Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価の宝「白ゆり長」  

2004.9.24 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  凛と咲け! 正義と幸福の花よ
  気高くも
    また 高貴なる
      白ゆりの
    その名の皆様
      凛と咲きゆけ
 ″白ゆり″の花は、婦人部のシンボルである。戸田先生も、白ゆりの花が大変にお好きであった。第二代の会長に就任後、先生は直ちに婦人部を発足させたが、その結成会場にも、白ゆりが飾られていた。それを見ながら、先生は詠われた。
  白ゆりの
    香りも高き
      集いかな
    心の清き
      友どちなれば
2  当時、日本の敗戦後の混乱は、なお社会に暗い影を落とし、とりわけ、最も犠牲(ぎせい)を強いられた女性たちの苦悩は深かった。しかし、一輪の花を咲かせゆく種子や根には、やがて大地を花で埋め尽くす力が秘められている。
 決然と立ち上がった戸田会長は、すべての女性の幸福を願望し、荒廃しきった荒地に、一輪の白ゆりを植えられたのであった。それが、わが世界一の創価の婦人部である。
 古来、百合は「希望」の象徴であった。白ゆりの花言葉には「高貴」「威厳」ともある。
 白ゆりのように気高く! 白ゆりのように誇り高く! 白ゆりのように、幸の大輪を咲かせゆけ! この恩師の願いは実現し、今や創価の女性のスクラムは、世界を結ぶ平和と幸福の大連帯となった。
  広宣の
    道に咲きゆく
      白ゆりは
    あの人 この人
      疲れ癒さむ
3  今年の爽やかな秋の九月、全国のブロックに、「白ゆり長」「副白ゆり長」が、颯爽と誕生した。これまでブロック担当員、副ブロック担当員――親しみ深い″B担さん″″副B担さん″として、広宣流布の最前線で、来る日も来る日も、勝利の花を咲かせてきた皆様方である。まことに皆様への感謝と賞讃にふさわしい名称である。
 そして女性のブロック長の方も、″総・白ゆり長″ともいうべき使命と自覚で、さらに新しき力を咲かせきっていただきたい。
 ブロックの組織は、広宣流布の最前線の戦地である。これほど大切な役割を担いゆく皆様方を、幹部たちは最大に大事にし、最大に励まし、最敬礼の心をもって、一緒に戦ってゆくべきである。幹部は、威張るな! 幹部は、健気なこの方々のために奔走するのだ。
 それは、一九五二年(昭和二十七年)。蒲田支部の支部幹事になった私は、折伏の活動の焦点を「組」に定めた。「支部」から「班」、そして「班」から「組」という組織形態にあって、あくまでも「組」を最も重大なる拠点として戦ったのである。「組」は、今でいえばブロックに当たるであろう。
 「組」の中心者には、まだ信心の新しい方々が多かった。その方々に、大きい使命と責任を与えることに、さまざまな異論もあった。しかし、私はその人たちの持ち味である最前線の底力を信じていた。新しい人にこそ、新鮮な力と知恵がある。
 ともあれ、この「組」中心の二月闘争によって、蒲田支部は快進撃し、恩師の願業であった七十五万世帯の達成への突破口を開いたのである。「組」が変わったことで、学会全体の組織形態の精神的壁を破ったのである。その方程式は今も変わらない。ブロックが強くなれば、学会も強くなるのだ。
 学会の組織がブロック体制に移行したのは、一九七〇年(昭和四十五年)であった。折から、言論出版問題の嵐が吹き荒れている時である。その後、私は、全国を回るたびに、記念撮影会などで、可能な限り、ブロック長・ブロック担当員の皆様にお会いし、懸命に激励を続けた。「ブロック城」さえ盤石ならば、「創価城」は揺るがないからだ。
 ともあれ、新しい世紀の「創価の時代」が到来したのだ。その出発に当たり、「白ゆり長」が誕生し、今、全国のブロックが総立ちになった。清新な新世紀を鮮やかに輝かせゆく、新体制ができあがった。
 創立八十周年に向けて、わが創価学会は、また新たなる歴史を創出し始めたのである。世界の果てまで妙法の光が輝く、偉大なる勇躍の船出をしたのだ!
