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日蓮大聖人・池田大作

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誇り高き偉大なる婦人部を讃う 輝け! 『女性の幸福の世紀』

2005.6.30 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  フランスの文豪ロマン・ロランは綴っている。
 「私は、自らの最後の日まで、私自身の人生をさらに広く、さらに高くすることに挑みゆくのだ」(Les Vaincus)
 まさに、仏法の方程式に通ずる。
 "自分自身の一生を、最後まで人間革命して戦い抜け!"との先哲の声が聞こえてくる。
 さらに、アメリカ公民権運動の指導者キング博士の言葉も、私は大好きであった。
 「われわれが正義と自由を求めて闘う時、われわれには宇宙が味方しているのだ」(梶原寿監訳『私には夢がある M・キング説教・講演集』新教出版社)
 これも、仏法の方程式と同じである。
                                      ◇
 鮮やかな緑に、初夏の光が美しく照り映えていた。
 この五月二十六日、私は、ブラジル歴史地理院から第一号の「名誉外国会員」、ブラジル哲学アカデミーから日本人初の「在外会員」の称号をお受けした。
 式典には、ブラジルSGI(創価学会インターナショナル)の壮年・婦人・男女青年部の代表三十一人の誇らかな顔があった。なかでも婦人部の笑顔が輝いていた。
 「しばらくだね!」
 私は、空路三十時間もかけて集い来った広布の友を、最大に讃え、最大に感謝した。
 今回のこの晴れやかな顕彰は、良き市民として社会貢献する、皆様方の奮闘の結晶であるからだ。
 壮年部も頑張った。
 なかんずく、婦人部の力は大きかった。
 称号を授与してくださった天文学者であり、哲学者であるモウラン博士も、SGIへの理解を深める機縁となったのは、ブラジルSGIの婦人部の方々のおかげですと、心情を語られていた。
 こうした深い信頼と友情がブラジル社会に築かれるまでには、どれほど忍耐強い、わが婦人部の奮闘があったことか。私は胸が熱くなる。涙することもある。
 私は、式典当日の朝、ブラジルの地にいる、懐かしき健気なる婦人部の方々に、心からの感謝を伝えた。
 ブラジルは、日本とは地球の反対側。昼夜も逆で、十二時間の時差がある。
 私の伝言が届いた時には、ブラジルは夜であった。
 しかし、賑やかにして朗らかな大勢の婦人部の方々が、日本での式典の成功を祈って、真剣に唱題してくださっていた。
 「私たちの心は、式典に臨まれる池田先生、奥様と一緒です!」と。
 「心」は不思議なものだ。どこにいても、真心はわかるものである。瞬時に心へ届く。遠きブラジルの婦人部の方々の一念の、喜び勇んだ躍動が、瞬間に私の心へ届いてきた。
 日蓮大聖人は、遥かな佐渡の千日尼に書き送られた。
 「天の月は四万由旬の彼方にあるけれども、大地の池には即座にその影を浮かべる。雷門の鼓は千万里の遠くにあるけれども、打てば即座に聞こえる。あなたの身は佐渡の国におられるけれども、心は、私のいる、この国に来られているのです」(御書一三一六ページ、通解)
 ブラジルの偉大な婦人部と同じように、日本全国、そして全世界の皆様方も、労苦を功徳に変えながら、広宣流布に戦い進んでおられる。
 その婦人部の皆様方に、私たち夫婦は、常に感謝の題目を送っている。
 広宣流布の師弟の旅路は、永遠に一緒である。
 誰よりも真剣に、大仏法のために戦ってくださる、一途にして気高き母たちよ!
 必ずや三世十方の仏・菩薩が賞讃し、皆様方を厳然と護りゆくことは、絶対に間違いないのだ。
2  「人間は溌刺たるものに好意をよせる」(『ゲーテ格言集』大山定一訳、『ゲーテ全集』18所収、人文書院)とは、ゲーテの洞察であった。
 ブラジル婦人部も、溌刺たる生命の息吹で、友情を広げ、共感を深めてきた。
 その一人に、女性医学者として活躍しているさわやかなリーダーがおられる。
 生後間もなく母を失い、父も知らぬまま、養父母に引き取られた彼女の半生は、壮絶な苦労の連続であったと伺っている。
 死とは何か、家族とは何か、宿命とは何か……と、苦悩し抜いた末に、ナザレさんは大仏法に巡りあった。二十年近く前のことである。
 彼女は、信心の喜びをこう語っている。
 「私が入会して一番の功徳は、『恩』を感じられるようになったことです。
