Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「平和革命の松明を君に」  

2005.1.14 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
1  全九州の先駆者に
 人類の教師ソクラテスは、語った。
 「忘恩は明瞭この上もない不正ではないか」(『ソークラテースの思い出』佐々木理訳、岩波文庫)
 全く、その通りである。そのソクラテスを苦しめ、獄死にまで追いやった「忘恩」と「不正」に対して、真っ先に立ち上がったのが、愛弟子プラトンであった。
 「師弟の道」は、「報恩の道」である。それは、人間として最も深い「正義の道」であり、最も強い「先駆の道」なのである。「先駆の九州」の誇りも、ここにあるといってよい。
 その九州の友を、こよなく愛した私たちの戸田先生は、「中途半端な戦いでは、邪悪をますます増長させていくだけである」と遺言された。
2  一九六〇年代初め、世界は、アメリカ史上、最も若い大統領ケネディの出現に大いなる拍手を送り、真剣な眼差しで、彼の挙動を見つめ始めた。ケネディ大統領には、人間の善性を信じる哲学と冷静な判断力があった。彼の「平和の戦略」と題した講演は有名である。
 「われわれの問題は人間が生んだものである。それゆえ、人間はそれを解決することができる」(『ケネディ大統領演説集』黒田和雄訳、原書房)と語ったことは、多くの人びとの希望の光となっていった。
 また、ある時、ケネディは、こう論じた。
 「われわれが求めているもの」は、「人間の世界的勝利である」と。
 大事なことは、世界のありとあらゆる場所で、人間自身が勝つことだ。他の誰でもない、今ここで生きる「私」自身が、「あなた」自身が、正々堂々、人間として勝つことなのである。
 ケネディ大統領から、私に会いたいと連絡が入ったのは、一九六二年(昭和三十七年)の暮れであった。大統領との会見を推進してくださったアメリカの方々もおられた。
 語り合いたいことは山ほどあった。しかし、年が明けてから、日本の政治家の下劣な嫉妬と政略によって、会見の話は結局、押しつぶされてしまったのである。
 それから十カ月後、世界を驚愕せしめた一九六三年の十一月二十三日(日本時間)がやってきた。その日の朝、九州の鹿児島にいた私のもとに飛び込んだのは、思いもよらぬケネディ大統領暗殺の訃報であった。驚いた。悲しかった。悔しかった。私は、道半ばに倒れた英雄の冥福を祈り、福岡に移動すると、すぐに弔電を打った。
 正義を叫ぶことは、命懸けである。その勇気なくして、真の社会改革はできない。
 時を超えて、実弟であるエドワード・ケネディ上院議員と、東京の聖教新聞社の応接間で、ゆっくり語り合ったことも、私の大きな想い出の一つである。それは、一九七八年(昭和五十三年)の一月十二日のことであった。彼から、ケネディ御一家の詳細にわたる歴史を伺った。苦難を乗り越えて、昇り来たった栄光の足跡に、胸を熱くしたことも、忘れることはできない。
3  若きケネディは叫んだ。
 「良心に従うとき、われわれが直面する犠牲が何であろうとも(中略)、われわれは進むべき道を決断しなければならない」(『勇気ある人々』下島連訳、日本外政学会)
 この″理想の松明″を受け継いで、私たちは断じて平和の戦いを起こすのだ!
 私は、新たな心で、新たな行動を開始した。その最初の舞台こそ、わが先駆の九州であり、北九州であった。
 ケネディ大統領の訃報を受けた翌十一月二十四日には、私は、八幡市民会館で開催された九州女子部幹部会(午前)、さらに九州男子部幹部会(午後)に、相次いで出席した。
 男子部の幹部会では、周の武王の八百諸侯が団結し、殷の紂王の七十万騎を破った故事を語った。これは将軍一人で、およそ千人の敵軍を相手に撃ち破った計算になるだろう。文字通り、「一騎当千」の勇敢なる英雄の戦いである。ならば、一騎当千の「地涌」の人材が百万人いたら十億の人を、一千万人いたら百億の人、すなわち全人類を救える計算となる。
 その深き使命と力が、晴れ晴れしきわが青年部には、皆に厳然と具わっているのだ!
