Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「女性の世紀」の若き旭日(下)  

2004.11.13 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  女子部の成長が広宣流布の勝利
  負けるなよ
    強き心に
      幸福が
 信心は、即生活である。仏法は、即社会である。ゆえに、生活に勝ち、社会に勝ち、自分自身が幸福にならない信心や仏法は、あり得ないのだ。それは、真実に信心を行じ学んでいない証拠だ。信行学を通して、仏の御聖訓を実践し、一日一日、忍耐強く希望に燃えて、心も弾ませながら、勝利と幸福の山へ登っていくのだ。
 私と妻が尊敬してやまぬ、鄧穎超先生は言われた。
 「私たちは、幸福です。生き抜いて戦い続けることができるからです」
 自分の幸福は当然のこととして、人生の目的は、人びとの幸福と正義のために生き抜くことだ。戦い抜くことだ。そして、勝つことだ。
 「女人成仏」――女性の永遠の幸福の道を開いたのは、法華経に説かれる健気な一人の乙女であったことを、私たちは忘れてはならない。日蓮大聖人は、この乙女の深い意義を釈され、「父子同時の成仏」とも言われた。娘の勝利はまた、父の勝利、親の勝利であったのだ。ともあれ、女子部の勝利は即、学会の勝利であり、無限の大発展なのである。
 ロシアの大文豪トルストイの思想を、誰よりも深く理解し、海綿の如く吸収した「魂の継承者」は、愛娘のアレクサンドラであった。彼女は、「父のような人に尽くせることが最高の幸運」であり、「父の思想を残すために働く時こそが最も輝かしい幸福の時」と語っている。
 ゆえに、父の遺訓を踏みにじる、臆病で虚栄の「偽物の弟子たち」を、断じて許さなかった。
 父の名前を冠した″トルストイ学校″も、創立している。だが、当局からは、嫌がらせの迫害を加えられた。「トルストイの娘」ということで、目の敵のように睨まれてもいる。悪意のデマ記事も書き立てられた。
 しかし、毅然たる彼女は、決して泣き寝入りなどしなかった。相手が反論できなくなるまで、真実を叫び抜いた。二度と卑劣な画策ができぬよう、正義を明らかにしていったのである。彼女は、冤罪で投獄された時も、囚人たちのために「学校」を開き、教育・啓蒙活動を展開した。監獄の責任者をも協力者として巻き込んで、牢獄さえ、向上と成長の希望の世界に変えていったのだ。
 その後、アレクサンドラは、日本を訪れ、さらにアメリカに渡った。あらゆる艱難に打ち勝ちながら、不二の父の精神の遺産を、断固として護り抜いた。そして、堂々と世界へ宣揚していったのである。
2  皆、悩みがある。悲しみがある。苦しみがある。しかし、「煩悩」は即「菩提」である。大きく悩んだ分だけ、大きく境涯が広がる。これが、妙法の原理だ。たとえ、地獄の業火のような逆境に立たされたとしても、そこを、必ず幸福の寂光土へと転換できるのだ。
 苦悩が何もないことが幸せなのではない。負けないこと、耐えられることが、幸せである。重圧を受け「あの人は大変だ」と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命のわが道を歩み抜くことだ。そこにこそ「能忍」(能く忍ぶ)という、強い強い仏の生命の力がわいてくるのだ。一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい。
 女子部一期生である私の妻のモットーの一つは――
 「今日も負けるな
 今日も勇みて
 誓いの道を」
 であった。何があっても、負けない。その人は勝っているのだ。なかんずく、自らが青春時代に誓い定めた信念のために負けない一生を貫き通す人は、最も強く偉大である。
 天台大師は記された。「信力の故に受け 念力の故に持つ」と。
 広宣流布の信心を、一生涯受持し通すことが、人間として最極の「信念」なのだ。
 「法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし
 妙法に生きゆく女性は、いずこにあろうとも、常勝栄光の晴れ晴れとした、青春であり、人生なのである。
 私が対談集を発刊した、女性の未来学者ヘンダーソン博士が敬愛する母から学ばれたことは、何であったか。それは、毎日の生活のなかで、他の人びとの人生を良くする力とチャンスを、生かしていくということであった。博士は言われている。
 「どんな大きな成功よりも、『あなたのおかげで、新しい人生を進むことができた』と言ってもらえるときほど、幸福を感じることはないのです」(『地球対談 輝く女性の世紀へ』。本全集第114巻収録)
 人を幸福にできる人こそが、真実の幸福者である。
 わが女子部は、あの地でも、この地でも、「桜梅桃李」の法理のまま、自分らしく希望の花を咲き薫らせている。そして、新たな「幸福革命」を、晴れ晴れと誇り高く進めているのだ。
 女子部が成長してくれれば、学会は永久に前進し、広宣流布は永遠に拡大できる。
 戸田先生は、女子部に語られた。
 「鎖の輪は、一つ一つガッチリと組み合って、切れることがない。人間も同じだ。心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進む。人と人との輪を作りなさい」
 ゆえに女子部の皆さんは、朗らかに、積極的に、そして聡明に、善き友人、善き同志と接し、深き友情を結んでいっていただきたい。
3  さらにまた、何があろうが、「わが家を善き家庭にしよう!」「善き職場にしよう!」と祈り、凛々しく立ち上がることだ。自分自身が、皆を照らす太陽となっていくところに、本当の勝利があり、独立自尊の幸福の旗が翻るのだ。
 神経質すぎたり、また生真面目すぎて、独りぼっちになって、苦しむことがあってはならない。社会から離れ、善き仲間から遠ざかり、一人になってはいけない。
 人というのは、助け合い、交わるものだ。そのなかに喜びがあり、智慧があり、成長があるからだ。
 二百十数年前、「女性の人権宣言」を発表した、フランスの″女性解放の先駆者″オランプ・ドゥ・グージュは声高らかに呼びかけた。
 「女性よ、目覚めよ」「哲学の旗のもとに結集せよ。そして、あなた方の持ち前の気力をすべて発揮せよ」(オリヴィエ・ブラン『女の人権宣言』辻村みよ子訳、岩波書店)
 今、絶対的幸福の哲学のもとに結集した、わが賢明なる女子部よ!
 「生命尊厳の世紀」を子孫末代のために創りゆくのだ。誰が見ていようが、何と言おうが、この道が絶対に正しいからだ。行動のない人生に、勝利の旗はない。行動のない信心に、幸福の旗はないのだ。この尊い意義深き青春を、そして人生を、負けずに、すべての苦難を乗り越えながら、旭日輝く勝利の栄光を胸に、わが道を歩みきっていくことだ。
 これが、本当の人間としての歩み方なのである。これが、仏法である。これが、信心である。「難来るを以て安楽」との、大聖人の重みのある一言を、決して忘れてはならない。
 勝つために、幸福の山に登り切るために、若き崇高な使命に生きゆく女子部、万歳!
 輝く未来に生き抜く使命を帯びて、女性の先頭で、正義と勝利の旗を高く掲げゆく女子部、万歳!
 世界百九十カ国・地域を結ぶ連帯を、いやまして広げゆく女子部の前進、万歳!
 三世十方の仏菩薩が必ず賞讃し、厳護していくことは間違いないのだ。
 世界第一の「平和」と「文化」と「広宣流布」に、固くスクラムを組みゆく、壮大なる女子部、万歳!
 日本一なる、いな、世界一なる女子部、万歳!
4   世界一
    創価の女子部は
       輝けり
 立派な「創価女子会館」建設の起工式、おめでとう!
 ――11・12「女子部の日」を記念して。

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