Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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若き指導者 創価班・牙城会   

2005.4.5 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  「民衆厳護」の行動に正義あり
 人生を悔いなく勝ち抜いて、幸福の実像を飾り、輝いた人もいる。新聞やテレビ等で過大な人気を見せながら、最後には哀れな重々の苦しみを味わい、姿を消し去った人も多い。今、民衆のために、正義の行動へ走る若き君たちには、「強き勇気」と「正しき知性」が光っている。
2  春だ! 桜花の春だ! 学会本部の前の、堂々たる「青年桜」も、青春の歓喜の花を咲かせ始めた。ドイツの大詩人ハイネは、生き生きと謳った。
 「太鼓を鳴らして人々の眠りを覚ませ。
 青春の力いっぱいに起床太鼓を鳴らせ。
 絶え間なく太鼓を鳴らして前進しろ」(『ハイネ新詩集』番匠谷英一訳、岩波文庫)
 さあ、出発しよう!
 見給え! さっそうと先頭を行く青年たちを!
 あの友は、わが創価班!
 この友は、わが牙城会!
 雄々しく正義の戦闘をなしゆく青年の雄姿ほど、美しく嬉しきものはない。
3  正月三日、私は妻と共に、東京牧口記念会館を出て、白雪の残る武蔵野の風景を眺めながら、あきる野市の秋川平和会館をめざした。大東京で模範の拡大をした秋川総区の同志を、真っ先に励ましたかったからである。途中、多摩川支流の秋川の清流を渡った。
 やがて到着した会館には、赤いネクタイをきりりと締めた、二人の牙城会の友が着任していた。私は車の窓を開け、手を振った。運転手さんにクラクションを鳴らしてもらった。彼らも私たちに気づくと、大きく手を振ってくれた。
 あとで伺った話では、着任者の一人は、耳の不自由なご両親が、「息子を社会に尽くせる立派な人間に」と祈ってこられたそうだ。その父母の祈りに応えんと、彼は真剣そのものであった。私は胸が熱くなった。
 わが学会が広宣流布の火蓋を切っていた草創の時代にあっては、君たちの父や母も、そしてまた、祖父母の方々も、広布のために、数限りない悪口雑言を浴びてこられたのだ。
 しかし、皆、強かった。皆、信心があった。皆、勝利した。日蓮大聖人が仰せの「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難を、そのまま堪え忍び、経文通りに実践してきた尊き大先輩である。
 大聖人も、釈尊も、女性との関係があったなどと、まったく事実無根の残酷な中傷批判をされた。中国の周恩来総理も、同じように悪辣なデマを書き立てられた。人間の嫉妬は、恐ろしい。人間のヤキモチは、浅ましい。
 創価の同志は、無数の捏造された誹謗を受けながらも、正義と真実を叫び抜いて、西へ東へと走り抜いてこられた。そして、私と共に懸命に戦い抜いて、「人生の勝利」を、「広宣流布の勝利」を築き上げてきたのだ。
 卑劣な人間もいた。さもしき貪婪な魂を持った人間もいた。不正義の狡賢き政治家もいた。あの味方と思っていた同志は、政治家になり有名人になると、堕落し、正義の我々を裏切り、逃げていった。その彼の目は、邪険な目となり、狡猾な嫉妬の目に変わってしまった。人生の最終章にあって、地獄の苦しみに悶え、後悔の死の姿を見せた恩知らずもいる。
 哀れな敗北の人生である。
 しかし、私には――勇敢なる同志がいた。信じ切れる友がいた。平凡でありながら偉大なる同志がいた。皆、戦い勝った同志である。こんな嬉しい人生はないと思っている。我々は、社会にあっても、仏法にあっても、人生にあっても、勝ち抜いた勝利者なのである。
 誰が何と言おうが――「勝利者」は「勝利者」だ。「敗北者」は「敗北者」だ。
 ともあれ、苦しみ、悩み抜いた人間は、時久しくして強靱なる人間に変わりゆくものだ。この無名の菩薩であり、仏である、父や母たちの汗と涙で築かれた、民衆のための「永遠不滅の城」こそ、わが気高き創価学会なのである。
4  若き君たちよ! 未来の大指導者となりゆく君たちよ!
