Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「女性の世紀」のヒロイン  

2004.7.31 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  創価の栄光の凱旋門は開かれた
 「私は世界に二つの宝をもっていた。私の友と私の魂と」(『ジャン・クリストフ』4、豊島与志雄訳、岩波文庫)
 これは、口マン・口ランの有名な小説の一節である。
 また、アメリカ女性として初のノーベル文学賞を受賞したパール・バックは、″女性が直面している大事な問題は何か?″と問いかけた。
 その答えは、もはや″私は一体何がしたいのか″″どうやって人生を送っていったらいいのか″ではない。彼女は、後に続きゆく女性たちに、明快に断言した。
 「答えは簡単――『やらなければならない』です」(『娘たちに愛をこめて』木村治美訳、三笠書房、引用・参照)と。
 確かに、まことに大事なアドバイスであると、私は思う。
 実行である! 行動である! 自分が決めゆく使命の道をば、人生の最終章まで、悔いなく断固と貫きながら、生き抜き、戦い抜いていくことだ。そして自分自身が、勝利の満足をすることだ。「あの人のように」ではなく、「私らしく」生きていくのだ。
 これこそ、わが創価の女性たちの誇りも高き決心であった。平和勢力の大勝利を決定づけた、最強の原動力でもあった。
 偉大なる婦人部よ! 聡明なる、若き女子部たちよ! 日本列島をば、所狭しと走りまくり、語りまくり、永遠に歴史に輝きゆく、勝利の確実なる金字塔を築いてくださった貴女たちよ!
 私たちは、感謝の気持ちでいっぱいだ。清純な乙女らの正義に戦いゆく姿に、涙があふれる。
 こんな尊い大偉業を成し遂げる、慈愛と確信に満ちた、大平和運動に戦いゆく女性は、日本はおろか、いずれの国にもいないだろう。今や二十一世紀の「勝利と希望の輝きわたる凱旋門」は、晴れ晴れと開かれた!
 祈り抜き、戦い抜き、この悪世の社会を浄化させゆく、正々堂々たる菩薩の使命の皆様に、私たちは、心から感謝と尊敬を捧げたい。
2  「創価世界女性会館に入る女性の方々は、皆、お綺麗です!」
 心から、このように言ってくださった方がいる。ウクライナのコステンコ大使ご夫妻が、私に直接、語ってくださった言葉である。
 ご夫妻のお住まいは、信濃町の学会本部の、すぐ近くにある。本部に集う多くの学会員をいつも見つめて、深く感銘を受けているそうである。大使は、こう続けられた。
 「でも、私は、会館に入る時以上に、出てくる姿は、もっと美しいと思うんです。生命が躍動しています。幸福感に満ちた″輝く女性″を、たくさん見かけます」
 広宣流布に生きゆく創価の女性たちは、この世で最も崇高な輝きを放っている。
 大使の横で、著名な詩人のリュドミラ夫人も、微笑みながらおっしゃった。
 「池田先生は″素晴らしい王国″をつくられましたね。心美しい人、幸福な人が集う王国です!」
 深く、温かいご理解に、私は心から感謝した。
3  心美しき「創価の王国」の幸福の女王! そして幸福の王女たち!
 それは、まぎれもなく、最極の尊き「広宣流布」という偉業に生き抜く婦人部の、そして女子部の皆様方である。
 日蓮大聖人は、「心こそ大切に候へ」と、女性信徒の千日尼に御教示された。
 「心」という字には、「真ん中」という意味がある。中心の「心」だ。自分の心の真ん中に、揺るがぬものとして、根本として、何が置かれているのか。
 「信仰は、目に見えないものへの愛、あり得ないもの、ありそうもないものへの信頼である」(『箴言と省察』岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集』13所収、潮出版社)と、ゲーテは綴っている。
 正しき信仰という一点が「心」の中心にあれば、栄光と勝利の人生となりゆくことは絶対に間違いない。
 御書に「さいわいを万里の外よりあつむべし」と仰せの通りである。
 常々、わが恩師・戸田先生は、草創の健気な女子部の人たちに指導しておられた。
 「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ち抜くことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
 それは、昭和二十七年秋であった。先生は、「華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ」と、不滅の指針を掲げた女子部の人材グループ「華陽会」を結成なされたのである。
 幾百万、幾千万の母たち、女性たちが悲嘆と苦痛の涙を流した、それはそれは残酷な世界戦争の傷跡が、随所に残っている暗い時代であった。しかし、先生の慈眼には、女性が生き生きと輝く、平和と文化の新時代が、ありありと映っていたのである。
 激流の時代に翻弄されゆく、従属の人生を送るな! きらびやかな幻影を追って、右往左往するな! わが生命が、「妙法」という大宇宙を貫く根本の法則である。絶対的幸福の華は、自分自身の生命の中に咲きゆくのだ! さらに、貴女が現実社会で生き抜くその姿が、太陽なのである!
