Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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破邪顕正の王者
2005.3.22 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)
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1
「日蓮仏法の正義」は学会に厳然
法華経の「妙荘厳王品」に、こういう一節がある。無量百千万億の奥深く優れた功徳に包まれた仏を、妙荘厳王が讃歎し、申し上げた言葉である。
「如来の法は、不可思議微妙の功徳を具足し成就したまえり。教戒の行ずる所は、安穏快善なり。我れは今日従り復た自ら心行に随わず、邪見・きょう慢・瞋恚・諸悪の心を生ぜじ」(創価学会版法華経六六三ページ)――「如来の法は、まことに不可思議で素晴らしい功徳を具え、完成している。その仏の教えと戒めの通り行動していくならば、安穏にして快い善の道が開かれる。私は今日から、邪見やきょう慢や憎悪など、諸々の悪の心に、断じて侵されない――。
国家を担い立つ王の厳かな「人間革命」の宣言である。指導者が、正しき哲学を根底にして、自らの心を律し、権力の魔性に打ち勝っていくならば、どれほど民衆の幸福な時代が築かれることか。そのモデルが、法華経には明確に説かれている。
なお、この妙荘厳王は、もともと、外道の誤った教えに帰依していた。先に仏法に巡り逢えた二人の王子が、「なぜ、こんな邪見の家に生まれてきたのか」と嘆くほどであった。
しかし、王子たちは、賢い母と力を合わせ、父への真心を込めて、自分たちが立派に変わっていく姿を粘り強く示していった。父も、その我が子の成長を喜び、「そなたたちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう」と言うまでに変わり、ついに勇んで仏法を実践するようになったのである。まさしく「妙荘厳王品」は、「家庭革命」の物語でもある。
したがって、家族が未入信であっても、少しも心配することはない。決して焦ることもない。一人、毅然と「信心即生活」の実証を示し、また誠実に孝養を尽くしていくならば、必ず、家族全員を「成仏」という永遠の幸福の軌道に導くことができるからだ。
2
ともあれ「破邪顕正」――これこそ、日蓮仏法の根幹の魂となる正義の炎である。
日蓮大聖人は厳然と仰せになられた。
「
ば三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者な
」
「三類の強敵」をあえて叩き起こし、戦い、打ち破ってこそ、法華経の行者であるというのだ。そこにこそ、金剛不壊の人間王者の大境涯が築かれていくのである。
思い返せば、昭和三十年三月十一日の「小樽問答」から、五十周年の佳節を刻んだ。創価学会が、日蓮仏法の正統中の正統たることを満天下に示した、この事実の証明の日を、決して忘れることはできない。
すでに今月の六日に、この小樽法論の五十周年の日を記念して、北海道大会が開かれたことを、私たちは嬉しく見つめていた。偉大なる歴史の霊山に集い立った、若き地涌の友らの晴れがましき舞台となった。この意義ある北海道大会は、それはそれは意気軒昂であった。天をも衝く、歴史的雄叫びであった。小樽間答の「歴史の証人」である当時の参加者の代表も、元気に出席されたと伺い、喜ばしき限りである。戦い抜いた人は、必ず「栄光」と「福運」に満ち満ちていくのが、仏法であるからだ。
偉大なる栄光に輝く、創価の「次の五十年」は、若々しき紅顔の、未来を見つめた深き瞳の、無限の力を持つ青年たちに頼む以外にない。ゆえに私は、今一度、その時の不滅の精神を綴り残しておきたいのだ。
3
そもそも、「小樽問答」は日蓮宗(身延派)が偉大なる学会に対して、法論をけしかけてきたのが始めであった。学会は、即座に喜んで法論の対決を返事した。
ともあれ、日蓮宗(身延派)は、師敵対の五老僧の末流である。この五老僧は、はじめは日興上人と共に日蓮教団を支える高弟であった。
