Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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幸福の宝冠 輝く婦人部  

2005.1.7 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  皆様こそ『勝利拡大』の大博士
 インド独立の父マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「どんな私の行為でも、祈りなくしては行われない」(アンドリュース『カンヂーの革命運動と宗教』福永渙訳、大鳳閤書房)
 晴れ晴れと、新しき拡大の一年は明けた。輝く学会創立七十五周年の夜明けだ!
 私どもは、創立百周年をしっかりと目指して、威風堂々と行進を開始しているのだ。
 日蓮大聖人は、妙法弘通に戦い抜かれた御生涯について、こう語っておられる。
 「只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり
 不思議にも、その「七字五字」に通ずる本年の創立七十五周年――我らは、厳然たる勇気と信心をもって、蓮祖の大闘争に続いているのだ。
 正義であるゆえに、魔の烈風は吹きまくっていた。大善であるゆえに、卑劣な怒濤は騒いでいた。しかし、我らの正義の民衆城は難攻不落であり、完璧に出来上がっている。広宣流布という正義の道を進みゆく皆様方にも、いかに卑劣な烈風が吹き荒れたことか。
 「空威張りを好むのは劣等人物の特質に過ぎない」(「墓標に代えて」、『尾崎咢堂全集』8所収、公論社)とは、憲政の父・尾崎咢堂の有名な叫びである。
2   すばらしき
    女性の世紀は
      来たり来ぬ
    広布の舞台に
      貴女よ光れや
 「母」と書いて勇気と読む――そう思うのは、私一人では決してあるまい。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべ」とは、″壮年″の四条金吾に送られた大事な御聖訓である。「でも、実際、この御文の通りに戦っているのは、圧倒的に婦人部ですね」と多くの同志が讃え、語っている。多くの青年たちも、この事実には、賞讃を惜しまず、白旗である。
 「法華経の兵法」に徹した婦人部の真剣な祈り、真剣な行動には、誰もかなわない。この婦人部と力を合わせた″合金パワー″で、女子部も大成長している。創価の″母と娘″が団結すれば、広宣流布の未来は大盤石である。
 多くの歴史の上に輝く英雄よりも、無名にして美しき魂をもって、選び抜かれ、広布という最高無窮の行動をしている婦人部の方々は、偉大である。この方々こそ「民衆の女王」といっても、過言ではないだろう――これは、ある著名な学識者の言葉である。
 人間の権利を、正義のために守り通してゆく健気な姿、自他ともの幸福という宮殿を築いている尊き姿よ! 婦人部の方々の奮闘のなかに、大仏法の実像がある。
 「人間革命の戦いだ!」「宿命転換の戦いだ!」「広宣流布の戦いだ!」と、日常生活の多忙のなか、時間を割いて、勇んで行動する、はつらつたる生命の輝きは、仏天が護り、讃歎していることは事実だ。
 眼前の一日一日の生活の、そして法戦の課題を鋭く見つめ、「祈ろう!」「題目よ」と、真剣に御本尊に向かう、あの清らかで健気な姿よ! これこそ、仏の姿だ。
 平凡に見えながら、必死の婦人の姿に勝る、「一家和楽」「一家勝利」への厳たる指揮はない。いうなれば、婦人部の皆様方こそ、人生の戦場にあって、″一切の女性、一切の男性にも超え″、堂々と栄光の旗を翻す勝利者なのだ。これが、法華経の心である。そして大聖人も、御書に厳然と説いておられる。
3  昨秋、白ゆり長、副白ゆり長、さらに″総白ゆり長″が誕生してからは、歓喜が弾けたように、婦人部の勢いは止まることを知らない。全国の皆様からも、手紙や報告を多数頂戴する。私も、妻も、「嬉しいね」「本当に嬉しいですね」と、合掌する思いで読ませていただいている。女性の活躍は、遠く釈尊の時代から、仏教の特色ある伝統であった。
 ある仏典には、仏道修行を妨げようと近づく悪魔どもを、女性の弟子たちが毅然として打ち破った戦いが幾つも記されている。(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫、参照)
 「悪魔」とは、己心に兆す「恐れ」「不安」「迷い」等々といえよう。また、善良な女性を狙う狡猾な悪人どもも含まれようか。
 釈尊は、「恐れるな!」と弟子たちに教えた。女性たちも、師の教え通りに生き抜き、勇敢に叫んだ。「悪しき者よ、私はお前を恐れない!」
 魔は、巧みに心の隙間に忍び寄ってくる。だが、鋭く魔を魔と見破れば、あえなく消え去っていくのだ。そのためには、断じて勇敢でなければならない。聡明でなければならない。感情等に振り回され、本質を見誤る愚者であってはならない。
 「じつに傲慢な人は、ありとあらゆる感情にふりまわされるもの」だと、オランダの哲学者スピノザが喝破した通りである。だからこそ、正義に生きる師弟の道が大事なのである。
