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日蓮大聖人・池田大作

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北海道に輝け 三色旗  

2004.3.25 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  広布へ! 50年の大闘争
 この冬、北海道の日本海沿岸では、「半世紀ぶり」といわれるニシンの豊漁に沸き返ったそうだ。厚田村でも、前年の同じ時期に比べて三十倍の大漁であった。浜辺では、女性たちが刺し網にかかったニシンを忙しく外す光景が見られたと、喜びに弾む声を伺った。
 厚田は、わが師・戸田先生の郷土である。
 私も、かつて自作の詩で「鰊の波は日本海……」(「厚田村」。本全集第39巻収録)と詠った、あの壮観なる大漁絵巻が蘇り、ことのほか嬉しかった。
 私が、憧れの北海道を初訪問したのは、半世紀前の一九五四年(昭和二十九年)八月である。戸田先生にお供しての旅であった。
 そして多忙の日程のなか、師の故郷に足を運んだのであった。
 「私のふるさとを、大作に見せておきたいんだ」
 先生の育った家も、一緒に拝見させていただいた。
 今、その家は、村の公園に移設・復元されている。
 師弟二人して厚田の海岸に立った時、先生は、海の彼方を見つめながら言われた。
 「この海の向こうには大陸が広がっている。
 大作、お前は世界の広布の大道を必ず開いてゆけ! 頼む。断じて開け!」
 それは、恩師の広宣流布の遺言である。その遺言は、今なお私の胸中に響き渡っている。
 私は、先生と、苦しんで戦うことが、好きであった。
 先生と、あらゆる非難を浴びながら戦うことが、幸福であった。
 そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが、本望であった。
 私には、何の悔いもない。
2  北海道の厳寒は、東京育ちの私たちにはわからない。
 あまりにも厳しき風雪の大地を走りゆく北海道の方々の苦労は私たちにはわからない。
 ゆえに尊敬すべきだ。
 「尊敬が友情の大切な要素である」(「友情」入江勇紀夫訳、『エマソン選集』2所収、日本教文社)とは、有名なアメリカの大思想家エマソンの言葉である。
 北海道の友の、生き生きとした、未来に雄々しく向かいゆく、光る眼差しは美しい。
 はつらつと走り抜き、悠然と語り抜き、真剣に誓い合い、そして朗らかに笑い合う、あの北海道の青年部同志よ!
 北海道の二百十二の市町村を舞台にした、本年の「青年主張大会」も、いずこの地域でも大成功で行われている。大会は今月末まで続くが、スタートしたのは、最も寒いころのことであった。
 二月一日、全北海道のトップを切った主張大会は、旭川のさらに北の上川郡の剣淵町であった。″絵本の里″としても知られる、この町から開始された。
 この大会に向かって、地元の士別圏の方々は、青年も、壮年も婦人も一丸となって、町中を勇敢に回り、そして楽しく賑やかに走った。
 「士別圏の広宣流布をするのだ!」「わが地域の歴史をつくるのだ!」との熱き決意に、吐く息も凍ることなく、その魂は勇気で燃えていた。
 「創価学会の青年主張大会を行います!」
 「この地を愛し、この地の発展のために戦いゆく、私たちの真実の愛郷の心を知ってください!」
 当日の会場は、大勢の友人や来賓の方々で座りきれないほどであった。皆、納得し、喜んでくださった。
 かつては、この地も、邪見な宗門一派による卑劣な中傷が渦巻いていたのである。しかし、わが同志は勝った。
 ある一人の青年から手紙が舞い来たった。
 そこには、ナポレオンに攻められてもドイツがなぜ滅びず、打ち勝つことができたかを洞察した、魯迅の言葉が記されてあった。
 「ナポレオンを破った者は、国家でもなく、皇帝でもなく、武力でもなく、国民なのである。国民が心にみな詩をもち、国民がみな詩人であったればこそ、ドイツはついに亡びることがなかったのである」(『墳』北岡正子訳、『魯迅全集』1所収、学習研究社)
 「心に詩をもつ」とは、正義の「言論の魂」が燃え盛っていることだ。「真の詩人」とは、何ものをも恐れぬ「精神の闘士」の異名である。
 ともあれ、北海道の中心である百万都市の札幌でも、小樽でも、最北端の稚内でも、旭川でも、道東の釧路や北見、十勝地方の帯広でも、道南の室蘭や苫小牧、函館でも、未来に生き抜く若き青年たちは、厳然と訴え抜いて走った。
 「立正安国」の行動だ。
 「声仏事を為す」叫びだ。
 主張も見事だった。体験も素晴らしかった。
 男子部も、女子部も、学生部も、郷土の未来を担う使命感が輝いていた。
 婦人部、壮年部の応援も、温かかった。
 以前、函館の主張大会に出席した有力者は、「このような元気な青年が、わが町にいることはすごいことです」と讃えてくださった。