 頭を上げ、胸を張り、勇みに勇んで青春の宝剣を高らかに抜き上げるのだ!
 若き君よ、断じて立ち上がれ!
 若き君よ、使命を達成するのだ!
 若き君よ、不正を打ち砕け!
 若き君よ、悔いなき無量の黄金の歴史を、思い出を創り出し給え!
 私は、広宣流布の松明を、九州の青年に託したかった。
 「先駆」とは「勇気」の異名である。それこそが、胸中の壁を破り、現実の壁を砕き、新鮮な限りなき希望の光で眩き天地を切り開く力であるからであるからだ。
 私も、青年時代、すべてに先駆し、壁を破った。全軍を怒涛の勝利に導いた。九州の青年よ、わが弟子ならば、断じて先駆せよ! そして、断固として、この一生を勝ち抜くのだ!
 草創の先輩たちが命を削って築き上げた大九州である。彼たちの指揮は、そして彼たちの行動は、電光石火の早業で、勝ちまくっていった。記憶力の良い彼らには、多くの人びとを、あらゆる中傷非難の妨害から正義に戻しゆく力がある。これは最も大事な力である。
 この「正義の歴史」を、今再び、若き君たちの敢闘で綴りゆくのだ!
4  青年時代、私は郷土の若き人びとと集って、読書会を行っていた。真剣に読書の推進をしたことは、青春の貴重な歴史の一ページである。読書は、自分自身の境涯を広げ、人生の勝負の刀を担いゆくものだ。
 当時、私たちは、九州の佐賀県出身の下村湖人(一八八四〜一九五五年)の小説『次郎物語』をよく読んでいった。
 彼は、旧制第五高等学校(現・熊本大学)に学んだ後、二十数年間、故郷・佐賀などで教職の立場にあったようである。この『次郎物語』も、当初は、青年たちのために創られた無名の機関誌に掲載されていたものだ。
 ともあれ、この書は、ファシズム(全体主義)に対する「教育的抵抗の記録」とも位置づけられていった。多くの人びとは、彼を大文学者とは信じなかった。しかし、誰が見ようが見まいが、彼は自分自身の青春の魂を、青春の信念を、自分の決意そのものを、次々と、書き綴っていったのである。
 若き日に読んだ彼のこの言葉は、私の脳裏を離れない。
 「どんな人間にとっても望ましいことは、できるだけ早い機会に、自分の一生の理想なり目的なりをはっきりきめて、その理想や目的に向かって、四六時中努力を集中することであります」(『人生随想』、『世界の人生論』4所収、角川書店)
5  昨年の暮れに、大九州の永遠なる勝利の流れをつくるため、新リーダーが陸続と誕生していった。皆、非常に活動的で、確固たる信念の保持者である。希望に燃えた、新しい九州長、そして、九州婦人部長も、ともに北九州市の出身である。
 北九州といえば、私が若き日より、全生命を犠牲としゆく決心で戦い巡った、懐かしき、師弟の縁も深き歴史の天地である。
 北九州市の八幡東区は、九州の青年部が決起していった「歴史の都」だ。とともに、八幡西区は、現在でも、人材が集る堅固な「勝利の城」であり、名実ともに「九州一」といわれる広布の機関紙の先駆を飾っている。
 また小倉北区は、私が全精魂を打ち込んで、″如説修行″の大願の誓いを宣揚してきた天地である。さらに小倉南区での、生き生きした同志との満足しきった対話の歴史も、忘れることはできない。
 かの有名な若松区では、全九州の偉大なる幹部が集り、颯爽と先駆を切り開きゆく記念幹部会を行った。私は嬉しかった。九州の方々の真剣な闘争の前進に胸が熱くなった。皆の尊い決意の歌声を浴びながら、私は、舞い上がるように「威風堂々の歌」の指揮を執った。
 そしてさらに戸畑区では、美しくして可憐な女子部、凛々しき学生部の代表とともに、″いずこの舞台でもダイヤモンドの如く輝け″と、勝利の舞踏会の如く賑やかに、″九州の歌″を歌い合ったのである。
 また、北九州の友と、門司区で記念撮影を行い、さらに、筑豊まで走ったことも、今なお懐かしい。
 北九州には、「先駆のなかの先駆」の誉れがある。勇んで悪と戦い、打ち倒すあの闘魂!
