Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

わが「聖教新聞」の戦い  

2005.4.20 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
1  広宣流布と幸福の機関誌
 「雄弁は、最高の人格力があらわれるにふさわしい機関である」(『雄弁』斎藤光訳、『エマソン選集5所収、日本教文社』)
 これは、アメリカの著名な思想家エマソンの言葉であった。
 今日、四月二十日は、聖教新聞の創刊記念日である。
 「広宣流布と幸福の機関紙」として、また「人間の勝利と平和の機関紙」として、雄々しく生き抜く庶民大衆に希望と勇気のエールを送り、傲慢なる邪悪には正義の文字の弾丸を撃ち続けて、今に五十四星霜となった。本当におめでとう! 本当に御苦労様!
 聖教新聞には、明確なる主張がある。人間の「一念」の心の如何で、人生も決まる。時代も、社会も、大きく左右していくものだ。「心こそ大切なれ」とは、御聖訓の根幹の哲学である。だからこそ、その最も大切な「心」に、仏法の人間主義という「勝利」と「希望」の哲学を響かせたいと願っている。
 事実、今や、その共感の新しき波動は、全世界に広がっている。実に素晴らしいことだ。紙面を開けば、世界の指導者や知性が、文化を語り、教育を語り、未来を語る。二十一世紀を「平和の世紀」にするために共に戦おうと、熱い期待を寄せてくださる。
 すごい時代を築いている。すごい時代になった。
 過日も、ペルー国立教育大学からソリス総長ご一行を、わが青年たちと共にお迎えして行われた式典が、大きく聖教に報道された。総長ご一行は、紙面を飾った青年たちの笑顔の写真に非常に感動され、「ぜひ、この新聞をペルーに持ち帰りたい」と言われたそうだ。
 「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい!」
 草創期に、こう強く念願された戸田先生も、どれほどか喜ばれているだろうか。
2  私は今、トルコ出身でハーバード大学教授のヌール・ヤーマン博士と、意義深き対談を続けている。博士の祖国・トルコの民衆が伝える諺に、こうあった。
 「素晴らしき言葉は、鉄の扉をも開ける」
 その通りだと、私は思う。生きた智慧の言葉は、閉ざされた心の硬い扉も、宿命の重い鉄扉も開け放ち、勝利への活路を開きゆくものだ。
 これが、仏法である。広宣流布の方程式である。ゆえに一人ひとりが、その力ある言葉を間断なく放っていく、言論戦の主体者になっていくことである。ことに、幹部自らが先頭に立ち、書いて、語って、動くのが、学会の伝統だ。
 思えば、昭和二十九年に、″広布の言論紙″聖教新聞の通信員制度が発足した時も、まず各支部と男女青年部の精鋭十八人が選ばれている。第一回の通信員会で、戸田先生は強く語られた。
 「私は、本当の闘争人に会いたいのだ。いや、本当の闘争人になってもらいたいのだ。これが、広宣流布の師弟の誓願であるからだ」
 この師の願いをわが心として、多忙な社会での仕事や、さらに家事や学会活動のなかで、雄々しく鋭くペンを揮ってきたのが、わが通信員の誉れの歴史である。
 一九五七年(昭和三十二年)、「夕張炭労事件」の時も、北海道の通信員の友が、炭労側の不穏な動きを、迅速に聖教本社に伝えてくれた。それによって、学会員への不当な圧迫が強まっていることを、学会本部として、いち早く察知することができた。だからこそ、「信教の自由」を侵害する陰険な組合の蠢動に対して、先手先手で、的確に打ち破ることができたのだ。
3  通信員制度の誕生と同じ時に、私は聖教新聞の「社友」に任命された。紙面の充実を担う、責任ある執筆陣の一人となった。
 一九五五年(昭和三十年)の三月十一日、日蓮宗(身延派)との法論となった「小樽問答」で、司会として戦った私は、直ちにペンを握り、聖教紙上で歴史的な勝利を伝えた。