 学会の青年がいれば、わが地域は安心だ。いな、日本の将来も心配ない――と、多くの来賓の方々から賞讃を受けたことも、嬉しかった。
3  わが学会の正義の大発展の姿を羨み、妬みのため、負け惜しみのために、我々を陥れんとする謀略のデマ報道などが多々あった。
 本来、マスコミは、人びとの人権を守り、社会の発展に尽くすものだ。「真実」と「正義」こそ、その基準でなければならない。
 言論は、確かに「自由」である。しかし、それは、根も葉もない嘘八百を書き並べ、「罪なき市民をいじめる自由」では、絶対にない。「人を陥れる嘘をつく自由」でも、「言葉の暴力で人を傷つける自由」でも、断じてない。
 有害物質が体を毒するように、邪悪な言論は心を蝕むだけだ。放置すれば、人心は動揺し、民主主義の根本の土台も崩れていくのだ。
 卑劣なデマは許さない!
 これが、正義の言論の旋風を巻き起こしてきた、北海道の青年たちの決心であった。
 文豪ロマン・ロランの傑作『ジャン・クリストフ』の忘れ得ぬ場面がある。俗悪な言論がまかり通る社会で、「しかたがない」と諦めている臆病な人びとを憤り、主人公クリストフは叫ぶ。
 「悪者どもがのさばって、嘘をつき奪い盗み人殺しをしている。しかしその他の者を――彼らを蔑視しながら勝手なことをさせてる人たちを、僕ははるかに多く軽蔑する」(『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳、岩波文庫)
 そして、自分は座して動かず、不平ばかり言っている人間に、″自ら活動せよ″と訴える。「他人から代わって活動してもらってはいけません。活動なさい、活動なさい、団結なさい、さあ!」(同前)
 まったく、その通りだ。
 だからこそ、君たち青年が一人立ちて、真実を勇敢に叫ぶのだ。そして、青年と青年との真実と勇気の連帯をつくりゆくのだ!
 下劣な言論の暴力で、罪なき人びとを苦しめ、正義の人に汚名を着せる、この腐った社会を革命するのだ!
 ――何事も、実行が大事だ。実行! 実行!
 魯迅先生の信念が、私の胸に響いてくる。
4  有名な経文(涅槃経)には、
 「若し善比丘あって
 法を壊る者を見て置いて
 呵責し駈遣し挙処せずんば
 当に知るべし是の人は
 仏法の中の怨なり」(大正十二巻三八一ページ)と。
 悪を見ながら、臆病者になって、破折も反撃もせず、他人事のように傍観するのは、最も狡賢い愚者であり、卑怯者だ。邪悪と戦い、それを滅ぼしゆくのが、正義である。
 ″弱さに甘んじ、消極性を守っていたのでは、とうてい、この世界に生存を争い、勝つことはできない″とは、魯迅の深き洞察であった。
 日本中の人びとの憧れの北海道!
 その北海道の小樽での大法論は、あまりにも有名である。
 正義の言論で、正義の学会は勝った。正義の我らは勝った。それは、皆様方がよくご存じの通りだ。
 一九五七年(昭和三十二年)に起こった、歴史的な「夕張炭労事件」も、決して忘れることはできない。
 ″泣く子も黙る″といわれた炭労は、大発展する学会に敵意を燃やし、組合員である学会員を弾圧し始めた。それどころか、学会との「対決」まで公言したのだ。
 信心ゆえに、夕張の同志は組合から排斥され、組合員のための生活上の保障も、邪険に拒否された。学会員の一家は常に除け者にされ、いじめられたのである。あまりに陰湿、卑劣な迫害であった。
 これでは、悪辣な権力と同じではないか!
 炭労のやり方は「信教の自由」を侵害する暴挙だと、反撃の抗議行動を起こしたのは、わが正義の北海道の青年部であった。
 そしてまた、私も北海道に飛んだ。わが愛する学会員を守るために走った。
 「内なる光は暗黒を破り、心の声は虚偽を断つ」(『破悪声論』伊藤虎丸訳、前掲『魯迅全集』10所収)と、魯迅は叫んでいる。
 私も、「邪悪を破れ」との師の一言を胸に、戦い挑んだ。
 北海道には、師弟一体で、三類の強敵と戦い勝ってきた不滅の金字塔が、いついつまでも光っている!
5  懐かしき五十年前(一九五四年)、厚田村から札幌へ、戸田先生と私は、車中、語りながら帰ってきた。
 楽しい楽しい思い出である。深い深い思い出であった。
 嬉しい嬉しい思い出である。そして、悲しい悲しい思い出となった。
 先生は言われた。
 「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」
 「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
 私は、遺言と受け止めた。
 以来、五十年。今や大北海道に、史上最強の誇り高き青年の陣列ができあがった。
 見よ! 広大な北海道の、あの町で、この町で、正義と勇気と栄光の″三色旗″は、勝利、勝利と翻っている。
 「広宣流布は北海道から!」――私は北海道の英雄の皆様を讃えながら、そしてまた、この永遠の指針を託したいのである。

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