 必ず、一生涯の大勝利の土台をば、若き日に築き上げるのだ。多くの苦労を礎として、一日一日を、充実して勝ち進むのだ。
 周恩来総理は、若き青年たちに激励した。
 「建設の時期には、少しもうぬぼれてはならず、油断してはならない」(中京中央文献編集委員会編『周恩来選集〈一九四九年〜一九七五年〉』中京中央ML著作編訳局訳、外文出版社)
 その通りだ。
 君よ!永遠に、熱烈たる勝利の栄冠のために戦い抜くのだ。あの暗い嵐に翻弄されゆく敗北の姿の青春には、断じてなってはならない。きらめく太陽が君を讃嘆し、君の前途の勝利を確信するために、今は悔しくとも、苦しくとも、数知れぬ苦悩と戦うのだ。数知れぬ苦難と戦うのだ。君の胸には、豊かな音楽が常に鳴り響いていることを、忘れてはならない。
 私は、日本中は当然のこととして、世界中の会館を厳護し、同志として戦い抜いてくださる、わが大切な大切な牙城会の友に思いをめぐらせて、和歌を贈った。
  偉大なる
    青春時代の
      牙城会
    次は 祈らむ
      将の将たれ
 友を護れ! 同志を護れ! そして、尊き地涌の民衆を護れ!
 これは、会合運営の要として奮闘する、男子部の双璧・創価班の決心でもある。
 かつての、あの″登山会″に参加しゆく、あまりに尊き無数の老若男女の安全を心から祈り、護り、絶対無事故の運営に当たったのが「輸送班」である。
 「輸送班」に、皆が感謝した。皆が安心した。皆が讃嘆した。この歴史のある「輸送班」が、創価班の淵源である。諸君の先輩たちは、電車の音を聞けば登山列車の安全を祈り、車の音を聞けばバス登山の成功を願った。
 私も、学会の第三代会長として、寝ても覚めても願うことは広宣流布であり、同志の安穏、勝利であった。このように、師弟の一念が合致していたからこそ、三世十方の仏菩薩が、厳然と学会を護ったのだ。
5  ところが、この会員厳護の清浄な心を裏切り、広宣流布の尊き和合僧を破壊しようとしたのが、悩乱しきった天魔の日顕一派である。無数の金品を取るだけ取って、話し合いも、挨拶もなく、最大無限に宗門を護りに護った人びとを一方的に切るなど、なんと狡賢き、なんと卑しき行為か! 「魂の虐殺だ」と、正義の学者たち、良識の学者たちは叫んだ。
 どれほど極悪か! どれほど悪逆非道か! どれほど師敵対か!
 日蓮大聖人が断じて許されないだろう。また、三世十方の仏菩薩が断じて許しはしないであろう。
 「此等あに謗法にあらずや責めても猶あまりありいましめても亦たらず
 この蓮祖大聖人の御金言は、そのまま、広布破壊の坊主らに対する厳しき断罪である
6  戸田先生は、かねてより、「宗門は金を持てば、学会を切るぞ!その時のために、万全の備えをしておくから」と言われていた。「宗教法人」を別にされていた戸田先生の先見の明の、あまりの偉大さに、皆が驚嘆した。私たち学会員のみならず、世間一般の目も輝き、讃えてくださった。
 私は、側近に、牧口先生、戸田先生の指導に続いて、周恩来総理の言葉を贈った。
 「わたしは活動の面で意気消沈したことがなく、敵の公然たる弾圧のもとでもひるんだことはなかった」(金冲及主編『周恩来伝』下、狭間直樹監訳、阿吽社)
 「平和友好の正義の事業は破壊されるものではない」(森下修一編訳『周恩来選集』上、中国書店)
 新しい時代が来た。新しい人材が必要である。新しい勝利を築く若き指導者が、絶対に必要である。それは、「広宣流布の信心」という確信のある人物だ。
 私は、私の手で、新しい学会の陣列を築き始めた。陰湿な邪宗門と決別をした私は、男子部のリーダーたちに提案した。
 「いいメンバーを募って、学会の庭で、私の手もとで、薫陶しよう!」
 そして、大事な次の学会の「柱」と頼む創価班の方々に、和歌を詠んだ。
 今回、私は、新たな心で諸君に贈りたい。
  わが誇り
    世界一なる
      創価班
    君らに頼まむ
      世界の創価を
7  私は、堕落し切った邪宗門を追撃し、我らの目的である「宗教革命」を成就しゆく直道が完成しつつあることを知った。電光石火で青年部のなかから、優秀なる人材を募り、「広宣流布の先駆者の常勝軍団」を築いたのであった。
 これが、「創価班」であり、「牙城会」である。この「人材の城」は「難攻不落の正義の長城」であると、我らは誇り高く叫んだ。
 宗門のあまりにも卑劣・下劣な権力に、皆の激情は爆発した。
 その時、青年部の幹部に、私はフランスの思想家パスカルの言葉を引いて指導した。