 その生き生きとした、幸福の勝利に光り輝く使命と誇りを、絶対に忘れてはならない。「広宣流布は女性の力で成し遂げられる」とは、大聖人の御心であり、そして戸田先生の確信であった。
4  七月は、フランスの「大革命」(一七八九年)が勃発した月であった。ことに七月十四日は、決起した民衆が、悪名高き「バスチーユ監獄」を陥落させた「革命記念日」として、永遠に記憶されている。
 ところで、大歴史家ミシュレが、この「バスチーユ転覆の栄光」を誰か一人に帰するならばと、おごそかに讃えた″英雄″がいる。それは、社会的には、全く無名の女性であった。「あの剛毅な女性」とミシュレが語ったその人、「ルグロ夫人」のことについては、かつてスピーチをさせていただいたこともある。(『フランス革命史』桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳、『世界の名著』37所収、中央公論社、参照)
 ともあれ、大革命の以前、「バスチーユ」と「専制」は、ほとんど同義語であった。民衆が憎む「権力の象徴」であり、その扉は開かないと皆があきらめている「不可能の壁」であった。
 この分厚い「あきらめの壁」を破ったのが、一人の偉大なる女性、ルグロ夫人であった。
 彼女は、偶然、あるバスチーユの囚人が無実であると知り、心の底から「助けたい!」と思った。いな、直ちに釈放を求め、行動したのである。壁はあまりにも厚かった。関係各所の態度は冷たく、一婦人の声など、全く耳を傾けてくれなかった。
 しかし彼女は、汗を流し疲れ切っても、それでも自らの運動の精神を失わなかった。
 やがて二年、三年と経つうちに、両親は死に、仕事もなくした。周りからは″愚か者″の如く非難され、多くの事実無根の中傷も流された。
 しかし、彼女は、あきらめなかった。はね返されても、はね返されても、あの人に当たればどうか、この人ならどうかと、あらゆる伝を探し、知恵を絞って、一心不乱に走り回った。ひとたび、女性が本気になったら、誰もかなわない。そして彼女は、ついに世論を動かし、国王をも動かし、バスチーユの重い扉を開かせ、無実の囚人を解放したのだ! あの世界的、歴史的な瞬間である。「大革命」に先立つ五年前のことであった。
 ミシュレは、「憐憫の情」つまり、「同苦の心」に発露した、ルグロ夫人の英雄的行為をこう讃えた。
 「事を企てる果敢さ、忍耐力、不断の犠牲的なねばり、脅迫を無視する勇気、暴君の中傷を排撃しうる賢明さ、あらゆる神聖な智略」(『革命の女たち』三宅徳嘉・山上正太郎・高橋安光他訳、河出書房)……
 それらはみな、世界平和を願望して戦う創価の女性たちが持っている、偉大な胸中の宝と同じであるといってよい。月々日々、いな、時々刻々の激戦のなかで、皆様の信心の智慧と行動によって、歴史的にかつてなき、光り輝く民衆の大勝利の第一弾は、晴れ晴れしく成し遂げられていったのだ!
 広宣流布の使命は、「男女はきらふべからず」である。皆様こそ、あまりにも偉大にして崇高な、一番星と煌めくヒロインなのである。
5  光り輝く、絢爛たる「女性の新世紀」の旭日は、ついに昇った。断じて負けるな! 女性が主役となり、生き生きと幸福の円舞曲を舞いゆく、新しき女性史の扉は開かれたのだ。
 ミシュレは叫んだ。
 「私が生きた人と呼ぶのは、その人の行い、その人の仕事が世界を新しくする人、少くとも世界の動きを作り、自分の溌刺とした勢で世界を活気づけ、世紀の帆の孕む偉大な息吹を呼吸しながら世界と共に進む人のことで、その合言葉は『前へ!』なのだ」(前掲『革命の女たち』)
 その通りだ。全く、そうであらねばならない。
 私たちには、世界を新しくする力が、世界を活気づける希望の力がある! ゆえに、前へ! また断固として、前へ進むのだ! 今再び、眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
 その人が、最高の勝利の人間なのである。尊き女性なのである。
 誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが! 

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