Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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伝統の「座談会」の思い出〔下〕 新時代を開く拡大の原動力

2006.1.20 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「私には、創価学会の発展の秘訣がわかるような気がします。学会には、自由と平等があるからです」
 高名な文化の指導者であるウンカルト=サイフェルトさん(元オーストリア文部次官)が、日本の各地で学会員と膝詰めの座談、対話を重ねた結論である。
 まったく、その通りである。「学会の座談会には「対話」がある。「自由」がある。「平等」がある。「哲学」がある。そして「希望」がある。
 毎月、座談会の週になると、私の胸は躍る。
 日本中の、あの町この町。会場の窓からは、温かな光がこぼれている。明るい歌声が聞こえてくる。朗らかな笑いが響いてくる。
 どんな語らいが生まれているのだろう。
 どんな決意がみなぎっているのだろう。
 私は、そっと会場の後ろに座って、皆様方の一言一言に、心から拍手と声援を贈りたい思いである。
 私は座談会が大好きだ。
2  今、「伸びている」会社に共通しているのは、座談会形式の自由な討議を重視している点である。
 創価大学出身の企業の社長が語ってくれた。
 「会議室も椅子もテーブルもいりません。空いたスペースに数人で集まる。自分の考えや直面している課題を率直に語り合う。十分も語り合うと、知恵がわき、団結が生まれます」
 若き社長は、「学会の座談会に、ようやく企業も追いついてきた感じがします」とも述懐していた。
 座談会は、時代の最先端である。
3  青年部時代、私が住んでいた、大田区大森の質素なアパートでも、座談会を開いた。お隣さんたちを招き、何人もの方が入信された。
 これまで、日本全国、いな全世界で、数え切れないほど、多くの座談会に足を運んできた。
 特に草創期には、平坦な、整った環境の集いなどなかった。行く先、行く先、まるで荒れ地を開き、耕すがごとき闘争であったといってよい。
 時に道場破りのごとき、荒んだ闖入者を迎え討つ。一回一回が、学会精神をたぎらせての「法華折伏・破権門理」の実践であった。
 座談会という仏道修行なくして、今の私はない。
4  それは、1979年(昭和五十四年)の三月十五日の夜のことである。第一次の宗門事件の嵐の渦中、私が第三代会長を辞任する一カ月ほど前であった。
 私は、東京の府中の大ブロック(大B)座談会に駆けつけた。現在の地区座談会だ。
 この三日前、中野区で大B協議会に出席した私は、「今の戦いの焦点は座談会だ」と決意していたのである。
 陰険なる反逆者と宗門が、私と会員との間を裂き、学会を破壊せんと、様々な画策をしている最中であった。
 だからこそ私は、最前線の同志と直接会い、堅固な心と心の絆を結ぼうと、座談会に走ったのだ。
 「こんばんは。おじゃまします」――目指すお宅に着いて、二階の会場に入ると、驚きの声に続いて、大拍手と大歓声が弾けた。
 三十人ほどもいらっしゃっただろうか。私は、一人一人を生命に刻印するように、声をかけ、全力で励ました。
 この拠点の夫人が"大B担(地区婦人部長)さん"で、地域の友人も連れて来られていた。
 「よく、いらっしゃいましたね」と、心から歓迎し、和やかに言葉を交わした。
 拠点のご夫妻とは、終了後に、感謝を込めて記念の写真にも納まった。
 ともかく、この座談会を、最高に楽しい、最高に充実した、最高に有意義な時間にしてさしあげたい。
 皆が帰られる時には、元気になり、希望に燃えて、体がぽかぽかするくらいにさせてあげたい。
 私は、真剣だった。
 この時、私は申し上げた。
 「座談会とは、人間と正しい信仰とを結びゆく、最も民主的な語らいの場です。
 そして、希望と確信ある人生を勝ちゆくための強き発条なのです」と。
5  あの忘れ得ぬ「雪の秋田指導」(1982年1月)も、「座談会」に始まり、「座談会」に終わった。
 一面が銀世界の秋田空港に降り立った私は、友の待つ秋田文化会館に車で向かった。
 十分ほど走ったろうか。雄和町(現・秋田市内)の「妙法」という名の街角で、四十人ほどの友が歓声を上げた。皆、息が白い。どれほどの時間を待っていてくださったことか。
 「よし! ここで座談会を開こう」
 即席の"雪中座談会"が始まった。時間はない。だが、誠意は時間の長短ではない。
 次の街角でも、その次の街角でも、長靴を履いたアノラック姿の同志が、三十人、七十人と待ってくれていた。
 なんとありがたい同志か!
