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日蓮大聖人・池田大作

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真実と虚偽を語る〔2〕 創価学会が「仏語の真実」を証明

2006.2.18 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  風雪に
   富士の如くに
      厳然と
 彼方に富士を見つめて、そびえ立つ創価大学の本部棟の一隅に、フランスの哲学者ボルテールの座像が置かれている。
 十八世紀、「ヨーロッパの良心」と謳われた彼は、おごそかに語った。
 「どうして、全公民のために、敵の無法な中傷を、粉砕せずにいられよう」(『ルイ十四世の世紀』丸山龍雄訳、岩波文庫)
 このボルテールは、無実の市民を絶望の底に突き落とした残酷な冤罪事件と、何度も戦ったことでも、歴史に名高い。
 彼は、いささかも妥協せず、徹底して「嘘」を粉砕し抜いていった。デマを野放しにすれば、それが真の歴史の如く、残ってしまうことを危惧したからだ。
 真実を明らかにするためならば、たとえ千回でも、同じ主張を繰り返してやまぬ言論闘争を、ポルテールは決意していたのである。
 私も青年部時代から、わが師匠への誹謗に対しては、この断固たる執念で、徹頭徹尾、破折を続けてきた。
 これこそが、学会精神であるからだ。
 ボルテール自身、根も葉もない中傷の標的となった。
 ボルテールを「国家の元首」に勝る「思想の元首」と讃嘆したユゴーは、その受難の理由を明快に論じている。
 「最も偉大であったから、最も多く憎まれている」(「シエクスピーア」本間武彦訳、『ユーゴ全集』12所収、ユーゴー全集刊行会)と。
 偉大だから、怨嫉される。
 正義だから、悪口される。
 真実だから、讒言される。
 これが人間社会の実相だ。
 日本を代表する哲学者の三木清が、「嫉妬はつねに陰険である」(『人生論ノート』、『三木清全集』1所収、岩波書店)と喝破していたことが思い起こされる。
 権力者と結託して、ボルテールを誹謗した、若い売文家もいた。
 それは、自分の将来のために心を砕いてくれたボルテールの恩を、仇で返す所業であった。
 「なぜ、ボルテール氏を罵るのか」と問われた、この恩知らずは、こう答えたという。
 ”売れるからですよ”(前掲『ユーゴ全集』12、参照)
 これが、売文屋の本音だ。
 現代も同じである――と、著名な学者の方々も、学会への批判、中傷の本質を見破り、厳然と指摘されている。
 要するに、偉大な存在を叩いて見せて、自分を大きく見せようとしているにすぎないのだ。
 牧口常三郎先生と深い親交を結ばれていた新渡戸稲造博士も、悪徳の雑誌などが書き立てる悪口について、「罪なき人に罪を被せて、自分の食物を得、疵なき人に生疵を負わせて、衣服の料を得る」(「世渡りの道」、『新渡戸稲造全集』8所収、教文社)ものだと、一刀両断していた。
 さらにまた新渡戸博士は、「記事を捏造して、人の名誉を傷つけ、それで五十部多く売れた、百部余計に売れたといって喜ぶものもある」と、その卑劣さを弾劾してやまなかったのである。
 かのボルテールも、捏造の記事に、一つ一つ、痛烈に反撃していった。
 「(=君の書いた)右の事実について、一体全体、どんな証拠があるというのだ」(前掲『ルイ十四世の世紀』)
 もとより、証拠など出せるはずもない。ボルテールは戒めた。
 「論拠をあげるかわりに、烈しい侮辱や、無知や、悪意や、誤謬や、欺瞞をさらけだすものは、誠実な人々の嫌悪と軽蔑を招くだけだ」(同前)
 また、彼は、この傲慢で、卑怯な売文屋に、「どんな報いが君を待っているか考えてみるべきだ」、いずれ「地上に、住むところが無くなりはしないか」
 と、痛烈な警告を発していたのである。
 やがて、この悪党は、司法から厳しく断罪され、惨めに転落の一途をたどったことが、歴史に刻印されている。
2  今年(二〇〇六年)は、私がインドへ第一歩を印して四十五周年にあたっている。
 来る「3・16」の「広宣流布の日」を記念する青年部の大会には、全インドで六千人の若人が意気軒昂に集い合うとの嬉しい報告があった。
