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日蓮大聖人・池田大作

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わが英才の創価学園  

2005.1.17 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  君の未来へ 正義の雄弁の力を
 「わたしたちは正義のために生まれた」(『法律について』岡道男訳、『キロケー選集』8所収、岩波書店)
 こう天下に師子吼したのは、古代ローマ最大の雄弁家キケロであった。
 そうだ! 若き君は、正義のために生まれたのだ。ゆえに、正義のための言論の剣を磨きに磨き、鍛えに鍛えねばならぬ。
 十数年前、私は、創価学園の先生方に語った。
 「学園から、未来の弁論の英雄を育てよう。正義の雄弁家を育成していくんだ」
 人間は、「言葉の海」のなかで人間となる。ゆえに、対話であれ、弁論であれ、議論であれ、いかに言葉を用いるかによって、人間の人間としての力の勝負が決まる。どこへでも打って出て、我が信念を、自らの正義を、堂々と述べゆく青年は、偉大な人間であり、英雄である。多くの人びととの共感を広げ、人々を心から納得させていく弁論は、正しくして強いものだ。
 人を救うのも言論だ! 邪悪を砕くのも言論だ! 時代を動かすのも言論だ!
 そういう雄弁の王者を、さらに正義の強力なる言論人を、わが秀才の集まりである創価の学園から陸続と育てたいのだ。これが、私の夢の一つであった。
2  昨年夏、創価高校のクラブである「創価雄弁会」の友が「全国中学・高校ディベート選手権」(ディベート甲子園)で、三年連続四度目の全国優勝を果たした。
 さらに、この大会に初出場した関西創価高校の「ディベート部」も、第三位に入賞。惜しくも関西校は準決勝で敗れたが、もしそれに勝っていれば、東西両校での決勝戦となっていた。
 過去三度の全国制覇をした創価中学の代表も、中学の部で、堂々、第三位に輝いた。
 私は、その朗報を、長野の研修道場で聞いた。皆が万歳をした。喜びの万歳であり、健気な若き闘士の勝利を讃える万歳であった。正義の言論の大闘士であられた戸田先生が、どれほど喜ばれていることか。
 また創価大学のクラブ「ディベートネットワーク」も、大学ディベート界で大活躍を続けている。「全日本学生ディベート選手権大会」で三連覇したほか、昨年十二月には、「全日本ディベート選手権大会」で初優勝した。
 「創価」の名前は、今やディベート名門校として、全国に轟き渡っている。
3  「ディベート」とは、一つのテーマを設定し、肯定側と否定側に分かれ、一定のルールに従って行なう討論をいう。これは、もともとは欧米で生まれ、やっと近年になって、日本の教育現場にも普及してきたものだ。
 「討論」といっても、支離滅裂であろうが、相手を口数で上回ればそれでいいかのような、よくある低級な風潮とは、全く次元が違うものだ。
 何より大事なことは「問う力」である。まず、与えられたテーマを吟味し、どこに問題があるか、自分たちで見つけねばならない。そして互いの討論を通し、問題の核心に迫り、より優れた解決法を見つけていく「創造的議論」がディベートなのである。
 ゆえに、ディベートでは、「自分の意見」を主張するのはもちろんだが、「相手の意見」をしっかりと聞くことが重要だ。相手の話を正確に理解し、かみ合った反論ができなければならない。
 一つの論題に対し、肯定・否定の両意見を用意することも特色だ。両方の立場で物を考えるから、自分と異なる意見でも、論理的に正しければ、それを受け入れ、相違点を認め合う、格好の訓練になる。それは、まさに国際人の必須条件といってよいだろう。多くの識者が賛同する理由も、ここにある。
 ともあれ、これまで日本の指導者層には、欧米諸国に比べ、創造的議論の素養が極めて乏しかった。しかし、それでは、もはや世界で通用しない時代となったのだ。快活な、開かれた論理の英才である学園生の使命は、今後、さらに大きいものになっていくだろう。
4  ディベートで、特に重要なことは、自分たちの主張を裏付ける「正しい根拠」を示さなければならないという点である。正しい知識と事実の積み重ねの上にのみ、説得力のある議論がつくられる。そこに、軽薄な噂やでっち上げの嘘が入り込む余地は、全くない。
 ディベートを始めた、一人の英才の学園生が語っていたそうだ。
 「ニュースを見て、『なぜだろう?』と、原因を考えるクセがつきました」