 あまりにも苦しい人生を生きてきたせいか、"他人は私にもっと何かしてくれなければいけない"と思う心になっていました。
 でも、信仰してから私は、"人に何かしてあげられる自分になりたい"と思うようになったのです」
 なんと崇高にして素晴らしき、人生の「勝利の心」であろうか!
 感謝と報恩を知る人は、いつまでも美しく、晴れ晴れとして、一切を勝ち越えている。彼女自身も、燦たる太陽の如く断固と勝ったのだ!
 一方、忘恩は畜生であり、人間として惨めな敗北者だ。
 「何よりも耐え難いものがある。それは人間の忘恩だ。およそ忘恩ほど下劣な、そして恐ろしいものはない」(長瀬鳳輔『ナポレオン・ボナパルト』実業之日本社)
 これは、ナポレオンの有名な言葉であった。
 ともあれ、ナザレさんが言われたように、いつも「自分が人に何をしてあげられるか」を考え、勇んで行動してきたのが偉大なる創価学会であり、その最先端の一番のヒロインが、尊き婦人部の方々である。
 人知れず、夫の健康と、子どもたちの立派な成長を、真剣に祈りゆく母の美しき姿!
 ある母は、亡き夫の追善を忘れず、生き生きと無数の人びとのために、この絶対の仏法の流布に走りゆく。その健気な姿よ!
 そこには、名誉もなく、利害もなく、最上にして無窮の魂の勝利の行動がある。
 いくら中傷されても、断じて負けない。
 十九世紀イギリスの歴史家カーライルが喝破した如く、「正しくないものは、どんなものでも、此の世に永続することを希望できないのだ」(『歴史の生命』宇山直亮訳、『カーライル選集』6所収、日本教文社)
 創価の女性の「正義」と「真実」の声に勝るものはない。
 この婦人部の連帯の信心の波が、苦難の時代を変えて、世界を平和になしゆく源泉であることは、仏法に照らして、その通りである。
3  四十二年前(一九六三年)の六月、世界で初めて、女性が宇宙に飛び出した。
 「ヤー、チャイカ(私はカモメ)」という劇的な第一声を放った、宇宙飛行士テレシコワさんである。
 三歳で父を亡くし、十代の日から、タイヤエ場や紡績工場で働いて、愛する母を助けてこられた。苦労に苦労を重ねながら、ついに壮大な夢を叶えた女性である。
 テレシコワさんは、自らを乗せたボストーク6号が、祖国のボルガ河上空を通った時、どんなメッセージを地上に送ったか?
 それは――"わが母と、世界のすべての母親の幸福を希望する"というものであった。
 宇宙飛行の体験談よりも、私は、その勇気ある「平和の哲学者」の叫びに心打たれた。私には、いかなる邪悪にも、いかなる不幸にも絶対に負けぬという「平和の天使」に映った。
 ともあれ、大宇宙から届いた母たちへのメッセージは、今も変わらぬ万人の悲願であろう。
 テレシコワさんと、私たち夫婦は、モスクワで三度の出会いを刻んだ。
 一九八七年五月には、テレシコワさんが議長を務める対文連(対外友好文化交流団体連合会)から招へいをいただき、モスクワで、歴史的な"核の脅威展"を開催した。
 開幕式のその日も、朝早くから、熱心に準備に当たってくださるテレシコワ議長の陣頭指揮の英姿があった。
 テレシコワさんは、自伝に毅然として書かれている。
 「人間ひとたび何かを心の底からやりとげようと思い、この志に全力でとりくむならば、必らず目的を達するものだと思います」(『テレシコワ自伝』宮崎一夫訳、合同出版)
 このテレシコワさんも、学会の婦人部・女子部との交流を大事にされ、いつも創価の女性の幸福勝利を祝福してくださっている。
4  あのマーチン・ルーサー・キング博士は、同志に烈々と叫んだ。
 「まず第一に、私たちはバラバラになってはいけない。行動を共にして、連帯を維持しなければならない」(前掲『私には夢がある』)
 誰であれ、一人で孤立しては、何ごとも成し遂げることはできない。
 団結こそ力である。「異体同心」が完勝の鉄則だ。
 キング博士は、熾烈な人権闘争のさなか、十九世紀の詩人ローウェルの言葉を引いて、皆を鼓舞していった。
 それは「光と闇とが戦うこの世正義と不義とが争うところ。今こそわれらの決断の時、ためらいひるむな悔いを残すな」(日本基督教団賛美歌委員会編『賛美歌21』日本基督教団出版局)と。
 私たちは今、人類が夢見た新たなる世界を築いている。
 「女性の幸福の世紀」を!
 「母の勝利の世紀」を!
 そのために――
 誇り高き創価の女性よ!
 偉大なる広布の母よ!
 何があっても、朗らかに、また聡明に、そして勇敢に、一日一日を勝ってくれ給え!
 今日も、元気で!

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