ところが、彼らは、蓮祖が御入滅になると、たちまち立正安国の精神を忘れ、広宣流布の誓願を忘れ、臆病風に吹かれながら、大聖人から離れていった。「
一閻浮提第一の聖人なり
」と宣言された蓮祖の弟子の誇りを捨て去り、師匠を「天台の余流」と貶め、自らも「天台沙門」を名乗り、権力者に膝を屈したのだ。
仏法の師弟が不二でなくなったら、正法正義はない。その五老僧の一人である民部日向によって、身延の山は大謗法の山と化した。日蓮大聖人の不二の弟子である日興上人は、断腸の思いをもって、身延の離山を決断されたのであった。日興上人は仰せである。
「大聖人の御弟子は、ことごとく師敵対してしまった。日興ただ一人が本師(根本として従うべき師)である大聖人の正義を守り、広宣流布という師の本懐を遂げるべき使命を担う人間だと自覚している。ゆえに、師の本意を決して忘れることはないのである」(編年体御書一七三三ページ、通解)
我一人、師匠の正義を断固として宣揚する――この血涙絞る荘厳な決意が、私たちの胸に切々と迫るではないか。
4
この身延派は、特に江戸時代以降、日蓮系仏教のなかで、圧倒的な大勢力を誇ってきた。五十年前の昭和三十年当時、北海道でも身延派の寺は約二百カ寺あった。日蓮正宗は、わずか五カ寺にすぎなかった。そこへ、身延派の地盤を揺るがす天の声が轟き始めたのである。
発端は、小樽の婦人部の勇敢な行動であった。彼女たちは、身延派の僧侶が学会員を退転させようとコソコソ動いていることを知り、猛然と反撃していったのだ。いわゆる学者でも何でもない庶民の女性たちが、袈裟を着けた傲慢な坊主を相手に、一歩も引かず、正義を叫んで立ち上がり、戦い抜いたのである。
傲った坊主たちは、「法論で決着をつけてやる」と迫ってきた。在家を軽く見ていたのだ。だが、正式に法論が決まり、学会が法論に臨むことがわかると、身延側は、法論は僧侶同士がやるものだと固執した。もしも在家に負けたら面目丸つぶれである。卑しい保身の画策であった。
しかし、保身に汲々としていたのは、身延派の坊主だけではなかった。
本来なら、日蓮正宗の宗門自らが、日興上人の仇を討つために、勇んで戦いの先陣を切るべきである。ところが、宗門には、戦う気概など微塵もなかった。それどころか、戸田先生を学会本部に訪ね、平身低頭、助けを求めてきたのだ。情けない「敵前逃亡」であった。
折伏の大将軍たる先生は、瞬時に決断された。
「この法論は、私が引き受ける!」
小樽問答――それは「正法正義の日興上人の門流」と、「大聖人に師敵対してきた五老僧の末流」との対決であった。そしてまた、それは、「民衆を目覚めさせ、立ち上がらせる、新しき民衆仏法」が、「民衆を支配し、屈従させてきた、傲岸なる権威の宗教」を打ち砕く、痛快なる時代転換の劇でもあった。
愚劣な日顕一派は、この大聖人、日興上人に直結する創価学会に敵対した。まさに、民衆救済の使命を捨てた「五老僧の末流」でもあることを、自ら証明していったのである。
5
「栄光」とは何か? 南米解放の英雄ボリバルは烈々と叫んだ。
「それは敵を打ち破ることであり、勝利の栄光をすべて私の同胞に与えることにある」(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド『シモン・ボリーバル』水野一監訳、上智大学イベロアメリカ研究所訳、春秋社)と。
小樽問答は、青年部が全責任を担って戦い抜いた法戦であった。青年部の中心であった室長の私は、一切、戸田先生からの指示を受けながら、実質の責任ある指揮者として作戦を練った。法論の三日前、私は、函館、札幌、旭川の三方面と小樽に青年部幹部を派遣した。彼らは、雪のなか不眠不休で道内を回り、学会員に事態の急を知らせたのである。
そして三月十一日(金)の夕刻、わが同志は、正義の心に燃えて、深い雪に包まれた会場の小樽市公会堂に集ったのである。午後七時過ぎ、歴史的な問答が始まった。
学会側の司会者は、「大作以外にない」と、戸田先生の直々の指名で、私に決まっていた。
「
声仏事を為す
」だ。満を持して、若き師子は正義と破折の火を吐いた。
――身延の信者が、全国で何千、何万と、創価学会に、日蓮仏法の真髄の教えに帰依していることは、それが正しき証拠である!