 「力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である」(『パンセ』田辺保訳、角川文庫)と。
 強き信仰、そして深き仏法哲学を持つ我らは、そんな貪欲な畜生の如き暴力など眼中になかった。
 ともあれ、その時に、わが青年部は、最も力強く厳然と立ち上がり、「正義」と「力」を一体にして、魔性との戦闘を開始したのだ。なかんずく、先駆を切って、邪悪を破壊する言論戦を開始したのが、わが創価班、牙城会であったのである。
 あの町でも、この町でも、創価班と牙城会の鋭き言論は、火の如く燃えた。″陰険なる宗門に対する怒りは、我らが決着をつける″と、断固として指揮を執ってくれた。戦ってくれた。突進してくれた。当時の創価班、牙城会に、今もって、私は感謝している。
 創価班、牙城会あっての創価学会である。これが、歴史的事実の一ページであった。
8  今、男子部では、新進気鋭の青年を、創価班、牙城会などの人材育成の道場である「大学校」に糾合し、徹底して鍛えている。この二月、三月も、頼もしき創価班、牙城会の大前進の報告を全国から伺っている。本当に本当に嬉しい。「鉄は熱いうちに打て」とは、人材育成の鉄則だ。学会は一段と強くなった。学会は一段と人材が広がった。
 自分は楽をして、人をうまく動かそうとする者など、最低のインチキ人間であるからだ。
 身を粉にして、健気な庶民を勇気づけていく、不惜身命の実践者こそ、新時代のリーダーである。自ら陰で人びとを支えていってこそ、縁の下の力持ちとして苦労している方々を尊敬することができる。だからこそ、民衆を苦しめる忘恩と邪悪に怒り、本気で戦うことができるのだ。
 ともあれ、創価班、牙城会の君たちは、女子部の白蓮グループとともに、広宣流布の最前線に立つ、偉大なる若き「学会の生命」である。
 会館に来られた方、そして会合に参加された方が、「すばらしい青年たちですね」と、よく感嘆しておられる。「創価班が本当によくしてくれた」と、体の不自由な方々が喜ばれていた報告なども、幾度となく伺った。近隣の火事を真っ先に発見し、冷静に初期消火にあたるなどして、「学会の牙城会がいれば安心です」等と、地域から寄せられる賞讃もあまりにも多い。
 君よ! 君の誠実な一挙手一投足が、内外の信頼と友情を広げているのだ。率直に言えば、「広宣流布」をしているのだ。私は君たちに、一生涯、感謝を忘れない。これからも毅然と、誇りを持って、戦ってくれ給え!
 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ
 この御文の実践こそ、今日一日の任務であり、そして時々刻々の君たちの行動なのである。偉大なる若き君よ、まさに君自身が創価学会なのである。そして、仏法の人間主義の大指導者なのだ。狡賢き邪智の有名人よりも、社会的地位も捨てて戦う君たちの方が、百千万億倍も偉大であり、尊貴なのだ。
9  君たちが日々、生き生きと集い合い、誓い合う、信濃町の世界青年会館内に、ご存じの通り、一枚の名画が飾られている。
 スペインの巨匠ゴヤの名作の複製画で、題名は「一八○八年五月三日」――。
 私が、一九九一年に、青年部結成四十周年を記念して贈ったものだ。
 この絵は、題名のその日に起こった、侵略軍によるスペイン民衆への虐殺事件が描かれている。貧しい身なりの一群の民衆に向けて、侵略軍の兵士たちが銃剣を突きつけている。その恐ろしき銃口の前に、我が身を差し出すかのように敢然と胸を張り、両腕を大きく広げた若い男――。撃つなら撃て! 俺は逃げない、何も恐れない!
 傲岸な権力の暴圧に対し、憤怒の炎をたぎらせ、正義のために一切をなげうつ魂が、鮮烈な光を放っている。彼の名は、誰も知らない。しかし、彼の勇気は、万人の胸を鼓舞し続けた。無名の大将軍たる彼の背後には、幾万、幾百万の不屈の民衆が続いているのだ!
 時は変われど、この「五月三日」に刻まれた、雄々しく一人立つ魂こそ、創価の青年の心でなければならぬ。「いくさには大将軍を魂とす」と、大聖人は仰せだ。
 今、「青年・拡大の年」の大勝利へ、若き指導者として先駆するのが、わが創価班、わが牙城会の諸君である。
 勇気凛々と進んでくれ給え!
 勇気凛々と指揮を執ってくれ給え!
 君たちがいれば、学会は永遠に栄えゆくのだ。
 君たちの若い新しきスクラムで、「紅の歌」を歌いながら、「勝利の道」を、「栄光の道」を、築き上げてくれ給え! 無名の尊き民衆の勝利のために!

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