Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

信心に定年なし  

2005.1.28 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
1  わが「太陽会」よ赫々と燃えて輝け
 尊き全国の同志は、今、「青年・拡大の年」を、生き生きと、また猛然と走っている。
 そこには、深い喜びの眼差しが互いに光っていた。そして、際限のない苦難も、すべて消し切っていく、不思議な力をもっている。
 晴れ晴れとした正月二日に喜寿を迎えた私も、「大切な大切な広宣流布の同志の皆様方の奮闘にお応えしたい。そして正義と勇気の心を心を送りたい」と、喜び勇んで戦闘を開始した。
 毎朝、目が覚めると、今日はどんな手を打つか、どんな戦いを起こすか、頭脳はフル回転を始める。全部、広宣流布の布石のためである。法則に適った前進の前には、迷路などはない。この我々の軌道を突き進んでいけば、確固たる大勝利の大空が見える。
 日本中、世界中からの報告を聞き、同志からの手紙を拝見し、多くの友に指導し、また激励し、さらに集中して原稿の仕事をする。一息つくと、もう夕方である。この時、ちょうど八王子の東京牧口記念会館にいれば、しばしば光と光が相寄って輝く、新しい美しき夕焼けに目を奪われる。あの「夕焼け小焼け」の童謡に歌われた八王子である。
 活気あふれて賑わう、限りなく高貴なわが同志たちの強さと、勇気ある正義の態度は、あまりにも喜ばしい姿だ。帰り道、嬉しい気持ちで外に出れば、オレンジ色に燃えた大空を背にして、雄大なる、限りなき壮麗な富士の山が見える。その最も美しき光景のなかを、静かにして永遠の勝利の光を放ちゆく太陽が、刻々と沈んでいく。
 それは、一日の終わりという感傷など消し飛ばし、戦いきった生命力で、再び新しい一日への大いなる挑戦を人間に呼びかけるような、まことに荘厳な光景だ。正確なる軌道を悠然と歩みゆく夕日は、太陽にとって、決して終わりの姿ではないのだ。
 太陽は常に、輝き光っている。人の目が夜は届かないだけで、どんな時も赫々と燃えているのだ。我ら人間の生命も同じである。生死は不二であり、その当体は三世永遠を貫いている。喜びに光り、盛んな勢威の証である夕日は、明日の晴天を約束する。我らの充実した人生の総仕上げは、永遠にわたる幸福の軌道を約束してくれるのだ。
 夕日は、優しく美しく、荘厳に沈みゆく。人間もまた、そうあらねばならぬ。年を重ねるごとに、深い悲しみゆえに老けていくものであってはならない。強さと勇気ある生命をもって、胸に充ち満ちたる希望を失うことなく、生き生きと最終章まで生き抜いていくことだ。我らの生き甲斐の究極である広宣流布に、尽くしきっていくことである。
 限りなき崇高なる太陽には、休息はない! 永遠に私たちのために歓呼して、灼熱の無限の力をもって我らを照らし、生きゆく原動力となってくれているのだ。方程式を同じくして、仏道修行に引退はない!
2  今年(二〇〇五年)は、戦後六十年。ベビーブームに生まれた「団塊の世代」にも、定年の節目は近い。空前の少子高齢社会の今、豊かな老後の生き方が模索されている。定年によって、張りつめていた心の糸が緩み、生き甲斐や目標を失う人もいる。定年を引き金にした悲劇も生まれやすい。
 そんな世相だからこそ、わが学会員の躍動が光る。定年後も、友のため、地域のため、社会のため、はつらつと行動する姿は、偉大な信仰の実証である。
 特に、平日の昼間から動きに動き、今や各地のたくましい牽引力となっておられる、「太陽会」の奮闘ぶりは、まことに目覚しい。青年部から進出したばかりのヤング壮年部も、「太陽会」の勢いに、大いに刺激を受け、負けじと頑張っている。多宝会、宝寿会、錦宝会の壮年はもちろん、婦人部の皆様方もますますお元気であり、本当に嬉しい。
 御聖訓には、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」と仰せである。
 広宣流布に戦えば戦うほど、若くなる。福徳が増していく。学会活動ほど、尊く、有難いものはない。会社に定年はあるが、信心に定年はない。退いてしまえば負けである。
 子供は成人し、孫もできた。生活は安定した。だからといって、そこに安住しては人生の最終章を飾れない。過去にこれだけやったという慢心。新しい挑戦を避ける臆病。若い人への遠慮。そんな心の隙間に″老い″は忍び寄ってくる。
 最後まで戦い続ける人が、一番偉い。一番若い、不老の生命である。一番円熟した、人生の勝利者である。戦う心を失えば、五十歳でも老人だ。炎の心で前進すれば、八十歳でも青年だ。創価の父・牧口先生は、五十代から、六十代、そして七十代へ、「前進また前進!」「闘争また闘争!」のご生涯であった。
