Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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わが常勝の関西城  

2004.2.29 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  見よ! 無敵の庶民の底力を
 わが大関西には、広宣流布の不滅の宝冠がある。
 それは、絶対の正義の師弟の証である「常勝」の魂だ!
 インド独立の父ガンジーは叫んだ。
 「自分が模範を示さなければ、仲間はついてこない」(鑞山芳郎「ガンジーとネルー」、『世界の名著』63所収、中央公論社)
 一人ひとりが、この通りの関西健児である。
 関西にそびえ立つ、常勝の師弟の城は不滅である。
 その常勝関西の精神をとどめる大殿堂が、いよいよ三月に起工式を迎える。
 学会創立七十五周年を祝賀して、庶民の都である大阪に、威風も堂々と完成する予定だと伺った。(=関西池田記念会館は二〇〇六年十一月に開館)
 同志が「常勝万歳!」を叫ぶ笑顔が目に浮かぶようだ。本当に嬉しい。本当に頼もしい。
2  わが常勝関西の淵源は、いうまでもなく、一九五六年(昭和三十一年)の大阪の戦いであった。
 この年の一月、本格的に法戦の指揮をとり始めた私に、与えられた時間は、わずか半年ほどであった。
 決められた決勝点に向かって、広宣流布の人間の難攻不落の大城を、断じて築き上げてみせる! これが、私の深き深き決意であった。
 あの歴史に残るであろう大法戦に参加した関西の同志は、約半数が入会半年にも満たない方々であった。
 この若い力、新しい力が燃え上がり、祈り、動き、無限の自らの力を連帯し合っていったからこそ、「″まさか″が実現」と日本中をあっと言わせた、あの大勝利があったのだ。
 著名な孫文の言葉を、私は胸に秘めていた。
 「熱と力とを以って同志を鼓吹し、一日千里の勢を以って団体を拡張増進されんことを望む」(外務省調査部編『孫文全集』下、原書房)
 そのための急所は何か。人間革命と広宣流布という大使命に燃え立つ、若き、新しい人材群の育成という一点であった。
 しかし、それには、手っ取り早い近道などありえない。遠回りに見えようが、地道な一対一の「対話」しかない。一回一回に魂を注いだ「個人指導」しかなかった。
 ある日、大阪で行った質問会の時である。元気なく手を挙げた幹部がいた。
 「″一念に億劫の辛労を尽くす″という御聖訓が、よう分からへんのです……」
 御義口伝の、甚深の一節についての質問である。
 私は力強く語った。「人間は幸福になるために勝たねばならない。断じて正義は勝たねばならない。勝ってこそ幸福であり、正義なのだ。
 大聖人が″仏法は勝負を先とす″と仰せの通りだ。ゆえに、御聖訓のままに、広宣流布の戦いに勝つ。人間革命の戦いに勝つ。社会を変革しながら勝つ。わが胸中の一念に、その無数の辛労を尽くしてこそ、人間の勝利王となり、仏の境涯を会得できるのだ。
 つまり、仏と同じような境涯となり、永遠の生命に連なる、わが勝利の胸中の生命を感得することができるのだ」
 人材の育成も、この辛労を尽くした、真剣な心なくしては、決してできるものではない。
 しかし、焦るな。だが、絶対に時を逃すな。出会いの一瞬一瞬が勝負だ。
 自分がどれだけ誠実に友に会い、友を知り、友と語り、友を励まし続けたか。どれだけの友に、発心と成長の種を植えたのか。ここに、すべての勝敗は、かかっているからだ。
3  仏法の眼で見れば、「皆、仏」である。
 まず自分自身が広宣流布の勝利のために立ち上がり、「新しき広布の英雄よ、集まり給え!」と祈りに祈る時、使命の人材が涌出しないはずは絶対にないのである。
 その人材を見つけるのだ。
 その人材を育てるのだ。
 人材育成の要諦は、第一に「会う」ことだ。会って、その人を知ることだ。知って、その人を励まし、成長を願い、祈ることだ。
 苦楽を共にして戦ってくれる同志である。どれほど大事な方々か。ゆえに、私にとっての決戦場である関西を訪れるたびに、一度会ったら忘れまいと、真剣に同志の皆様とお会いしていった。
 いつも、私の心に思い浮かんでくるのは、わが敬愛する関西の同志だ。私の願いは、皆様方が成長と幸福を勝ち得ることであり、強靱な生命力をもって、勝利また勝利の大道を歩んでいただくことであった。
 日本中、いずこの地方にいても、″断じて勝たせ給え″と、あの人に、この人に励ましの手紙や葉書を送った。ある友には、ガンジーの″臆病者に希望なし″との信念を託して、「勇気を出すのだ!」と書き送った。わが同志を思い、心休まる時がないくらい、深く一念に納めて祈るのだ。それが広布の指導者の修行である。
 第二に、友と一緒に動き、一緒に戦うことだ。口先だけの指導は通用しない。我らは共戦の正義の同志なのだ。
 インドの詩聖タゴールは、雄々しく訴えた。
 「断固として正義の側に立てば、不正をうちまかすことができる」(『ゴーラ』我妻和男訳、『タゴール著作集』3所収、第三文明社)
 「広宣流布の戦い」は公転であり、自身の「人間革命の戦い」は自転である。「自分が広布の主体者だ」という自覚を持たせてあげなければ、信心の無作の喜びを教えたことにはならない。
 私は、関西に戦場を置いた四六時中、プライベートな時間など全くなかった。朝から晩まで一心不乱に戦う、私のありのままの姿を、関西の友が常に見ていた。
 峻厳な師弟の世界も、戦う厳しさ楽しさも、全部そこから学び取ってくれたのだ。
 ともあれ、大関西の戦いは、人材育成の戦いであり、確実に正義の陣営を増強していった戦いであった。
 人をつくれ! 徹して人をつくれ! 今も、その原理は全く同じである。
4  もう一面からいえば、大阪の戦いは、「最も逆風に立ち向かった戦い」であった。
 未曾有の弘教に挑戦していた五月、突如として一般紙が創価学会を「暴力宗教」等々と、大々的に報じ始めたのである。
 私の胸は勇み立った。
 ――「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」と、日蓮大聖人の仰せ通りではないか! 我々の信心が正しいことの証明ではないか!
