Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大東京の常勝城・足立  

2005.5.16 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  「師弟の道」に勝利あり!
 「師弟の道」は尊極である。「師弟の道」は峻厳である。
 この「師弟の道」にこそ、広宣流布の永遠の勝利が開かれていくのだ。
 日興上人は、五老僧らとの戦いのなかで言われた。
 「日蓮大聖人の弟子たち(五老僧ら)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人が、本師・大聖人の正義を守って、広宣流布の本懐を遂げ奉るべき人であると自覚するので、その本意を忘れないのである」(編年体御書一七三三ページ、通解)
 御本仏から大事にされ、門下の最も上に立つ弟子たちが、増上慢にも師を軽んじ、師の心を踏みにじった。ただ一人、奮然と「師弟の道」を貫き通していかれたのが、日興上人であられる。そして、そのあとに続いていったのが、青年であった。日興上人は、若き門下へ、こう仰せである。
 「あなた方はいずれも、大聖人の正義をわきまえておられるので、私は心から喜んでいる」(編年体御書一七三四ページ、通解)
 いかに忘恩の背信の輩が出ようとも、正義の青年が厳として立てば、希望は絶対に尽きない。ゆえに創価の花の若人よ! 恩師が「青年訓」に叫ばれた如く、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の正義の闘争を断固として勝ちゆくのだ!
2  先日、ニューデリー郊外に広がるインド創価菩提樹園の素晴らしい全景写真が、聖教新聞の一面を飾った。ここには、大東京の王者・「足立総区」の木や、「足立兄弟会」の木も、立派に植樹されている。法華経寿量品の――「園林 諸の堂閣は 種種の宝もて荘厳し 宝樹は花菓多くして 衆生の遊楽する所なり」(創価学会版法華経四九一ページ)との文を彷佛させる輝く緑の景観は、まことに美しかった。
 今回、尊きインドの同志たちから、私の名代としてこの園林を訪問した長男に託して、菩提樹の葉が贈られた。
 「菩提樹」――その名は、釈尊が、この木の下で、襲い来る魔の軍勢を打ち破って、成道したことに由来する。仏法では、「降魔成道」といわれている。
 魔との戦いなくして成仏はない。「仏」とは、魔軍に打ち勝つ勝利者なのだ。その戦場は、無明に覆われた人間の心であり、人間が生き抜く娑婆世界である。ことに、法華経の行者として広宣流布の戦いを起こすならば、必ず「三障四魔」「三類の強敵」が競い起こる。広布を妨げようと、「第六天の魔王」は嫉妬に狂い、難が襲ってくる。日蓮大聖人は仰せだ。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土どうこえどを・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
 仏法は、観念でもなく、形式でもない。魔との大闘争に勝利しゆく法則なのだ。魔は、予期せぬ姿を現じ、意表をつくようにして、ある時はマスコミを使い、ある時は政治権力に取り入り、ある時は師子身中の虫となって、和合僧を撹乱してくる。多くの者たちを最も動揺させ、やる気を失わせることこそが、魔の実態であり狙いなのである。
 しかし、大聖人は厳然と仰せだ。断じて恐れてはならない。絶対に恐れてはならない。臆病風に吹かれて怯んではならない、と。「日蓮一度もしりぞく心なし」と仰せの闘魂を、大聖人は弟子たちに打ち込まれた。自身の人間革命も、宿命転換も、仏の正義軍の勝利も、勇敢なる「難を乗り越える信心」、そして「絶対勝利の信心」の決意を持っているかどうかに、かかっているのだ。
 シェークスピア劇に登場するある国王は、危険に直面した戦場で叫んだ。君たちよ――「だからこそいっそう勇気をふるい起こさねばならぬのだ」(『ヘンリー五世』小田島雄志訳、『シェークスピア全集』5所収、白水社)と。有名な言葉である。
 ともあれ、仏法では「変毒為薬」と教えている。その逆転劇を生み、勝利しゆくのは、勇気ある信心だ。現実の困難に立ち向かう勇気から、無量の智慧が湧いてくるのだ。ピンチをチャンスに変えていける。これが、妙法という不可思議の法則なのである。
 王者の魂を持っている君たちよ! 長者の幸福の魂を持っている貴女たちよ! 何があろうが、微動だにするな! 毅然として、大聖人と一体となり、わが勇敢なる同志と一体となり、すなわち異体同心で立ち上がれ! そして、一切の難を悠然と乗り越え、必ず勝利することだ。勝利だ! 勝利だ!
