Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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若き正義の英雄・男子部(下)  

2004.12.25 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  広宣流布へ! 師子の道を征け
 広宣流布とは、「闘諍言訟」という時代の真っ只中で繰り広げゆく言論戦であり、精神闘争である。日蓮大聖人は、富木常忍たち門下を、こう励まされた。
 「今日、あなた方が召し合わされて、問注(裁判)があると伺いました。一生のうちで、これほどの幸いはないでしょう。まず、あなた方の胸のうちに、わだかまっていた思いを十分に主張して、心を晴れ晴れとされるがよいでしょう」(御書一七八ページ、趣旨)
 法廷の場を通して、正義と真実を正々堂々と勇んで示し切っていくよう、強く激励なされている。そして大聖人は、「妙法」と「師匠」と「弟子」が一体となって戦うことによって、裁判の勝利を勝ち取っていく原理を厳として教えられた。
 わが創価学会も、ご存じの通り、幾多の悪意に満ちた攻撃を受けてきた。しかし、訴えた裁判はもちろん、訴えられた裁判においても、この大聖人の仰せ通りに、学会は、ことごとく完勝した。嘘は嘘だ。嘘は、何百回、何千回、言おうが嘘だ。
 「報恩抄」では、人心を惑わす悪辣な嘘に対して――「何れの月」なのか? 「何れの日」なのか? 「何れの夜の何れの時」なのか? 一つ一つ、鋭く問い詰めていかれた。さらにまた、無実の罪をなすりつけようとする謀略に、大聖人は「確かなる証人を出せ!」と奮然と反撃なされている(御書一八一ページ)。「証拠なくんば誰人か信ずべきや」とは、御書全編に貫かれた御精神である。
 こうした御聖訓を拝して、「まるで透徹した大弁護士の論鋒です」と驚嘆していた、高名な仏教学者もいる。
 要するに――「いつなのか」「どこなのか」「誰が見たのか」「証人はいるのか」「信頼できる証人なのか」「証拠はあるのか」「明確な裏付けはあるのか」
 それが立証できない文言は、どんなに飾り立てようとも、所詮、「策文」であり、嘘八百の悪意に満ちた無頼漢の喚きなのである。学会や私に対する中傷誹謗は、何の根拠もないデマであり、これほどひどい人身攻撃はないと、超一流の弁護士も呆れ果てていた。
 ともあれ、学会は、裁判の戦いにも連戦連勝してきた。近年においても、勝訴の数は、なんと十四を数える。「前代未聞の正義の記録」であると、著名な学者たちも讃嘆している。
 私自身も、一切の裁判に完璧に勝ってきた。
 「月刊ペン」の裁判では、まったく事実無根の嘘八百を書き立てた編集長が、当時の最高額の罰金刑で厳しく裁かれた。出版関係者が名誉毀損の刑事事件で逮捕・勾留され、有罪を宣告された希有の事例となっている。
 さらにまた、私を陥れんとした北海道の「狂言訴訟」は、徹頭徹尾、事実の根拠がなく、訴えること自体が不適法であると断じられた。百万件に一件という、「訴権の濫用」にあたると鋭く却下されたのだ。それは、類例のない人権蹂躙の謀略の訴訟として、法曹史上に厳然と刻印されることとなったのである。
 わが真実は、一点の曇りもなく、満天下に立証された。後世の正義の受難者たちのために、一つの確固たる防波堤を築くことができたと自負している。
 かりに、空を真っ黒に覆うほど中傷の矢を放ったところで、太陽には届かない。太陽は、あまりにも空高く輝いているからだ! しかも、天に唾すれば自分に返る道理で、その毒矢は、全部、放った人間自身に返るのである。
 大聖人は、正邪の審判を、一言にして下された。
 「犬は師子をほうれば腸くさる・修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る
 邪宗門が、最高裁から七度にわたり峻厳に断罪されたことは、何よりの現証といってよい。宗祖から裁かれ、破門されている証明なのだ。
 ともあれ、大聖人は――「責め返せ」「押し返せ」「権門をかっぱと破れ」「毀る人間には、いよいよ申し聞かせよ」「いよいよはりあげて責めよ」等と、烈々たる正義の反撃を厳命されている。これこそ、使命深きわが男子部の責任だ。
 戸田先生は詠まれた。
  一度は
    死する命ぞ
      恐れずに
    仏の敵を
      一人あますな
2  わが口は、大砲である。わが言葉は、弾丸である。正義は、邪悪を木っ端微塵に打ち砕いてこそ正義だ。″中国革命の父″孫文は、「革命の成功は宣伝による」と言った。孫文のいう「宣伝」とは、粘り強く、正しい思想を叫び抜くということだ。彼は、同志に強く訴えた。
 「諸君は、宣伝の任務を負っては、まさに根気を持たねばならぬ。今日は熱心に活動していても、明日は熱が冷めてしまうような竜頭蛇尾ではいけない」(外務省調査部編『孫文全集』中、原書房)
 正義なればこそ、忍耐であり、不屈でなければならぬ。
 御書を拝すると、大聖人は三個所で「宣伝」という言葉を記されている。それは、いずれも、法華経の正法正義を「宣べ伝える」――弘通する意義で用いておられる。
