Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世田谷の人材の大城 青年こそ新世紀を創る英雄

2005.6.16 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  「百の理論よりも一の実行が尊い」
 これは、平和のため、世界へ行動を広げた新渡戸稲造博士の信念であった。牧口先生とも深い交友の方である。
 仏法も行動だ。現実の行動こそが命だ。 勇気の一歩を、踏み出せ!
 そこに、本当の智慧も力も出る。そこに、大勝利の突破口も開けるのだ。
2  若き日、私は、恩師・戸田先生の命を受けて、世田谷区の成城を訪ねたことがある。
 1954年(昭和二十九年)の一月、著名な民俗学者・柳田国男氏のお宅に、牧口先生の『価値論』を届けるためであった。
 柳田氏は、牧口先生の長年の知己である。
 『創価教育学体系』第一巻には、「行詰まった現代教育界を打開するに足る」一書として、期待あふるる推奨の序文も寄せてくださった。
 牧口先生は、柳田氏に仏法の真髄を教えたいと、折伏もされていたようだ。
 傲慢な軍国日本と戦われた牧口先生は、その後、国賊の烙印を押され、冷たい牢獄で生涯を閉じた。
 「いったい誰が、牧口先生を殺したのだ! この仇を取らずにおくものか!」
 戸田先生は、獄中で慟哭した。激怒した。しかも、その師の獄死に接しながら、牧口門下の誰も本気で怒らなかったことが、さらに許せなかった。
 「学会に、腰抜けの人間はいらない。 悪への怒りなき者は去れ! 私は、最後の一人になっても戦う!」
 牧口先生の十回忌(1953年11月)に、戸田先生は、師の『価値論』を補訂・再版して世に問われた。
 「この『価値論』を世界の大学に送りなさい!世の学者に読ませるのだ!
 牧口先生の偉大さを、必ず全世界に認めさせるのだ!」
 事実、先生は、英文の解説も添えて、世界四百以上の大学へ、この『価値論』を送られたのである。
 "見よ、世界よ! 見よ、学者たちよ! これが、私の偉大な師匠だ!"と、戸田先生は誇り高かった。
 私も、深く深く決意した。弟子が、必ず師匠の正義と真実を、全世界に宣揚しきることだ、と。
 まさに、その時、戸田先生の名代として、若き私は、世田谷区の柳田宅を訪ねたのである。
 あいにく柳田氏は不在であったが、誠意を尽くし、家人に『価値論』を託した。
 戸田先生に報告すると、小さく頷いて言われた。
 「そうか」――その一言に、私は、師の深い期待を感じ取っていた。
 "大作、戦いは始まったばかりだ。一生涯、創価の正義を世界に示せ!"
3  戸田先生は、よく言われた。
 「人生は種々なる苦難の峠である。生命力の弱き者は、絶えず泣きながら、苦るしみながら、人生をわたるのである。生命力のたくましき者は、楽しみながら、わたるのである」
 私は、どこへ出ようが、相手が誰であろうが、恐れるものは何もなかった。
 一閻浮提第一の日蓮仏法を信奉しているからだ!
 広宣流布の師・戸田先生の直弟子であるからだ!
 この師弟不二の大道を貫き通す青年は、世界一の幸福者であり、最高の青春を生き抜く勝利者である。
 「新しき世紀」を創る若き英雄なのである。
4  この同じ1954年(昭和二十九年)の秋十一月七日――。
 晴天であった。あまりにも青空が美事であった。
 私が中心となり、世田谷の日大グラウンドで、「青年よ、世界に羽ばたけ!青年よ、世界で戦い勝て!」との熱き思いで、第一回の青年部体育大会を開催した。
 この日のことを、今もって、私は誇りとしている。
 男女青年部の躍動の行動は、まるで「傑作の絵画」であり、「おとぎの世界」であった。
 誇り高き青年の「勝利の乱舞」は、まさに、私たちが掲げた通り、「世紀の祭典」となった。
 わが青年部は、足並みそろえて、全世界への第一歩を踏んだのだ。
 いずこの学校の運動会や、大学の学園祭よりも、新しい未来を見つめゆく、若者らしい創意工夫が光っていた。すべてが新しい劇であった。行動であった。演技であった。
 多数の参加者が驚嘆し、賞讃してくださった。
 来賓として出席した人びとも、「さすが創価だ! さすが創価だ!」と、ため息をつくほどであった。
 戸田先生は、心から喜んでくださった。
 これで、創価の青年が厳然と、日本はおろか、世界広布の断固たる確信をもって、行進し始めていったことを!
 先生は、一日中、世田谷の天地で、堂々と羽ばたく攻防戦に声援を送り、励ましてくださった。
 白熱の競技、競走には、手を叩き、立ち上がって応援してくださったのである。
 嬉しそうであった。
 楽しそうであった。
 そして「この青年たちが、未来の大創価学会を築いてくれるんだよ!」と、多くの方々に、意気揚々と語りかけられていた。
 師は、「これでよし! 未来の学会は決まった」と思っていたにちがいない。
 この日、大拍手のもと、戸田先生はあいさつされた。
 「かくも若き人々が、事実のうえにおいても、りっぱに集まったことは、私自身の心からの喜びであり、これからの国家は今後、諸君に頼む以外にないと、私は確信する」
 これは、わが師の、私たち青年への遺言となったのである。
 あの世田谷のグラウンドに燃えた若き闘魂は、今もって我が生命から消えない。
5  戸田先生は指導された。
 「青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」と。
 どこの誰が無責任に何を言おうが、下らぬ中傷批判など歯牙にもかけるな! いな、木っ端微塵に打ち砕け!