 巌に爪を立てても勝利の山を登り抜く、あの不屈の執念! 学会が嵐の渦中にある時、幾たびとなく反撃に打って出て勝利を収め、全軍を鼓舞してきた尊き同志の恩を、私は絶対に忘れない。
6  思えば、戸田先生が、″平和への闘争宣言″をなされたのも、北九州であった。
 昭和三十一年六月、八幡を訪問された折、先生は「原爆などを使う人間は最大の悪魔だ!」と鋭く叫ばれた。実はこの一カ月前、アメリカが初の水爆投下実験を行い、核戦争への危惧が一段と強まっていたのだ。
 戸田先生の宣言は、暗雲垂れ込める時代に対する、仏法者の良心の叫びであった。生命の尊厳を脅かす、魔性の闇を破らんとの師子吼であった。
 本年、悪夢の原爆投下から六十年を迎える。恩師の平和と正義の叫びは、さらに不滅の輝きを増して、世界を覚醒している。
 平和を壊すのも人間なら、平和を創るのも人間だ。ケネディが語ったように、″解決のカギ″は人間自身がもつものだ。だからこそ、その人間の内なる悪と戦い、仏という極善の生命を開発せよと、我らは叫ぶのである。これが人間革命である。
 「平和」とは、遠い彼方にあるものではない。自分が今いる場所で、あの友に会い、この友と縁を結び、誠実に対話を重ねるなかで築かれるものだ。自ら働き、自ら声をかけ、友情を広げるなかで築きゆくものだ。地道な、真剣勝負の「今日の一歩」のなかに、「明日の勝利」がある。勇気を燃やした「今日の対話」が明日の世界に「幸福の楽土」を必ず広げていくのだ。わが愛する地域から、汝自身が立ち上がって、平和の連動を起こせ!
7  北九州の市立総合体育館に、世界中から仲間が集い、″平和への船出″をテーマに第八回世界青年平和文化際が行われたのは、昭和六十二年秋のことであった。
 団結と調和の美を織りなした祭典の圧巻は、わが男子部の組み体操であった。そのクライマックスの″人間円塔″は、練習では一度も成功しなかった。過去、学会の男子部が何度も行ってきたとはいえ、極めて難関の演技である。どこが悪いのか、呼吸が合わずに崩れる″円塔″が必ず出るなど、本番前日のリハーサルでも失敗。結局、全体が完璧にそろった練習はできなかった。だが、友は挫けなかった。弱音を吐くような臆病者は一人もいなかった。
 ″断じて勝つ! 必ず成功させる! 新たな九州の歴史を開いてみせる!″
 本番が迫る刻一刻、彼らの祈りは「絶対勝利」の闘魂に凝縮していった。迎えた本番、彼らは勝利の炎と燃えて舞台に踊り出た。そして、彼らの勝どきそのものの″人間円塔″の演技が、見事に大成功したのだ! 勝利への執念が一丸となった団結が、「不可能を可能にした」瞬間であった。皆、怒涛のごとく、拍手、拍手、であった。皆、泣いた。勝利に泣いた。
 勝利の文化際が終わると、私は同志に贈った。
 「信仰の
 極地の美とは
 これなるか……」
 大九州は勝った! 新しき歴史の扉を開き、意気軒昂に船出したのだ!
 御書には、「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と仰せである。「団結の姿」それ自体に、広宣流布への正しき「信心の血脈」が通うのだ。ゆえに、学会は、仏の勝利の生命が脈動する、仏意仏勅の組織なのである。
 君の勇気の一歩は、全軍の一歩だ。
 君の今日の勝利は、創価の勝利だ! 師弟の勝利だ!
8  文豪ユゴーは訴えた。
 「私は結合、ただこの一事を諸君に要求します!
  結合によって、諸君は打ち勝たれるはずです」
 「結合せられよ、諸君は難攻不落でありましょう」(『追放』以後、神津道一訳、『ユーゴー全集』10所収、ユーゴー全集刊行会)
 先駆の君に勝利あれ!
 わが大九州に勝利あれ!

1
1