 また、聖教の記者たちは、身延山にも足を運び、日蓮大聖人、日興上人の御心に違背した堕落の実態を取材し、筆鋒鋭く糾弾した。
 ドイツの詩人ノバーリスは語った。
 「国の動きは、国民のものの考え方によって決まる。その考え方を高貴なものにすることが、真正な国政改革の唯一の基盤である」(『ノヴァーリス全集』1、青木誠之・池田信雄・大友進・藤田総平訳、沖積舎)
 そのために、真実の言論の力はあまりにも大きい。
 私も、ペンをとり、聖教に書きまくった。新年号で、「何をかおそるる事があろうか。強敵を呼ぶ信心を出せ!」と、青年の奮起を訴えた年もあった。また、「夕張炭労事件」「大阪事件」の大闘争に前後し、革命詩人バイロンや楽聖べートーベンを巡る随筆も文芸欄に発表していった。ギリシャの独立革命に馳せ参ずる、バイロンの燃え盛る心境を、私はこう綴った。
 「俺は詩ばかり書くために生まれて来たのではないぞ。実行だ、闘争だ、前進だ」
 それは、三類の強敵との戦いに挑み立つ、今も変わらぬ私の闘魂であった。
4  「新聞づくりは総合力」と言われる。編集、制作、広告だけでなく、印刷、輸送、大配(配達員への受け渡し)、各戸への配達等々、数多くの方々の尊き労苦が一致してこそ、毎日、読者に届けられているからである。
 「すべてを自分自身のおかげだと思うとしたら、それ以上進歩はできない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』下、山下肇訳、岩波文庫)
 文豪ゲーテは、こう喝破した。報恩感謝のなかにこそ、常に偉大なる発展があることを決して忘れてはならない。ともあれ、陰で黙々と支えてくださる皆様、そして愛読者の皆様に心より感謝申し上げたい。「御義口伝」にも、「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」と仰せである。このことを、大聖人は、「最上第一の相伝」とされた。
 ことに本年六月には、販売店・配達制度が、嬉しくも発足五十周年という佳節を迎える。いかなる風と波とが吹き荒れても、決して翻弄されることなく、平然と皆様方は戦い、偉大なる使命の歴史を築いてくださった。
 販売店の皆様、配達員の皆様、本当にありがとう! 本当にありがとう! 大いなる広宣流布という法則に従って戦い抜いてくださった皆様方に、健康と幸福と勝利あれと、私は心から賞讃させていただきたい。いな、諸天善神が、必ず守護することであろう。
 「聖教を日本中の人に!」との恩師の願いを胸に抱いて、寒風にも、雨にも、いかなる風雪の日にも、毎日、毎朝、思い切って走りゆく皆様よ! 我らの歴史の道を踏み出しゆく朝、君の、そして貫女の未来の勝利をば、喜んで、太陽は照らし始める。
 販売店の朝は早い。夜明け前の日々、配達の無事故を祈りながらの戦いである。販売店の皆様は″無冠の友″の健康と安全を祈り、守り、支え抜くことを責務としてこられた。感謝に堪えない。ゆえに、私はかつて、販売店主の皆様を「聖教有徳会」、そして店主夫人の方々を「清朝会」と命名させていただいた。
 ともあれ、「地域の灯台」、そして「地域の言論城」と、誇り高く決意した、販売店、そして配達員の方々に、幸福と栄光あれと、皆が祈り、讃歎していることであろう。
5  あの昨年十月の新潟県中越地震の際――移り住まねばならぬ人、崩壊しゆく我が家を見つめながら悩む人、それはそれは、大変な時であった。しかし、配達員の君たち、貴女方は、苦労をしながら、歩きに歩いて配達をしてくださった。
 「信仰」は「使命」を深め、「信仰」は「責任」を深め、「信仰」は「力」を無限に出してくれる。
 今、北国は雪解けの季節を迎えた。冬季に引き続き、山間部では、土砂災害の危険も多々ある。配達の行動には、日々、常に細心の注意が必要なことであろう。