3  日本に″常勝関西″があるように、大首都圏にも常勝の″王者・足立″があることを忘れまい。これは、全同志が「その通りだ、全くその通りだ!」と賞讃する事実だ。
 思えば、昭和六十年前後の七、八年間、私は、幾度となく、足立に足を運び、この民衆城を完璧に築き上げるために死力を尽くした。
 「真剣」には「真剣」が、「誠実」には「誠実」が返ってくるものだ。わが足立の尊き同志は、やると決めたら一歩も引かない。最後の最後まで、戦い勝ち抜く執念を燃やしてやり切る。これが、足立の誇り高き友の根性であった。当時、私は指導した。
 「首都圏が大事だ。各区・各県の境目はあるが、大きく見れば境目はない。″関西が一つ″であるように、首都圏も一体でいくのだ。首都圏が団結すれば、すごい力が出る。だから、埼玉、神奈川、千葉、さらに茨城、群馬、栃木、山梨と、東京が連携し、連合していくのだ。足立はその中心軸になって、大渦を巻き起こす深い宿命に立っていることを忘れないでいただきたい」
 では、どうすれば、首都圏を一つに結合させる大渦を巻き起こせるのか。それは、わが足立が先陣を切って、最難関の壁を破る大闘争を起こすことだ!
 一番戦っている、一番激戦のところに、一番強い、難攻不落の城ができるからだ。それを中心として、正義の団結の同心円を、勝利の同心円を、限りなく広げていくのだ。
 これが、広宣流布の大指導者であられた戸田先生の弟子として、私が若き日から築き上げてきた創価学会である。蒲田を見よ。文京を見よ。札幌を見よ。大阪を見よ。
 そして今こそ、わが東京の王者・足立を見よ! 大激戦に鍛えられてこそ、組織も、自分も、強くなる。王者の生命となるのだ。
 忘れもしない昭和六十年の一月、私は、足立の一人の幹部に言った。何年か前に、他県から足立にやって来たリーダーであった。
 「君は、いったい、どこの人間なんだ!」
 腹の決まらぬ人間は、激戦を支えられない。これは、油断も、逡巡も、弱音も、あってはならない戦いなのだ。彼は、決然と叫んだ。「私は、この足立に骨を埋めます!」
 師弟の呼吸だった。
 「そうだ。今、戦いの場所はここなんだ。ここに覚悟を決めれば勝てるのだ」
 この時、彼だけでなく、皆が強い心、深い決意を定めた。そして皆が、足立を日本一にしゆく崇高なる決心をもって、一人ひとりが闘将として立ち上がった。そして、皆様方の激闘に次ぐ激闘のおかげで、王者・足立の新時代は始まったのだ。これは、永遠に輝く勝利の歴史となっている。
 自分のいる場所から、朗らかに戦いを起こせ! 祈りと歌を響かせながら、勇敢に敵を倒せ!
 大聖人は、若き南条時光に対して、「をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ」と激励された。「不惜身命」の信心でこそ、いかなる苦難も、いかなる宿命も乗り越え、勝ち越えていくことができるのだ。そして、永遠の功徳を積みながら、広宣流布の大願を達成させていくのだ。
4  今年は、私が足立の会合に初めて出席してより、ちょうど五十周年と伺った。足立の同志の皆様は、私と共に、本当によく戦ってきてくださった。
 昨年の春、「さすが王者の足立だ!」と、周囲を感嘆させたことがあった。東京で初の″トインビー展″の開催である(「『21世紀への対話』――トインビー・池田大作展」)。
 男女青年部の諸君が献身的に取り組み、会期中、会場である足立文化講堂には、何と内外十万人近い方々が訪れてくださったそうだ。
 思い起こせば、トインビー博士と私の二年越し、のべ四十時間に及んだ対話は、私に対する博士の期待、いや遺言というべき言葉で終わった。
 「ミスター池田! あなたが、世界に対話の旋風を巻き起こしていくことを、私は、強く念願しています」
 以来、私が世界の指導者や文化人と、千六百回を超える対話を重ねてきたことは、ご存じの通りだ。
 勇気と正義の対話を! 開かれた心の対話を! この私の信念の行動を受け継ぎ、足立の同志は、勇敢に「対話の旋風」を巻き起こしてこられた。痛快なるその風に、創価の完勝の旗が翻ることは、絶対に間違いはないであろう。
 トインビー博士は、偉大な仕事を為す指針の一つを、こう書き残しておられた。
 「自分の精神が行動する用意ができたと感じたらすぐに、すばやく行動せよ」(『回想録』1、山口光朔・増田英夫訳、オックスフォード大学出版会)
 いつかではない、今だ! どこかではない、ここだ! 生き生きとして「所願満足」であり、後悔のない素晴らしき人生であるために、仏法はある。その「真実の仏法」「真実の信心」は、戦うことだ。そして、ありとあらゆるものに断固と勝つことだ。
 偉大なる民衆の王者・足立よ! 威風堂々、勝ちまくれ! 足立よ!

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