 インドに生誕された釈尊も、インドヘの仏法西還を御遺命なされた日蓮大聖人も、いかばかり、お喜びであろうか。
 釈尊と大聖人が大難を堪え忍ばれながら、大法を説き残してくださったのは、ひとえに、末法今日の広宣流布のためであったからだ。
 釈尊に襲いかかった、あの「九横の大難」――。そのなかの二つは、虚偽によって捏造された醜聞であった。
 すなわち、一つは、孫陀利という女が、外道に唆されて、釈尊と関係があったと吹聴したデマ事件である。
 もう一つは、やはり外道に誑かされた旃遮女が、腹に鉢を入れて、釈尊の子を身ごもったと誹謗した狂言事件だ。
 いずれも、全く火のない所から煙を立てた、恐るべき陰謀であったことは、いうまでもない。
 「仏」という最も高潔な存在が、最も汚らわしい嘘に包囲されて、謗られ、さらには陥れられかけた。
 しかも、一度ならず二度までも、であった。
 日蓮大聖人もまた、流罪された伊豆で認められた「四恩抄」に、こう仰せである。
 「日蓮は、ただ法華経を弘めようとすることを失とされて、妻子を持たずして『犯僧』の名が国中に満ち、螻や蟻さえも殺さないのに『悪名』が天下にはびこつてしまった」(御書九三六ページ、通解)
 尊極の御本仏が、「女犯」などという、あり得ない汚名を日本中に喧伝されるなか、流罪に処せられたのだ。
 法華経には「数数見擯出」――しばしば追放される、とある。このように「数数」の難と説かれる通り、蓮祖の流罪は二度に及んだ。
 その背景を、大聖人は千日尼にこう示しておられる。
 「日本国の女人を救おうとしている日蓮を、かえって大怨敵と思うゆえに、女人がこぞって国主に讒言をして、伊豆に流したうえ、また佐渡にも流したのであった」(御書一三一二ページ、通解)
 大聖人が受けられた大難も、釈尊と同じく、「女人の讒言」によって起こされたのである。
 「讒言」の背後には、腹黒い嫉妬の連中が隠れていたことはいうまでもない。
 その命にも及ぶ大迫害のなか、悪世末法の私たちのために、あれだけの膨大な御書を残してくださったことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 御書には、法華経に説かれる通りの大難に、もし大聖人が遭われなければ、釈尊の未来記は妄語となってしまったと、何回となく記されている。
 この法理に照らすならば、末法濁悪の時代が一層進んだ現代にあって、広宣流布を遂行する創価学会に、もしも法難がなければ、御書を虚妄にしてしまうことになったであろう。
 初代・牧口常三郎先生も、二代・戸田城聖先生も、国家権力の迫害という難を受け、初代会長は殉教された。
 後に続く三代の私も、「数数」ともいうべき幾多の迫害を受け、無数の虚偽の中傷を一身に受け切ってきた。
 もとより、大聖人の大難に比べれば「九牛の一毛」に過ぎない。
 しかし、創価の三代の指導者が、御聖訓のままに「不惜身命」「死身弘法」を貫き通してきたことは、まぎれもない事実である。
 大聖人は、「仏語の真実を顕さん」と仰せになられた。それは、経文通りに、御自身が三類の強敵の大難を受けられることによって、「仏の言葉が真実であることを証明する」との意義であられた。
 まさに創価学会は、広宣流布の真髄の教団として、釈尊、そして大聖人の「仏語の真実」を証明してきたのである。
3  学会、また私に対する冤罪事件も、デマ事件も、裁判という場で、ことごとく明確に断罪されてきたことは、ご存じの通りである。
 全く事実無根である「戸別訪問の教唆」と「買収」の容疑で逮捕された、あの「大阪事件」でも、私は愛する関西の同志と共に、晴れ晴れと「無罪」を勝ち取った。
 不当な弾圧から四年六カ月、公判は八十四回に及んだ。
 検察側は控訴もしなかった。いな、できなかった。
 一人の検察官が、無罪判決のあと、私に「当然の結果ですね」と、そっと声をかけてきたことは、忘れ難い。
 「月刊ペン事件」の裁判も、日本のジャーナリズム史上に、名誉毀損の特筆すべき断罪として留められている。
 デマを書き立てた編集長は逮捕・勾留された。二十五日間にわたって、身柄を拘束されたことも、異例の厳しい処断であった。
 編集長自身も、学会と私に謝罪文を書き残している。
 このデマ事件の虚構は、司法の場で、一つ一つ、厳正に裁かれていった。
 編集長側の証言は、判決文で「確実な裏付けを欠いている」「信用性を認めることなど余りに危険であり、到底できるものでない」等、二十カ所にわたって退けられた。