  天までも
    香りも高き
      白ゆりの
    天使と天女の
      スクラム楽しや
4  それは、壮麗なる儀式であった。一九九二年(平成四年)の六月三十日、私はイタリアのルネサンスの天地フィレンツェにいた。この日、市庁舎であるベッキオ宮殿において、モラリス市長から「フィオリーノ金貨」を記念として頂戴した。
 文化の象徴として、この金貨を一級の文化人に贈ってきたことを市長から伺い、身に余る栄誉に感謝した。ドイツのワイツゼッカー大統領、ノーベル平和賞を受賞した旧ソ連のサハロフ博士らに贈られ、日本人では私が初めてであった。
 私の目は、金貨の図柄に強く吸い寄せられた。そこには、「百合の花」が刻まれていたのである。百合は、「花の都」と謳われたフィレンツェ市の紋章でもあった。
 ″この金貨は、全世界の婦人部が、永遠に豊かな人生を生き抜く証だ……″
 わが大切な大切な、広布の尊き使命に戦う婦人部の方々を胸に浮かべて祈る思いで、私は「フィオリーノ金貨」を拝受した。フィオリーノとは、「小さな花」との意味である。
 この金貨は、日蓮大聖人が立宗宣言される前年(一二五二年)にフィレンツェで鋳造され、西ヨーロッパ全体に広く流通していった。品質の高い″百合の金貨″は、この地に繁栄をもたらし、絢爛たるルネサンスの開花を呼んでいったと言われる。
 イタリアの婦人部も、創価のルネサンス大運動に大きく活躍しておられた。鋭く、そして逞しく、皆、生き生きと微笑みながら、正義を叫び、人間のための、幸福のための、新しき宗教大運動の先駆を築いてくださっていたのである。私も妻も、熱い涙が流れた。
 百合は、人類の歴史上、極めて古い栽培植物の一つであった。数千年前から存在した証拠が残っている。日本で″白ゆり″といえば、テッポウユリなどが名高いようだが、その他にも、北海道から沖縄まで、個性豊かな野生の百合が咲いている。あの「万葉集」でも、百合が歌い上げられてきた。
 なぜ、百合は美しいのか。それは、生き抜くために、全生命で戦っているからだ。
 花の美しい個性は、厳しい生存競争に勝ち抜く″知恵の表現″であると、学者は論じている。言葉を持たない花ですら、色や香りで、″声にならない声″を上げ、精いっぱいアピールしているのだ。ましてや、人間であるならば、自らの力の限り、声を発することは、当然だ!
 広宣流布のために、幸福と正義のために、「白ゆり長」が、声も美しく、そして高らかに、戦いゆく姿は、何と崇高なることか!
 「白ゆり長」の美しき心、強き心、慈愛の心があって、創価の陣営は拡大してきたのである。
5   雑草に
    囲まれ 吹雪に
      耐えゆかむ
   王女の如き
     白ゆり優雅に
 白ゆりは、聖なる花として尊ばれてきた。
 十五世紀に、ジャンヌ・ダルクが祖国フランスを救うため決起した時、彼女が掲げた旗印には、″百合を持った天使″が描かれている。自ら刺繍職人に、絵柄を注文して作らせたものであった。後に裁判にかけられ、法廷に立った彼女は、旗印と剣とどちらが好きか問われた。
 「剣より旗印の方が四十倍も好きです」(レジーヌ・ペルヌー『ジャンヌ・ダルクの実像』高山一彦訳、白水社)
 ″百合の旗印″は、彼女にとって、正義と信念の象徴であったにちがいない。ジャンヌ・ダルクは、権力者による政略的な裁判で火刑に処されたが、幾世紀の歳月を超え、彼女の生涯は不滅の光を放ち続けている。歴史から断罪されたのは、不当な裁判の方であった。
 ″百合の旗印″は勝った。命懸けの信念が勝ったのだ!
 正義に生きる女性の魂ほど尊く強く、美しき不滅のものはない。歴史の常として、崇高なる信仰と理想に生きる偉人の真実が、いかに汚され、ねじ曲げられてきたことか。
 フランスの文豪バルザックは、代表作『谷間のゆり』のなかで、中心人物の女性に、こう語らせた。
 「汚辱(おじょく)にまみれた人々は、自分たちの溺れている泥水を、それこそだれより気高い人々にさえはねかけようとするのです」(宮崎嶺雄訳、岩波文庫)
 これが、世の現実である。だからこそ、その人間の悪徳の流転を変えることだ。正義の栄える時代を切り開くのだ。我らの広宣流布の行進にあって、白ゆりの花は、勝利と栄光の紋章だ! 創価の正義を満天下に示す、婦人部の旗印だ!
 卑しく狡賢き人間群にあって、神々しき陣列の先頭に立つのが、使命深き「白ゆり長」である。創価の宝「白ゆり長」の皆様が、信仰と生活に、仏法と社会に、現実と永遠に、悠然と、日々、小さくも大きくも勝ち抜いてゆく姿こそ、大仏法の勝利であり、学会の正義の勝利なのだ。
 ともあれ、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」は、広宣流布を成しゆく、法華経の行動者であるという晴れやかな証明なのである。
 信仰は、何ものにも決して恐れず、厳然と乗り越え、勝ち進んでいく、人生の最大にして究極の大道である。仏になる道は、「この道」しかない。そこに、永遠の勝利者となり、永遠の幸福者となって、不滅の生命を晴れ晴れと飾りゆく流転があるのだ。
  白ゆりの
    不思議な香りは
      天までも
    昇りて諸天も
      我らを護らむ
 世界一の「白ゆり長」、万歳! 世界一の「副白ゆり長」、万歳!
 いついつまでも、御健康で、御多幸であれ!

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