 京王線「芦花公園駅」に名を残す、世田谷ゆかりの作家・徳冨蘆花は、トルストイの影響を受けた。
 そのトルストイは喝破している。
 「(=自分の)罪の弁護をするのは悪魔の所業である」(『人生の道』上、原久一郎。岩波文庫)
 デマや讒言をまき散らし、何ら悪びれない輩は、まさに悪魔だ。ゆえに戦え!
 「善心は恵みであり、喜悦であるのみならず、また同時に闘争の武器でもある」(同『人生の道』下)
 その通りだ。
 邪悪を責め続けてこそ、学会は「善の中の善」となり、「正義の中の正義」となった。若き諸君は、それを断じて忘れてはならない。
 また、戸田先生は叫ばれた。
 「御書を拝さず、学会の信心指導を受けず、学会に迷惑をかける者は、断固、追放せよ」
6  戸田先生は、こうも言い遺された。
 「派手な存在ではなく、地味な存在で、水の流れる如き信心の方々を最大に大事にすることである」と。
 世田谷区は、東京二十三区第一の人口八十三万(推計)を擁する巨大都市である。ことに三十万もの青年が暮らし、未来性に富んでいる。
 山の手の閑静な住宅街もあれば、下町の風情もある。若者で賑わう街もある。
 この我が町・世田谷で、創価の人材群は、銀河の如く輝き、大河の如く社会を潤す。皆、人柄が良い。「後輩を自分以上の人材に!」という、麗しい気風があふれている。
 なかでも、「仏教大学校」をはじめ、多彩な人材グループが、二十一世紀の今日まで、豊かな価値創造の人間大河を広げてきた。
 壮年部の「洋々会」。
 婦人部の「春光会」「香輝会」「桜香塾」。
 男子部の「飛翔会」。
 女子部の「誓光会」。
 新会員育成のための、毎月の「ルネサンス大学校」も賑やかだ。
 さらに「世田谷兄弟会」は二十周年を迎えた。
 今春の記念総会には、全国から三千人以上もの懐かしき"世田谷家族"が晴れ晴れと集い合われている。
 御聖訓には、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」と仰せである。
 多様性は力だ。
 「異体同心」の大世田谷よ!
 多士済々の我が同志が心を合わせ、勇気の行動を結合していけば、不可能はない。
 必ず偉大な勝利の歴史は築かれる。
7  私も、この世田谷に、平和と文化の「勝利の虹」を懸けるため、走り続けてきた。
 桜丘の東京農業大学のキャンパスでの"農業展"に出席した折に、わが世田谷の同志と行った記念撮影は、まことに思い出深い。
 また、駒沢の功労者宅への訪問。
 赤堤の世田谷文化会館での「もちつき大会」。
 砧の東宝撮影所の視察。玉川文化会館での懇談……。
 用賀の東京池田記念講堂にも何度も足を運んだ。色とりどりの鉢植えや菊花を飾って迎えてくださった真心も、忘れられない。
 奥沢の閑静な住宅街を訪ねたこともあった。私が十八歳の時に勤めた小さな印刷会社の社長宅である。
 温かい心の社長であった。結核で苦しみながら働く私を励ましてくれた。
 退職後、めったにお会いできなかったが、再会した瞬間に、時間の隙間は埋まった。喜びが心を満たした。
 世田谷には、金の思い出が星のように光っている。
8  私は、世田谷にお住まいであった作家の井上靖氏と、昭和五十年春から一年間、書簡を交わした。
 七月にお送りした書簡で、私は師の思い出を綴った。
 「戸田先生は権力にも権威にもこびず、貧しい人の、苦労している民衆の味方でした。庶民の足下の問題を、膝をまじえつつ語り合う時、路地から路地へと一軒一軒、訪ねている時が、最もうれしそうでした。それに青年をこよなく愛された……」
 恩師が出獄した1945年(昭和二十年)の七月三日から、三十周年を迎えた時であった。
 氏は返書で「たいへん心を打たれました」と、師弟の絆を賞讃してくださった。
 今年は戸田先生の出獄から六十年。民衆の幸福と勝利こそ恩師の悲願であった。
 井上氏は、「烈日」という言葉がお好きだった。
 烈しく照りつける太陽のように、「烈しく何事かを為そうとした気持だけが、生きたということの証し」であると記されていた。
 私も小説『人間革命』で、恩師の第二代会長就任を描いた章を、「烈日」と題した。
 日々、太陽の如く全生命を完全燃焼させる!それが、「太陽の仏法」を奉じた、わが創価の生き方だ。
 太陽に停滞はない。太陽に諦めは絶対にない。風が吹こうが、雲が出ようが、雨が降ろうが――
 太陽の勇気で!
 太陽の執念で!
 太陽の慈愛で!
 世田谷の太陽の同志よ!わが友を励ますのだ。友の心に届くまで、対話の光を送るのだ。
9  誰が何と言おうが、自信満々と、君よ輝け!
 日蓮大聖人は仰せである。
 「始より終りまでいよいよ信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん
 「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」 負けるな! 断じて負けるな!
 世田谷の友よ! 完璧な団結で突き進め!
 戸田先生は、青年を励まされた。
 「山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ、『勇気』を奮い起こし、『智慧』を発揮していくところに、信心の本当の深さがある」
 おお、世田谷から、二十一世紀の広宣流布の旭日は昇りゆく。
 おお、共に振れ!
 新世紀の完勝の旗を!

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