 正しい法を、正しいと言い切っていく。声高らかに正義を叫び、断固として真実を語り抜いていく。これが、本来の「宣伝」なのだ。要するに「言論戦」ということである。
 広宣流布とは、「正法を広く宣べ、流布する」ことだ。正しい法も、自動的に広まるものではない。語らなければ伝わらない。伝える行動なくして、広まる道理もない。ゆえに「伝える人」「語る人」が大事なのだ。「随力弘通の勇者」こそが尊いのだ。「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」である。
 「心理学の大家」であるユングも語っている。
 「物の分る人たちや、善意の人間がいることに、希望をつないでよいのである。だから必要とされる思想や洞察を、くり返し語ることに倦じまい。ついには蔓延する嘘ばかりでなく、真理もまたいつかは広まるのである」(松代洋一訳、『現在と未来』平凡社)
 わが若き弟子たちよ、今こそ「善」と「正義」の連帯を圧倒的な勢いで拡大していくことだ。断じて勝つことだ。
3  それは、恩師が亡くなられて、数カ月が過ぎようとしていたころのことであった。ある政治的にも、社会的にも最高に著名な方にお会いし、名刺を渡した。
 すると、その方は威儀を正され、即座に、「あなたのことは、戸田会長からよく伺っております」と言われたのである。私は驚いた。私は感動した。胸に熱いものがあふれた。
 私たち青年に、繰り返し、「諸君の進む道だけは開いておくからな」と語られていた先生であった。そのお言葉の通り、要所、要所に、先手を打ってくださっていたのだ。
 「大作、私が打てる手は、全部、打っておいたぞ。あとはお前が、思う存分、戦いまくれ! 勝って勝って、勝ちまくれ!」
 師匠とは、ありがたいものである。いな、師匠ほど、ありがたいものはない。私は、このお心に応えて、師の構想は余すところなく、実現した。
 先生の個人教授であった「戸田大学」の卒業生として、世界百六十八の大学等から、名誉学術称号も拝受した。世界一とのことである。そして今、新たな五十年へ、わが分身の生命である青年の道を開きに開いている。戸田先生が私をまぶしそうに見つめてくださったように、私も君たちを見守る年齢となり、立場となった。
 心ある人は、皆、感嘆している――平和のため、人類のため、人の幸福のため、生き生きと活躍する諸君の行動は、日本はおろか、世界に向かっての動執生疑を起こしている、と。これこそ、正義の革命児なのだ。
 「小さい仕事は小さい力でできるが、大きい仕事は大きな力でしかできない」(李光洙『至誠、天を動かす』興士団出版部編、具末謨訳、現代書林)とは、韓国の独立運動のなかで叫ばれた真理の言葉だ。
 その独立運動の父・安昌浩アンチャンホは、「興士団」という独立闘争のための組織をつくることに命を注いだ。なぜ組織なのか。彼と、入団を希望する青年の問答の結論は、こうであった。――個人の生命は限りがある。しかし、組織として団結すれば寿命は永遠に続く。(同前、参照)
 今、我らが遂行しゆく妙法の広宣流布、すなわち人類の平和と幸福の実現という大事業も、同じ方程式である。この流れを永遠の大河とするには、創価学会がさらに強く、さらに大きく発展していく以外にない。青年よ!ゆえに、生涯、学会と共に、生きて生きて、生き抜くのだ!
4  ドイツの大詩人シラーは、悪政に抵抗して立ち上がる民衆劇で、烈々と叫んだ。
 「待ちに待っていた焔がぱっと燃え立つのを見たら、電光のごとく敵をおそいまくって、暴政の巣窟をくつがえしたまえ」(『ヴィルヘルム・テル』桜井政隆・桜井国隆訳、岩波文庫)
 ひとたび、総攻撃の合図の狼煙が上がったならば、決して逡巡してはならぬ。
 「正義の剣」の男子部よ!
 「広布の原動力」の男子部よ!
 「勝利の炎」の男子部よ!
 「創価の若き諸葛孔明」たる男子部よ!
 今こそ、一切の魔軍に止めを刺し、破邪顕正の決着をつけるのだ。不屈の信念の革命児として、熱い火花を散らし、鮮烈な稲妻を光らせながら、戦おうではないか! 勝とうではないか!
 「今日の闘争は将来の世界のための材料です」(モチューリスキー『評伝ドフトエフスキー』松下裕・松下恭子訳、筑摩書房)
 これは、ロシアの作家ドストエフスキーの言葉である。彼は、青年に対して、失敗を恐れるな! 勇気と自覚を持て! と励まし続けた。
 わが青年部の一年間の健闘を心から讃え、私は五項目の宣言をしたい。
 一、いかなる時代も、青年によって革命され、大いなる歴史の進歩を遂げる。
 一、いかなる団体も、青年のスクラムと向上心こそが、最大のエネルギーとなる。
 一、いかなる邪悪も、青年の正義の怒りの師子吼には、絶対に敵わない。
 一、いかなる未来も、青年の熱と力によって創られる。青年の心に正しき哲学の光がある限り、行き詰まりはない。
 そして――
 一、いかなる戦いも、断じて勝つと決めた、青年の勇気と忍耐と執念によって決する。

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