Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間の勝利王・壮年部  

2004.6.21 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  わが偉大なる父よ! 私の「自慢の父」を詩う
 私には、滅びる義務はない。不幸になる義務もない。
 「幸福」になりゆく権利がある。「正義」が勝ちゆく権利がある。
 私は、偉ぶり屋が大嫌いだ。そんな人が、いくら有名になっても、彼自身、まったく人生の満足などはない。
 私は、「人間」を建設しゆく人が、好きだ。
 寒い夜も、涼やかな夜も、暑い夜も、我らの座談会を終えて、満天の星と語る時の神々しさよ!
 私は今日も勝ったのだ。人生の真髄を感じ取ったのだ。
2  現実社会の無数の悪行に、そして運命に翻弄されゆく貪欲な人を見るにつけ、私は究極の人生の「勝利の塔」に立っていることを確信する。
 無名と言われようが、中傷批判があろうが、いかなる陰謀や策略があろうが、充満する祈りをもって、悠然と、大勝利者として立っている。
 あの有頂天の連中! 欲深き、暗い人びと! そして、常に常に嫉妬に狂い、人を陥れていこうとする、恐ろしき魔物たちの姿よ!
 ロシアの文豪トルストイは叫んだ。
 「偽りの信仰が生み出した、また理に生み出しつつある害毒は、それこそ測り知れないほど大きなものである」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
 彼らが正義の民をいかに痛めつけようとも、わが生命の不滅性を発見した私は、自身の生命それ自体が、最高の喜びに満ちている。そこには、いつも若々しい魂が光っている。新しき魂が、偉大な力を充実させながら、未来を圧倒しゆくのだ。
3  この世は、この世界は、「生老病死」という絶対の法則に苦しむ人生である。
 いかなる名誉も、いかなる財宝も、やがて色褪せ、その得意気な表情は、輝きを取り戻すことができずに、消滅していくにちがいない。闇の中を! 暗黒の塵芥の中を!
 おお、我らには、祈りという豪華な生命の一瞬がある。
 私には、未来に向かって、大きな希望の広がりがある。勝利の広がりがある。
 私は恐れない! 最も厳粛に生き抜く私は、何ものをも恐れない!
 私には、妙法の信仰という最高の営みがある。そこには、新鮮な勝利の風を感じる。勝利と幸福の旗が、誇らかに翻っている。
 私は、今日も負けない! 皆のために、今日も「健康博士」で生き抜くのだ。
 人生は喜ぶことだ! 悲しむことではない。
 苦悩のために、人生を生きるのではない。大きな目的のために、悠然と喜びに包まれながら、生きていくのだ!
4  少年のころ、仰ぎ見た父を、今でも私は思い起こす。
 わが家は、父の弟の家と隣り合い、家の前には桜の木や畑が広がっていた。
 その向こうに、大きく深い池があった。鯉など魚がたくさん泳いでいて、夕方には鳥も飛び交い、風情があった。
 ある日、幼い私は「トンボとり」をして遊んでいて、その池に落ちてしまった。池から我が家まで、七、八十メートル離れていたと記憶するが、一緒にいた友だちがすぐに走っていって、わが家に急を伝えてくれた。すると、父が真っ青になって飛んできた。そして、もがき苦しむ私を太い腕で抱き上げ、助けてくれた。まるで起重機のように力強く、一気に持ち上げられたのである。私は、夢中で父にしがみついた。あの父のぬくもり、あの感覚、あの力、あの光景――七十年近く前のことであるが、私は決して忘れない。
 それからまた、小学校五年生の秋であったと思う。猛烈な台風が、わが家を襲ったことがある。夜中に、屋根の瓦やトタン板がどんどん飛ばされてきて、家の窓ガラスが何枚も割れてしまった。ガラスの破片が部屋中に飛び散り、突風が一気に吹き込んで、吊ってあった蚊帳も吹き飛ばされた。真っ暗な家の中で、幼い兄弟も皆、狼狽した。兄たちは兵隊にとられて、家にはいなかった。
 その時、父が厳として、「心配するな! 怖くない!」と、大きな声で叫んだのである。
 「お父さんがいるから、心配するな! みんな、寝ていなさい」と。
 いざという時の父の声! 父の態度! 私は感服した。
 あの父の音声が、今でも聞こえてくる。
 どこの家の父が偉くて、どこの家の父が偉くない――そんな方程式はない。
 社会的には、どういう立場であれ、たとえ偉くなくとも、父は父である。父それ自体が偉大なのである。
5  皆を嘆き悲しませていくことは悪だ。皆を安心させ、皆を平和と幸福へと導いていくことが善であり、大人の人生だ。
 君よ、あきらめて、絶壁の彼方に突進するな! そんな愚かな、侘びしい人生を生きるな! 自分自身に打ち勝て!
 父であるならば、父としての責務と、皆を守り包容していく偉大な心であれ!
