Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「希望の柱」は創価にあり 我らは永遠に生気溌剌と前進!

2005.9.27 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「真の賢人はいつも快活である」(『文読む月日』上、北御門二郎訳、筑摩書房)と、ロシアの文豪トルストイは言った。
 私は、この言葉を聞くと、不屈の魂をもつ、わが偉大な同志たちの顔が思い浮かぶ。
 この人生、我らは永遠不滅の妙法を抱いて、朗らかに、意気揚々と進むのだ。
 日蓮大聖人は、「三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」と仰せである。
 我らは、何があろうが、正しい賢者の道を進んでいる。何ものにも屈しない、最強の楽観主義の哲学をもっている。そして永遠の正義が味方している。
 常楽我浄という我が生命の勝利を傷つけることは、誰にもできないのである。
2  "人生の達人"ゲーテは、常々語っていた。
 「生き生きと、生きよ!」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫。以下、同書より引用)
 弟子のエッカーマンが、日ごと、師のゲーテに会った印象を書きとめているが、そこには、「上機嫌だった」「快活だった」という言葉が繰り返し記されている。
 こういう感想もある。
 「何事にもてきぱきと、また断固としていて、まるで青年のようだった」
 「彼の精神は溌剌として活力にあふれ、その目は灯に映えてきらきら輝き、表情の一切が快活さとエネルギーと若さそのものであった」
 当時、ゲーテは、七十歳を超えていた。しかし、なんと若々しき姿であろうか!
 エッカーマンは、ゲーテに長年仕えていた人にも、「昔から快活だったのか?」と率直に尋ねている。
 答えは一言。
 「もちろんですよ!」
 ゲーテとの交友を大切にしている名士の一人は、来訪の思いを次のように語った。
 「この偉大な精神(=ゲーテ)にふれて、また元気づけてもらいたいと思って、やってきたのです」
 会うと、楽しい。会うと、元気になる。会うと、新鮮な触発を受ける。会うと、戦う勇気がわいてくる。
 個人であれ、団体であれ、快活なところ、勢いのあるところ、豊かな精神性があるところは、強力な「磁石」をもっている。その周りに、必ず勝利と前進の足音を広げていくものだ。
3  「我々は生気溌剌たる団体が必要である」(『チェックスロワキヤ国 建国と理想』竹山安太郎訳、日東出版社)
 これは、チェコの哲人政治家マサリクの言葉だ。「民主主義」を支える社会的基盤を論じるなかで、彼はこう訴えたのである。
 全く、その通りだ。
 翻って、今の日本社会のどこに、こうした「生気溌剌たる団体」があるか。新しき社会建設を担う、生気溌剌たる人物がいるか――。
 かつて戸田城聖先生は、日本の社会全般を見て、「なんとなく物足りない。これでよいのか」という所感を述べられたことがあった。
 何もかもが一応整っているように見えるが、なんとなく頼りなく、底が浅い。
 その原因は「人」にあるとは、先生の達観であった。
 「個々の職責にいる人が生き生きとして、はちきれるような生命力がない」
 「命令だからまずまずやるんだと、命令がなければ与えられた職責だけを他人に指摘されないていどにやっていればよいというのが、だいたいのすがたである」と、まことに痛烈であった。
 この現状を変革するには、「信念の人」をつくるしかないが、それは「正しい宗教によって生命力を強める以外にはない」と、戸田先生は断言されたのである。
 今また、変革の時代だ。
 満々たる生命力をもって、民衆の幸福のため、社会の繁栄のために自発能動で戦う、新しき「信念の人」が躍り出なければならない。
 「生気溌剌たる団体」が、疲れた社会と大衆を蘇生させなければならない。
 今、私たちは胸を張って、堂々と宣言したい。
 わが創価学会を見よ!
 元気溌剌たる創価の青年の大連帯を見よ!
 太陽の笑顔に輝く、創価の女性たちを見よ!