 私も妻も、真剣に、全国の大切な″無冠の友″の方々が無事故で、健康であり、希望に満ちあふれた、栄光と大勝利の人生を勝ち取られることを祈っている。「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」とは、御本仏・大聖人の御約束であり、″陰徳陽報″は、絶対に間違いないのである。
6  聖教新聞の創刊五十周年にあたる四年前の四月二十日、私は、中国・長春市から栄誉市民称号をお受けした。信濃町の聖教本社で行われた意義深き授与式で、私は、牧口先生、戸田先生が命懸けで軍部政府の弾圧と戦い抜いた歴史に触れ、万感を込めてこう語った。
 「創価の師弟の魂を受け継ぐ聖教は、生命の尊厳を断固として死守し、正義を師子吼する新聞です。人道を冒涜する陰謀とは、徹して戦い抜く新聞です」
 この雄々しき言論戦こそ、社会を覚醒しゆく「木鐸」の使命を果たす魂であるからだ。世の不正義や不協和音をいち早く察知し、敢然と民衆に伝えることである。
 平成二年(一九九〇年)、あの嫉妬に狂った日顕一派が、学会を壊滅させようとする謀略が明るみに出た。この広布破壊、破和合僧の極悪を放置すれば、苦しむのは健気な学会員である。
 今、沈黙は敗北だ。今、雄弁こそが勝利だ。
 「とりの暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり
 今こそ「法華折伏・破権門理」の精神で立ち上がれ! 戦う朝が来たのだ!
 私の叫びに、若き青年たちが決然と呼応した。婦人も、壮年も、決起してくださった。新しき時代の勝利のために、破邪顕正の言論の大闘争を開始された。
 「うそに うそがつづく」(『メリー・スチュアート』古見日嘉訳、『ツヴァイク全集』18所収、みすず書房)
 これは、オーストリアの著名な作家ツバイクの有名な言葉だ。だから、真実の言論が必要だ。それしか勝利はないのだ。
 この時、まさしく夜明けを告げる暁鐘の如く、民衆を目覚めさせる音を高らかに鳴り響かせたのが、わが聖教新聞であったことは、永遠に歴史に残るであろう。そして、民衆が自ら「言論王」となりて、正義と真実の声を、一人から二人、三人へ、さらに幾百万の友へと広げ抜いていったのだ。
7  ドイツの大詩人シラーは、憤怒した。
 「臆病卑劣のやからの中は嘘、企みがのさばり通る」(『ヴァレンシュタイン』海老澤君夫訳、渓水社)
 ゆえにシラーは、親友ゲーテに綴り送った。
 「私たちはまさに最も固き団結によって、彼(=誹謗の者)をぶちのめしてやらなければならないように考えるのです。彼の厚顔無恥の攻撃を黙殺するわけにはいかないことは、御覧の通りです」(『往復書簡ゲーテとシルレル』上、菊池栄一訳、桜井書店)
 勇敢に信念の声をあげよ! 断じて正義を叫び抜け! その人こそ、真の言論王である。真実の言論こそが、限りない共感の翼を広げ、不滅の民衆勝利の凱歌を轟かせていくのだ!
 言論の勝利の闘士ビクトル・ユゴーは師子吼した。
 「哲学者は友愛のために戦い、思想家は平和のために戦う。私にとって、戦いをやめるということは、生きることをやめることだ」(The Letter of Victor Hugo, edited by Paul Meurice, University Press of the Pacific)
 今日も、我らは聖教新聞とともに戦う。
 「広宣流布」のために! 「一生成仏」のために! 「異体同心」のために!
 わが学会を裏切った極悪な輩に対する「破邪顕正」のために!
 「三世の歴史」のために! 「人間革命」のために! 「末法万年」のために!
 聖教は、私の生命であり、創価学会の生命であり、仏法厳護の生命であり、広宣流布の生命である。
  広宣は
    聖教ありて
      進まなむ
    いざや戦い
      勝ちに勝ちゆけ

1
1