 仏法と出あったのは五十七歳、創価教育学会を創立されたのは五十九歳である。七十歳になっても、口癖のように「我々、青年は!」と言われ、意気軒昂であった。民衆の幸福のために走り抜き、軍部政府の圧力をも恐れず、殉教なされた。学会を創立し、戦い抜かれた晩年の十四年間――ここに、永遠の創価の父の魂が凝縮されている。
 我らもまた、年齢を重ねるごとに、さらに戦う気概を燃やしていく、大使命の人生でありたいものだ。
3  九十歳を超えて、なお財界で活躍された松下幸之助氏から、私は還暦を迎えた時に御祝辞を頂戴した。一九八八年(昭和六十三年)のことである。
 その御祝辞のなかに――「もうひとつ<創価学会>をお作りになられる位の心意気で」とあった。まことに気宇壮大、ふと、松下翁の闊達な肉声が聞こえてくる思いがした。
 ″池田先生、還暦や言うても、まだまだ若うおまっせ。これから、も一つ、学会を作ったろうという心意気で、やってみなはれ!″と。
 嬉しかった。新たな闘魂の炎が、わが胸に燃えた。
 わが師常々、「戸田の命よりも大事」と言われた学会の組織である。私は、師をお守りするのと同じ覚悟で、いかなる攻撃からも、広宣流布を遂行する学会を死守し、発展させてきた。大事なのは、広宣流布である。大事なのは、創価学会である。大事なのは、創価学会員である。
 ところが、そのかけがえのない組織を分断し、学会を乗っ取ろうとする、邪宗門の謀略が明らかになったのだ。一九九〇年(平成二年)の暮れであった。
 私は許せなかった。学会の組織の破壊は、私にとって、師の命を傷つけられ、奪われることに等しいからだ! 学会がどれほど宗門を守り抜いたことか。戦後の宗門の興隆は、学会の赤誠なくしてあり得たとでもいうのか! それを、供養を取るだけ取り尽くして、最後は、一言のお礼も、一度の挨拶もなく、陰謀をめぐらし、カットしてきたのだ。人間の道を踏み外した、これ以上の忘恩があろうか!
 日蓮大聖人の御心に違背する、これ以上の破和合僧があろうか! 仏意仏勅の広宣流布の組織を破壊する、これほどの大悪業の輩を倒さずして、どこに仏法の正義があるのか!
 「極悪」を打ち破ってこそ、「極善」である。だから私は、猛然と戦った。全国、全世界の同志も、総立ちになって戦った。そして今や、峻厳に、仏法の正邪は決した。
 衰退の一途をたどる邪宗門と対照的に、わが学会は隆々と大発展した。世界百九十カ国・地域に拡大し、人類的な平和・文化・教育の運動を推進しゆく母体となった。学会は、日蓮仏法を根底にした、名実共に「世界宗教」として、飛躍を遂げたのだ!
 奇しくも、松下翁が言われた″もうひとつの創価学会″の表現に符合するかのように、さらに強靭で、金剛不壊の学会が、世界に飛翔したのである。
 私は、年を重ねるごとに、一日を一週間分に、いな一日を一カ月分にも充実させる思いで働いてきた。広宣流布の戦野も、日に日に拡大し、その運動量は水嵩を増している。
 どこまでも学会と共に! いつまでも広布のために! この決定した心こそ、わが人生を何倍にも濃密に、また豊かに、総仕上げする要諦である。
4  大文豪ユゴーは、五十九歳で、畢生の大作『レ・ミゼラブル』を完成させた。その後も創作意欲は全く衰えず、六十六歳の時、内面の躍動を手紙に綴った。
 「おお! 私が老いることなく、かえって、若く、成長を続けるということは、何より、すばらしい魂の証明ではないか! 私の肉体は衰えるが、私の思想はいよいよ成熟する! 私の老いの姿のなかにこそ、むしろ思想の開花が存在するのだ」(Andre Maurois, Olympio ou la vie de Victor Hugo, Librairie Hachette)
 ユゴーは何歳になっても、戦う魂を失わなかった。民衆を虐げる悪を許さなかった。この闘魂こそ、八十三星霜にわたって旺盛な創造力を支えた源にちがいない。
 私がこれまで対談した世界の識者の方々も、黄金の人生の年輪を重ねておられる。大経済学者のガルブレイズ博士は、今年(二〇〇五年)九十七歳。パグウォッシュ会議の名誉会長であるロートブラット博士も、同じく九十七歳になられる。
 お二人に比べれば、私などまだまだ二十歳も若い。両博士とも、真剣に考えておられるのは将来であった。「未来をどうするか」であった。
5  日寛上人は、「如来七十二歳より八箇年の間に(法華経の)二十八品を説く」とし、「七十六の御歳、正しく寿量品を説くなり」と言われた。(『日寛上人文段集』)
 その寿量品には、仏の寿命は限りなく長遠であることが明かされている。そして、この妙法を信受した人が起こすべき請願が、分別功徳品に説かれている。
 「我未来に於いて 長寿にして衆生を度せんこと」(法華経五〇五ページ)
 私たちの実践に即していえば、長生きをして、少しでも長く、人びとのために働こうとする誓いである。
 なんのために、生きるのか。
 なんのために、長生きするのか。
 それは、わが使命たる広宣流布のためである。
 ゆえに、我らは一生涯、「健康長寿の信心」を貫いていくのだ!
 「絶対勝利の信心」を、あとに続く青年に示し切っていくのだ!
 赫々たる太陽の如く!

1
1