 マスコミの一方的な情報などに流されず、「なぜ?」「どうして?」と、自分の頭で考え、自分の手で一つ一つ事実を調べ上げ、真実へ、真実へと肉薄していく。実は、こうして一人ひとりが真実を見極める頭脳を鍛え上げていくことこそ、民主主義の土台となるのだ。これが、日本では、なされていなかった。悪意のデマや情報操作に紛動されゆく、日本の精神風土を変革せねばならない。ディベートは、その原動力となるにちがいない。
5  思えば、狂気の戦争に突き進んだ軍国日本が、自ら破滅の坂を転げ落ちていったのも、煎じ詰めれば、大勢に順応するだけの「付和雷同」の人間をつくり出した「教育の敗北」ではなかったか。ゆえに創価教育の父・牧口先生は、厳しく激怒しながら叫んだのだ。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ」
 「教育者は飽くまで善悪の判断者であり、その実行勇者でなければならぬ」(『牧口常三郎全集』6)
 その通りだ。今の日本にあっても、正論と邪論を峻別する、確かな「眼」を育む教育こそ、最も大事な要請なのである。「善悪」「正邪」を見極め、悪と戦い、正しき人生の生き方を勝ち取るための学問である。徹して英知を磨くことだ。これが、庶民を守る力となり、正義と真実の人間を創るからだ。ここに、あまりにも重大な創価教育の使命がある。
6  今や、東西の創価学園は、名実ともに「日本一」といわれる実力が輝き光っている。
 世界の″若き秀才″が競う「国際化学オリンピック」にも、今年は台湾で行なわれる大会に、日本代表として、再び学園生の参加が決まった。さすがに美事だと、著名な幾人かの学者が讃えていた。一昨年のアテネ大会には、日本代表として、四人の学園生が出場し、二人が銅メダルの栄誉に輝いている。
 昨年五月、ソウルで行なわれた「国際哲学オリンピアード」にも、日本代表として二人の学園生が活躍した。外国語で哲学エッセーを綴るこの大会には、一昨年に続き、二年連続で学園生が日本代表に選ばれているのだ。
 また、昨年十月、米航空宇宙局(NASA)の教育プログラム「アースカム」に関西学園が参加。十四年連続・十四回目の観測となり、連続参加数でも、総参加数でも、ともに世界一を更新した。
 一般紙に掲載されたこれらの姿に対し、私の親戚中の方々から、そして多くの小学校時代の友から、絶賛の手紙をいただいた。紙面を通して、心から御礼申し上げたい。
 ほかにも、各クラブのメンバーが大活躍している。文武両道の伝統を胸に、皆がそれぞれの目標に向かって、晴れ晴れと生き生きと、自身の成長のために、愛するわが学園の栄光のために、にぎやかに奮闘している。私は学園に帰校するたびに、それらの姿を見ながら、いつも胸が熱くなり、涙が流れそうになった。
 「私は勝った。学園を創立して勝った!」と誇り高く最高無上のすがすがしい「心」を感じながら、帰路につくのであった。
 さらにまた、学園を卒業した先輩たちの、厳しい社会における戦いと、勝利と栄光の歴史を刻み残してくれている活躍を、あらゆる次元から伺っている。「学園出身者を我が社に!」「学園出身者を我が学校へ!」等のありがたき声も、幾たびとなく寄せられる。
 私は、この素晴しき学園生を育て抜いてくださった先生方にも、最大の感謝の念と心からの尊敬を表したい。
 その我が子である学園の卒業生が病気になったと聞くと、私は全快を祈りながら、抱きしめてあげたい気持ちで一杯になるのだ。
7  それは、二十年前(一九八三年)の二月のことであった。
 蛍の光。窓の雪……。朝から創価学園が白銀に包まれたその日、私は三月に卒業する生徒たちと記念撮影を行なったのである。撮影会が終わっても、雪は激しく降り続いていた。
 外に出ると、そのなかで、卒業生の門出の道を造るかのように、汗を流しながら、黙々と雪かきをしている生徒たちの姿があった。学園の柱ともいわれる寮生たちが中心となって、雪かきをしていたのであった。下宿生も、通学生もいた。
 吐く息が白い。雪まみれの手も顔も真っ赤だ。しかし、彼らの姿は、あまりにも凛々しく、誇り高かった。ああ、君たちがいる限り、わが創価学園は、永遠に人材育成の城として磐石であると、確信した。私は、胸中で感謝の万歳を叫びながら、雪かきをしてくれた学園生と、栄光橋で写真に納まった。
 皆のために一番苦労している人は誰か――正義とは、その真心を知り、その恩に報いる力を持つことだ。
 わが学園生よ!
 偉大になるために勉学を!
 立派な幸福博士になるために勉学を!
 何ものにも負けずに!  

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