 妻にも、子どもにも、幸福と安穏を贈り、人生の深き道を無言のうちに教えていくのが、偉大な父としての使命であり、宝となる。
 病気であるならば、病気のまま、家の人を大笑いさせてあげるのだ。
 貧しくて財宝がなければ、大道芸人のように、奥さんも子どもも大笑いし、笑い転げるような朗らかな行動をとってあげるべきだ。
 「わが家には財産はない。広宣流布のために全部使った」と、ウソも方便である。
 財産はない。けれども、精神的財産が不滅の財産だ。
 「財産がなければ、兄弟ゲンカは絶対なくなる。むしろ、それが慈悲である」と言った哲人がいる。
 「遺産分けするものはない! それも慈悲である」と言った母がいる。
 古来、偉人は貧しき家から出た。
6  ある英才の子どもが語っていた。
 「母の日には、皆が喜んで真心のプレゼントをする。しかし、父の日は、皆、そっぽを向いている。世界中で『父の日は何のためにあるのか』と議論されている」と。
 朝寝坊の父、早起きの父、怒鳴り続ける父、優しい父、勤行をさぼる父、折伏をし抜く父! しかし、父は父である。
 「父の日」に寄せて、私は共に戦っている父に、心からの感謝を贈りたいのだ。
 娘が言った。
 「お父さん! あまりテレビを見過ぎると、目が痛くなるわよ。もっと目を大切にしてね」
 母に注意された場合には、つっけんどんな返事だが、娘には素直な父。それでも音量をさげて、再びテレビを見続ける父。
 ある時は、母にたっぷりと叱られる。その時の父の哀れな姿よ。この父が、大会社の社長か。大きい組織の指導者か。大学の先生か。あの有名な政治家か。外交官か。
 わが家は、娘が大博士になり、父はその助手のように、娘に頭が上がらない。一家には、社会の位などまったくないのだ。本当の幸福は、心と心のつながりである。
7  父は会社で上司から叱られたのであろうか、帰宅しても大変、不機嫌なことがある。そんな時に限って、母の応対が下手で、戦争とまではいかないが、口の機関銃が火を噴き始める。威張りくさって、たまに家族に当たり散らす父も、最後は必ず負ける。
 母に「悪かったね。絶対にしないから、勘弁してくれよ」と土下座して、娘にも優しい声で「お母さんを大事にしようね」と涙ぐんでいる。
 「壊すのは簡単だ。しかし、作るのは難しい」との、ロシア・サハ共和国のことわざを、自問自答している父の学識の豊かさよ!
 娘は叫ぶ。
 「夫婦ゲンカは何も面白くないでしょ! だったら、そんなバカげたケンカはやめなさいよ!」
 そして、「お母さんを大切にして、どこよりも笑顔で、幸福な家庭でいきましようよ!」と叱られる。
 父は「そうだよ、そうだよ。みんな、お父さんが悪いんだよ」と、毎回、同じようなセリフを言うのだ。
 「もうちょっと違ったセリフを考えたらどう?」と、娘は言っていた。
 自分の悪と戦えば、つまらぬケンカは絶対にないのだ。父は勝ったつもりで勝っていない。最後は母に負け、娘に負け、子どもたちに負ける。しかし、社会に出て、必ず勝ち誇っていく父であった。
8  かわいい娘が嫁に行くことになり、強い軍隊で金鵄勲章をもらったような父が、泣いて泣いて、涙がなくなるまで泣いていた。
 「悲しいのか嬉しいのか、どうしたんだろう」と、母と娘はひそひそと話していた。
 娘の結婚式が近づくと、それはそれは元気がなくなり、野垂れ死にでもしそうな父。
 哀れな悲しげな父の姿を見ながら、でも、母と娘は「正しい信仰があるから大丈夫ね!」と語り合っていた。
 「父といっても、いろんな父がいるね。さまざまな父がいるね」と語る娘は、父に尋ねる。
 「お父さま、どうすれば、一番幸福な家庭ができると思うの?」
 「それは、御聖訓に『心こそ大切なれ』とあるよ! その心が正しいか、正しくないか、善であるか、悪であるかで、決まるよ」
 「お父さん、そこまで知っているのだったら、お父さんも、心を見つめて考えてみたらどう?」
 娘の質問は、国会の野党の議員の追及よりも強い。
 ともあれ、親子で殺し合う、など、まったく愚かな心の世界を、絶対につくってはならない。一家の幸福、自身の幸福、すべての幸福の源泉が「心」である。無限の幸福のために、「心」があるのだ。
9  ある日、ある時、父と母、息子と娘で、世界の知性の言葉を引きながら、語り合っていた。あのベートーベンがノートに書き留めた、古代ギリシャの大詩人ホメロスの箴言がある。
 「運命は耐え忍ぶ勇気を人間にあたえる」(小松雄一郎訳編『音楽ノート』岩波文庫)
 これが、父のモットーだ。
 また、スイスの思想家ヒルティは記した。
 「悪人と交際するのは、精神的に絶対に有害」(『幸福論』1、氷上英廣訳、『ヒルティ著作集』1所収、白水社)と。
 そこで、母は言う。
 「あの悪人たちとは付き合ってはいけない。悪い場所に行ってはいけない」
 娘が引いたのは――
 「学ぶ楽しさこそ、わたしの幸福の大部分を占めていた」というフランスの思想家ルソーの言葉だ。
 「だから、お父さん! 二人で御書を拝読しようよ! 学会指導を学ぼうよ」
 古代ギリシャの大哲学者プラトンは綴っている。
 「死の定めは何びとも免れることはできないだろう」(『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)
 息子は言った。
 「いつかは人間は死ぬ。いい思い出の人生を作っていくことが大事じゃないですか」
 「そうだ! そうだ!」と家族みんなが賛同した。
 ゆえに、我らは戦うのだ!