4  女性の仏弟子の一人は、ある時、国王と語り合った。国王が観念的で難解な質問をぶつけると、彼女は、師である釈尊の教えを通し、堂々と、明快に説き明かした。国王は、彼女の答えに感嘆しながら、対話を終えた。
 ところが、その後、釈尊に会った国王は、再び同じ質問をするのである。先の女性の答えが正しいかどうか、確かめようとしたようだ。しかし、釈尊が国王に説いた言葉は、先の女性の弟子が語ったものと、まったく一致していたのであった。
 国王は驚いた。いな、感服して、釈尊に語った。
 「先生! お二人が説かれた法門は、何と美事な、何と稀有な一致でしょうか!」
 二人の説法は、国王の心のなかに、眼前の課題にしっかりと取り組む気持ちを呼び覚ましたようだ。「そろそろ、おいとましましょう。私たちも為すべきことが多いのです」
 あまりにも美しく、厳粛な師弟一体の姿は、最高権力の座にある人間の心をも、激しく揺さぶる力を持っているのだ。これも、仏典に明確に説かれた話である。(『相応部経典』、『南伝大蔵経』16上所収、大蔵出版、参照)
 師弟不二で、誇り高く進む女性には、恐れるものは何もない。気高きその魂は、絶対の強さがあるのだ。
 大聖人も、女性信徒を常に慈しまれた。ことに、女性同士の友情・連帯を大切にしておられたようだ。
 佐渡から、鎌倉の四条金吾の夫人に送られた御書には、「此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候」と記されている。婦人同士、常に寄り合い、励まし合っていきなさい、と仰せである。
 また、佐渡の国府尼には、千日尼の名前を挙げられて、「同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ」と指導された。二人は「同心」です。一緒にこの手紙を読み、異体同心で頑張りなさい、と。
 幾多の苦難を乗り越えて、婦人信徒たちが信仰を貫き通した背景には、こうした麗しき励まし合いがあったことは想像に難くない。要所、要所に、現在の婦人部の「グループ」のごとく、小さくとも、正しい信仰で結ばれた女性たちの固い団結が生まれていたのである。
5  いよいよ、日本列島を希望の春光に包みゆく、太陽の婦人部総会が始まる。
 二〇〇〇年から、二十一世紀の総会として新出発をして六回目。また、「グループ」を中心に行われるようになってからは十八回目となる。
 全国規模の総会といえば、代表が一堂に会する会合というのが普通であろう。それはそれで大事な意義があるが、わが婦人部はこの″常識″を一変させたのだ。一番小さな単位を?総会?として、皆がにぎやかに、そして自由に、真剣に、幸福を語り、教育を語り、平和を語り、信仰を語り、未来を語るのだ!
 なぜか――それは、婦人部の皆様は、全員が主役であるからだ。一人ひとりが「幸福拡大」「正義拡大」の真のヒロインであるからだ。
 爽やかに、婦人部が立ち、正義の声を上げるところ、どこでも、勝利の総会の舞台となるのだ。決して絶望するな! 望みを捨てるな! 宝の我が城を築け!
6  先ごろ、国連の「人権教育のための世界プログラム」が国連総会で採択され、本年一月一日から開始された。四年前に私が行った提言(「平和のための人権教育の10年」の提唱)も、微力ながら、この世界プログラムに貢献できたようである。
 「世界人権宣言」に多大な尽力を果たしたエレノア・ルーズベルト夫人は、半世紀ほど前に来日した折、「人権」について講演して訴えた。
 ――基本的人権の問題というのは、各国において、各市町村において、皆様の家庭において、皆様自身の問題だと考えてほしい。一人ひとりが努力をしていかなければ、世界に人権を確立する仕事はできない――と。(「朝日新聞」昭和二十八年五月二十八日付、参照)
 その通りだ。だからこそ、一人が大事なのだ。一人立つことが出発点なのだ。これが真理であり、法理である。我らの「人間革命」の方程式と、根本は一致である。
 どこまでも「一人」を大切に! この魂の血脈を社会の隅々へ、深く広く浸透させることこそ、人類が希ってきた「人間主義の世紀」を創造しゆく生命線なのだ。
 私たちには、敗者は一人もいない。全員が人生に勝った真実の幸福者である。また、そうしなければならない。
 御聖訓には、「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬさいわいや有るべき」と。さらにまた、大聖人は仰せである。「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり
 断じて、勝つことだ!
 婦人部、万歳! 偉大な幸福博士、尊き勝利の女王の栄光に万歳!
 アメリカの大教育者デューイ博士は訴えた。
 「悪になにも注意しないという形をとる、悪にたいする無抵抗は、悪を押し進める道である」(『生の論理』清水幾太郎訳、『現代思想全書』14所収、三笠書房)
 ――正義の婦人部の皆様の「健康長寿」「幸福勝利」を、妻と二人して祈りつつ。

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