 東京地裁、東京高裁とも、判決は「名誉毀損罪」の成立を明確に認定し、二十万円の罰金刑を言い渡した。当時の最高額の断罪であった。
 それまで、名誉毀損のデマ報道では、被害者が泣き寝入りせざるを得ない事例が、どれほど多かったことか。
 ドイツの作家ジャン・パウルが「一度嘘がうまくゆくと次々と嘘が生まれる」(『レヴァーナあるいは教育論』恒吉法海訳、九州大学出版会)と見抜いていた通りである。
 それだけに、この「月刊ペン事件」の断罪については、法曹界、また言論界の良識からも、深い感謝の声が寄せられた。
 「よくぞ、刑事告訴してくださった。この画期的な裁判の勝利は、後世への確固たる正義の鑑です」
 「あとに続く人びとへ、計り知れない勇気と希望の光となりました」等々――見る人は見ておられる。
 さらにまた、北海道の狂言訴訟は、二〇〇〇年の五月に、東京地裁で「訴権の濫用」として却下された。
 つまり、事実無根であることが、あまりに明白である。
 そしてまた、裁判提訴の目的が極めて不当である。
 したがって、裁判を続けること自体が、裁判所が不当な人身攻撃に加担することになってしまうとして、訴えの提起そのものを認めなかったのである。
 この判決は、翌二〇〇一年一月の東京高裁の判決、さらに、同年六月の最高裁でも、当然、支持され確定した。
 ある調査によれば、この「訴権の濫用」は、昭和四十年以降の一千万件を超える訴訟事件において、わずか十数件にすぎないといわれる。
 つまり「百万件に一件」の、悪質このうえない「狂言訴訟」であったということになる。
 思えば、大聖人は、迫害者の一つの手口を「不実の濫訴」と喝破しておられた。
 「不実の濫訴」とは、文字通り、事実無根の嘘によって、みだりに裁判を起こすことであり、現代的には「訴権の濫用」に通ずるといってよい。
 学会の逢難は、御書の仰せに寸分も違わないのである。
 ともあれ、今後、裁判を悪用した、このような陰謀が二度と繰り返されては、断じてならない。
 その意味において、裁判史上、まことに重大な勝利として、世の良識から高く評価されている。
 この学会の正義の勝訴とは反対に、日顕宗は最高裁で七度も敗訴した。まさしく、裁判を重視しておられた大聖人から、邪宗門が峻厳に裁かれ、断罪されている象徴といってよい。
4  大言論闘争を一生涯、貫き通した哲学者・ボルテールは、波瀾万丈のその人生の最終章、パリの民衆から、嵐のような喝采に包まれた。
 それは、学者としてのボルテールを讃えたのではない。
 虚偽と勇敢に戦い続けた「真実の擁護者」として、そして、恐るべきデマから市民の一家を救い出した「正義の英雄」として、万人が心からの感謝と尊敬を捧げたのだ。
 創価の三代の師弟も、虚偽と戦い抜き、真実に生き切ってきたゆえに、世界からの絶大なる信頼を勝ち得てきた。
 現代中国を代表する作家の金庸博士も、語ってくださった。
 「釈尊も、妬まれ、嘘で陥れられようとしました」
 「池田先生の偉大さを快く思わない人々がいるでしょうが、『真実』は、どこまでも『真実』です。
 誰かが、いくら陥れようと企もうと、どんなに嘘で塗り固めようと、最後には『真実』は明らかになるでしょう」
 真の友情とは、ありがたいものである。
 「真実一路」に戦う我らには、世界の知性と良識の大連帯が広がっている。
 そしてまた、未来永劫に尽きない正義の民衆の大陣列が続いている。
 あの一九五八年(昭和三十三年)の三月十六日――。
 白雪の富士を仰ぎつつ、師匠・戸田城聖先生のもとに馳せ参じた青年は、その数、六千人であった。
 今や、インドの六千人の青年をはじめ、世界百九十の国や地域で、幾百万の若き革命児たちが「師弟の魂」を赤々と燃え上がらせながら、この「広宣流布の日」を迎えている。
 「我らは宗教界の王者なり! 精神界の王者なり!」とは、恩師の不滅の師子吼であった。
 わが後継の青年たちよ、後世に正しき歴史を残すため、信念の言論を誇り高く貫け! 
 そして「真実」と「正義」が完全勝利しゆく世紀をば、断固として創り上げてくれ給え! 
  富士の山
    君の心も
      不二の山

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