 ここに、社会を生き生きと支える「正義の柱」「希望の柱」「民衆の柱」が、厳然と実在しているのだ。
4  なぜ、学会は強いか。
 それは、仏意仏勅の広宣流布の大願に生き抜き、邪悪と戦う破折精神が、同志の胸に脈打っているからだ。
 ことに青年は、この闘魂を絶対に失ってはならない。
 激戦に明け暮れたあのナポレオンも、常に、内外の反対勢力との攻防があった。
 ――彼が皇帝時代、ある勢力によって、内乱を扇動する動きが密かに進行していた。(ラス・カーズ『ナポレオン大戦回想録』1、難波浩訳、改造社。以下、同書より引用・参照)
 やがて一人の議員が、その証拠文書を知ることとなった。全議員中、最も若い議員であった。
 ところが、彼は、国家に責任ある立場に居ながら、見て見ぬ振りをし、扇動を阻止しようとも、告発しようともしなかったというのだ。
 事件が発覚したあと、ナポレオンは、この若い議員を召喚し、「君の過失は大きいのだ」と叱責した。
 「今にも方々の町全体が君の過失のために混乱に陥れられたかもしれないところだ」
 悪の増長を黙って見過ごす"師子身中の虫"は、絶対に許せなかったのである。
 ナポレオンは遂に、この男はもはや議員の資格を失ったと宣告し、叱りつけた。
 「出て行け、二度と再びここに現れるな!」
 そして、男が去ったあと、書記に言った。
 「裏切りと書くのだよ、わかったか?」
5  仏法荘おいても、悪を見て見ぬ振りをするのは、重大な「裏切り」に等しい。
 大聖人が繰り返し引かれた経文には、こうある。
 「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり
 仏法破壊の悪人と戦わず、悪を放置する者は、「仏法の中の怨」であると、峻厳に断ぜられている。
 悪と戦い、断固と打ち勝つ大生命力が「仏」である。
 ゆえに、戦えば戦うほど、力が出る。強くなる。
 わが恩師は、「悪と戦う根性のない意気地なしは戸田の弟子ではない!」と、それはそれは厳しかった。
 先生は、どこかで理不尽な悪口罵詈、デマがあれば、健気な学会員を守るために、真っ先に反撃の声をあげられるのが常であった。
 もしも青年部が知らなかったら、大変だった。
 「情報が遅い! それでも学会青年部か!」
 百雷が落ちるような叱責を受けたものである。
 ともあれ学会は、迅速果敢な破折の言論闘争で、魔軍を破り、勝利、また勝利の大道を切り開いてきたのだ。
6  私が対談させていただいた平和の闘士・ロートブラット博士(パグウォッシュ会議名誉会長)は生前、遺言の如く語っておられた。
 「私は、楽観的でなくてはならないと思います。その反対は何でしょう。互いに悲観主義に陥って、破壊し合うことしかありません。楽観主義しか道はないのです」
 そして「楽観主義には努力が必要だ」と、行動の大切さを訴えられた。
 「『私は楽観主義である』と言う時、それは単純に『世界は良くなる』と信じているわけではありません。私たちがより良くするために何かをしない限り、世界は良くなりません。自分にできる何かを、自分にできる貢献をしなくてはなりません」と。
 全く同感である。
 さらに、博士は、私にこう語ってくださった。
 「楽観主義は、私の倫理です。それは宗教ではありませんが、あなたの宗教に似ているかもしれません。
 私と池田会長は、異なる立場から出発して、同じ結論に達しました」
 人類の幸福と平和への戦いは、暗く悲壮なものでは絶対にない。ここには、正義を行っているという不動の信念と輝く希望があるからだ。
 今、異体同心で勝ち飾りゆく創立七十五周年の山は、なんと晴れやかなことか!
 険難の峰に挑んで流した、苦闘の汗も涙も、すべて充実の喜びと変わる。
 見よ! 広宣流布の栄光の未来は、燦たる光に包まれ、洋々と広がっている。
 さあ、新たな快進撃だ!
 朗らかに進もう! どこまでも、またいつまでも!

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