 そのつど座談の輪が広がった。悪侶のいじめに耐え抜いた同志を、私は励まさずにはおられなかった。
 「一番苦労した人が、一番幸せになれるのが、この妙法です」
 空港から会館に到着するまで、「街頭座談会」は九カ所に及んだ。語り会った友は、この一日だけで千人にも及んだ。
6  昨年末(2005年)から、各地で大雪の被害が深刻である。
 豪雪のため、今月の座談会は中止せざるをえない地域もある。
 私は、尊き同志に、真剣に題目を送り続けている。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へ」とは、弟子一同を思われる蓮祖の仰せであられた。
 ともあれ、乱世であるがゆえに、座談会の運営に当たっても、「絶対無事故」という根本の原則を、改めて確認しておきたい。
7  世界の各地でも、「座談会」が繰り広げられている。
 「地中海の真珠」と謳われるスペインのマジョルカ島の座談会は、実に二十カ国に及ぶ国籍のメンバーが集い合って行われる。
 スペイン語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語など、幾つもの言語が明るく飛び交っていると伺った。
 北アイルランドの中心都市ベルファストでは、わがSGIの座談会には、長年、紛争に苦しんできた人びとの幸福を願う、良き市民の平和と友情の語らいが光っている。
 今や、「ザダンカイ」は、世界の共通語となった。
 アメリカ・オレゴン州の田園都市アッシュランドにも、劇的な座談会の歴史がある。
 一九八〇年代の後半、この街に、南カリフォルニアから二人の女子部員が越してきた。当時、まだSGIの組織はなかった。
 そこで、二人きりで座談会を始めたのである。
 シェークスピア劇が盛んなこの街らしく、一人が「中心者役」で、もう一人が「新来者役」。そして、並べた機関紙を参加者に見立てて、座談会を開き続けた。必ず、友の笑顔であふれる座談会をしてみせると誓いながら。
 この"二人だけの座談会"に、やがて、同志である全米ナンバーワンのテレビ俳優も加わり、医師などをはじめ、地域の名士も次々に参加するようになった。
 そして、今や、百人以上の支部に大発展し、その名も「イーグルピーク(霊鷲山)支部」として躍進しているというのである。
 アルプスの名所、スイスのインターラーケンでも、一粒種の婦人部の方が座談会を積み重ねて、人材の山脈を築いてこられた。
 世界中で、女性が「広宣流布の門」を開いてくれている。
8  御聖訓には、「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」と仰せである。
 つまり、皆が集まり、御書を学び合い、互いに励まし合い、信心を深め会う座談会こそ、日蓮仏法の正しき実践の在り方なのである。
 ある時、牧口先生に、一人の青年が意見を述べた。
 「座談会ではなく、もっと大規模な講演会形式にした方がいいと考えますが……」
 先生は、言下に答えられた。
 「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。
 日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」
 牧口先生は、たった一人のためにも、遠路をいとわず訪ねられた。相手が一人いれば、そこが座談会になった。
 先生の信念は獄中にあっても微動だにしない。
 「さあ、問答をしよう!」
 相手は取調官である。
 「よいことをしないのと、悪いことをするのと、その結果は同じか、違うか」
 理路整然と、宗教の正邪を論じ、折伏されたのだ。
 戸田先生も、ご自身の会長就任式で、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話からだ」と叫ばれた。
 学会をこよなく讃嘆されていた大学匠の堀日亨上人も、常々、「創価学会の強さは、今までにない布教法にある。それが座談会だ」と言われていたという。
 「一は万の母」である。
 「たった一人でもいい。目の前の一人に、この大仏法を語らずにはおくものか!」
 広宣流布の拡大は、この歴代会長の一念から始まったのである。
9  先日、ある関西の同志から、お手紙を頂戴した。自分のことであり恐縮であるが、ありのままに紹介させていただきたい。
 「あの『大阪の戦い』の時でした。池田先生に来ていただいた座談会が、今でも忘れられません。
 一人、若武者のごとく会場に来られました。一冊の御書を手にされていました」
 「体験談を聞けば、立ち上がらんばかりに、全身で讃える。質問があれば、御書をひもときながら、一つ一つ丁寧に、明確に答えてくださる。時にはジョークで皆を笑わせてくださる。楽しくて、嬉しくて、私たちは涙をぬぐいながら、笑っていました。
 十人以上の新来の友も、座談会が終わる頃には、全員が入会を決意しました。
 このにぎやかで、朗らかな座談会が、私の人生の原点です」
 私にとっても、座談会でお世話になった家々、また座談会でお会いした方々は、みな、生命の奥底に深く刻まれて、永遠に離れることはない。
10  インド独立の父・ガンジーは、どんな地域へも勇んで足を運び、少人数の集いを最大に重視した。
 アメリカの公民権運動の父・キング博士も、小単位の集会を基軸に勝利の波動を広げた。
 かつて、ある名棋士が語った一言が忘れられない。
 「大勝負は中央からは始まらない。むしろ目立たない、盤上の際のほうから始まる」
 「最前線」である。
 「小単位」である。
 「膝詰めの対話」である。
 なかんずく、「座談会」である。
 ゆえに今日も、希望の語らいのドラマを!
 にぎやかな、触発の対話の花を!
 そして、断固たる正義と勝利の連帯を!

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