上がらせていくのだ。
 さらにドストエフスキーも断言している。
 「真実は太陽と同じことで、隠すわけにはゆかない」(『作家の日記』下、米川正夫訳、『ドストエフスキー全集』15所収、河出書房新社)
 太陽は自ら輝く。煌々たる光で闇を破る。
 「真実」もまた、執念をもって叫び抜く限り、誰もその光を隠せない。必ず「虚偽」の闇は破られる。戦いを決するのは、執念である。
6  思えば、偉大なトルストイにも、その魂を食いものにしようとする寄生虫のような存在がいた。
 さも弟子の如く振る舞いながら豹変して、トルストイの誹謗に加担した卑怯者もいた。師なきあと、裏切り去る恩知らずもいた。
 忘恩の輩が渦巻くなかで、トルストイの娘のアレクサンドラが父の思想を護り抜き、毅然と「師弟の道」を示し切っていったことは、ご存じの通りである。
 わが学会でいえば、女子部である。
 トルストイが、この愛娘に贈った言葉に、こうある。
 「真の幸福とは何か。それは、精神的に成長することにある――と自覚していれば、誰人も、あなたの幸福を奪うことはできません」
 このトルストイ父娘の足跡を、私は、親友であるゴルバチョフ元ソ連大統領と令嬢のイリーナさんとも、感慨深く振り返ったことがある。
 元大統領とは、上下二冊にわたる対談集を発刊したが、まだ語り足りない。もっともっと語り合おうと、対話を継続している。
7  プーシキンは、新しい一年を展望して言った。
 「希望を持ちましょう、――希望を持つことはつねによいことなのです」(『書簡』池田健太郎訳、『プーシキン全集』6所収、河出書房新社)
 信心は、無限の希望である。
 あの「3・16」で戸田先生から渡された広宣流布の使命の宝剣を、希望に燃えて受け継ぐのは、青年部である。
 「私は一生を通じて、どこででも、なにごとにおいても、限界を乗り越えた」
 これは、ドストエフスキーの魂の闘争を伝える、誇り高き言葉である。
 私は、この言葉を、後継の青年部に託したい。
 「信心は、行き詰まりとの永遠の闘争である。
 仏と魔との闘争が信心だ。それが″仏法は勝負″ということである」
 この戸田先生の指導の通り、君たち自身が「我は勝ちたり! 勝ちに勝ちたり!」と言い切れる、栄光の青春の劇を残していっていただきたい。
 青年よ、わが生命であり、わが宝である青年よ!
 強く生き抜くのだ!
 朗らかに勝ち抜くのだ!
 偉大なる哲人の如く!
 トルストイは言った。
 「真の賢者はつねに喜々としている」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)

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