 「人間は行動するため生まれて来た」「何もすることがないということは、人間にとって生きていないのと同義である」(加太宏邦「ヴォルテールとパスカル」、田辺保編『パスカル著作集』別巻1所収、教文社)
 これは、フランスの哲学者ボルテールの信念である。
 娘は、大好きな魯迅の一節を紹介した。
 「人間であることの面白みは、多くの友人と楽しく語り合ったり、熱心に議論したりすることにあります」(「知識階級について」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)
 すると、息子は語り出した。
 「ああ、そうだ。先日、友人が、マハトマ・ガンジーの言葉を贈ってくれたよ」
 それは――
 「わたしが人類全体と結ばれていなければ、宗教生活を送ることはできないでしようし、また政治に参加しなければ、人類と結ばれることはできないでしょう」「社会的・経済的・政治的または純粋に宗教的な行動を、それぞれ完全に区分することはできません」(『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)と。
 父が最後に紹介したのは、フランスの英雄ドゴール大統領の宣言である。
 「打ち勝つ! ほかに途はありません」(『ド・ゴール大戦回顧録』3、村上光彦・山崎庸一郎訳、みすず書房)
 そして、父は言い切った。
 「母よ、子よ、私に続け! 幸福と勝利は、私たち家族のものだ!」
10  私の父は、まことに地味で、平凡な父であるが、代議士よりも、大臣よりも、大切で大切で、大好きだ。
 いな、人間として立派であり、大きいのだ。
 「あの家は財閥だよ」「あの人は有名人だよ」と、父が言えば、娘は叫んだ。
 「人間として、ウチのお父さんのほうが、ずっと偉い! そう私は思うわ」
 名声や肩書など、本当の幸福に関係ない。誰が偉いのか?
 一番苦労して、一番真剣に人生を生きた人が偉いのだ。一番真面目に誠実に、その我が道の人生を生き抜いた人が、一番偉いのだ!
 職業の種類でもない。
 財産の有る無しでもない。
 有名無名の感覚でもない。
 顔形でもない。
 社会的地位でもない。
 著名な政治家や、有名人でも、見苦しい心の人がいる。
 皆から尊敬されていかねばならない政治家が、どれほど、人民を裏切り、怪物のごとき行動をとったことか!
 大先哲は叫ばれた。
 「ば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべ
 「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し
 いかなる最高の仏法を持っているか。
 いかなる最高の哲学を持っているか。
 いかなる最高の思想を持っているか。
 それが、人間の究極の偉さを決定するのだ。
 法を持っていないということは、人間として空虚な魂であり、深い使命を持っていない証左だ。この根本の法則を知らないから、人びとは表面のみを求め、真実の平和と、真実の幸福の世界はできないのだ。
 「制度」だけでは、人間社会の矛盾は永遠に打開できない。「心」の次元が大切だ。だからこそ、「平等大慧」そして「立正安国」の大仏法が絶対に必要なのである。偉大な法のために、幾多の迫害を受けることが最高に名誉なことであり、その人が偉いのだ。
11  今、昼間、在宅されている壮年部の「太陽会」「敢闘会」の活躍が目覚ましい。その勢いに触れ、人生意気に感じて立ち上がった、七十二歳の友の話を伺った。
 会合に誘われた彼は、念珠を持っていこうと、久方ぶりに仏壇の引き出しを開けた。すると、下の方に茶褐色に変色した一枚の紙があった。十年近く前に先立った、懐かしい妻の字である。
 それは、「お父さんの喘息が早く治るように」と、心を込めて書かれた御祈念の用紙であった。
 「これほどまでに、祈っていてくれたのか……。今日から、女房の分まで頑張るよ!」
 その新しい希望の出発を、皆で喜び合った。
 「壮年部」の勝利はまた、「婦人部」の勝利でもある。
12  わが父は、師子となった。
 さらに、師子王となった。
 誰にも負けない、正義の勇敢なる瞳が光った。
 いかなる群れをなす邪悪に対しても、厳然と宝刀を抜いて切りまくり、勝ちまくりゆく、「正義の闘士の父」となった。
 正義を乱す邪悪に対して、その猛然たる気迫は、師子王そのものであった。
 そして、わが父は「千万人といえども我ゆかん!」との毅然たる「信念の父」となった。
 父は、強かった!
 父は、勝ったのだ!

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