開会の挨拶の時間は、わずか三分。そこに、私は勝負を賭けた。どんな戦いも、最初の一撃で大勢が決まるからだ。
「
彼等は野干の
ほう
吼
るなり日蓮が一門は師子の吼るなり
」
同志たちは勝利を確信し、他方、身延派の聴衆たちは、不安げな顔で、しんと静まりかえってしまった。
法論に入ると、権威ぶった身延側の二人の講師は、御書を根本とした学会側の鋭き舌鋒に為す術もない。身延を代表する秀才といわれた講師の一人は、幾たびとなく立ち往生してしまった。そこには、仏法への確信も、広宣流布への情熱もない。その無残な真実が、白日の下にさらされたのである。逃げるように閉会を告げる身延側の司会を制して、私は圧勝を宣言した。
「誰が聞いても、誰が見ても、創価学会が断固として正しいことは、厳然とわかることであります!」
雪の小樽に、大勝利の万歳が何度も何度も轟いた。
6
学会は絶対に正しい! 小樽問答は、この大確信を同志の胸に厳然と打ち立て、歓喜を爆発させた。決意に燃えた確信が、歴史に残る勝利の行動を生んでいくのだ。それは、学会の跳躍台となり、勝利また勝利の怒濤の前進の扉を開いた。
当時、二十万世帯に満たなかった学会は、わずか二年半余りで恩師の願業たる七十五万世帯を達成したのである。
小樽問答の後、戸田先生は私に詠んでくださった。
空を飛び
小樽の海に
敵ぞつく
若き姿は
永久に残れり
なお、身延派は狼狽し、その後、地方の末寺においての、学会との法論を禁じてしまったのであった。
7
大聖人は、いかなる敵をも痛烈に論破された。そのお姿は、「
利剣をもて・
うり
瓜
をきり大風の草を
なび
靡
かすが如し
」、「
ただ
ほうろく
焙烙
千に
つち
槌
一つなるべし
」等と譬えられている。
学会は、この正義の大闘争を受け継ぐ教団である。近年、わが北海道の青年たちは、小樽問答の戦う魂を継承せんと、各地で「青年主張大会」を繰り広げてきた。その若き正義の師子吼は、理解と共感と賞讃の旋風を巻き起こし、また嫉妬の悪党どもを震え上がらせた。
大文豪ユゴーは言った。
「憤りの中に真実を含むほどおごそかな雄弁はない」(『レ・ミゼラブル』2、豊島与志雄訳、岩波文庫)
君たちよ、断固として悪への怒りをもて! 無敵の折伏の力、不敗の破折の力を五体にみなぎらせて立ち上がることだ。そこに、真実の仏法がある。正義の人間がいる。勝利と幸福の歴史がある。
共にまた共に、この一生を、いな永遠に、後継の若師子たちよ! 戦い、勝利し、栄光と歴史を残し、晴れ晴れとした「人間王者」の一生を飾ってくれ給え! いな、「永遠の勝利の大王」の生命を築いてくれ給え!
恩師は叫んだ。
「わが創価学会は、宗教界の王者なのだ!」
「宗教界の王者」とは、「人間界の王者」である。
「人間の王者」は、「仏法流布の王者」であり、「広宣流布の勇者」である。
その王者の誇りは、正義の王冠を、勝利の輝く栄冠を、頭に、そして胸に抱きゆく地涌と創価の闘士の中にのみ、輝いているのだ。
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