 「賢者はよろこび愚者は退く」だ。
 反撃だ! 正義は沈黙してはならない。デマや捏造記事で無実の人間を傷つけ、正義を踏みにじる言論の暴力は、今も横行している。
 正義の人タゴールは怒りをもって叫んだ。
 「嘘をつくことは罪です。偽りの非難はさらに大きな罪です」(前掲『ゴーラ』)
 その通りだ。
 そして、「これほどの不正に黙って耐えることが、不正」(「四つの章」我妻和男訳、同著作集5所収)なのである。
 あの一九五六年(昭和三十一年)、関西の広布の英雄たちは、すべての逆風を「追い風」に変えた。狡猾な臆病者など、一人もいなかった。
 友人であれ、近所の人であれ、遠くの親戚であれ、また学友であれ、悪口を言う人には、どんどん正義を語っていったのである。
 学会を批判するということは、むしろ学会に興味を抱いている証拠だと、少しも恐れなかった。
 なかでも、婦人部、女子部の勢いはすごかった。
 あのタゴールが、「女性は男性よりもいっそうたくましい生命力を自らのうちに宿している」(「女性について」山口三夫訳、同著作集9所収)と言った通りである。
 「暴力宗教」というマスコミの中傷を鵜呑みにする人がいれば、ニコッと笑った。
 「そうでっか。そないに有名な学会の座談会や、あんたも来てみまへんか?」
 この切り返し見事さ! 逞しく、賢明な、庶民の知恵には誰も敵わないのだ。
 そしてい最も批判の暴風が強まった、この意義深き五月に、一支部で、なんと一万一千百十一世帯の折伏という「永遠不滅の金字塔」を打ち立てたのである。
 この折伏の数は、過去にも、その後にも、一支部で成し遂げたところはない。成し遂げた人もいない。
5  かつて戸田先生は、関西の幹部たちに指導された。
 「青年には、意気がある。青年を育成しなければ関西の発展はない!」
 今、関西の賢明なる青年たちは、「昭和三十一年の大阪の戦い」を凌駕する、「二十一世紀の大阪の戦い」を勝ち抜くのだと、意気軒昂である。
 昨年(二〇〇三年)の六月、中国、北京大学「池田大作研究会」の賈蕙萱かけいけん会長が、夫君であられる、懐かしき周季華しゅうきか先生(中国社会科学院教授)と共に、わが関西を訪れてくださった。
 私どもの会館に展示されている、常勝の歴史を伝える品々も、丹念に観賞された。
 賈会長は熱く語っていた。
 「″池田青年″が、皆様と共に築き上げた関西は、一大牙城ですね」「いつも獅子王の気風・気概で勇往邁進して、『常勝』の美称を得て、常に全国をリードする存在です。大阪城のようにしっかりとそびえ立っています」
 まさに大関西は、「世界の関西」となった。
 中国の周恩来総理の確信は正しかったのだ。
 「正義の思想は人民によって具現される」(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集〈一九四九年〜一九七五年〉』中共中央ML著作編訳局訳、外交出版社)
 さらに魯迅も言った。
 「人民は大波のように、阻まれれば阻まれるほど、大きくひろがって行く」(『墳』松枝茂夫訳、『魯迅選集』5所収、岩波書店)
 今、我らは、前代未聞の崩れざる平和と、一人ひとりの幸福の楽土を築き上げるために戦っているのだ。
 これが、広宣流布の方程式なのである。
 偉大なる大関西の常勝の同志は、必ずや三世永遠に残る、この広宣流布という壮大な歴史に、輝くばかりの勝利の旗を翩翻(へんぽん)と翻していくにちがいない。
 大関西よ! 常勝関西よ!
 私と一体不二の正義の英雄たちよ!
 「我らは勝った」「我らは強い」「我らは偉大である」という底力を、断固として、威風も堂々と、日本中の友に、世界中の友に示してくれ給え!
 マハトマ、ガンジーは語った。
 「世界の変革を望むならば、まず自分自身が、変革そのものであれ!」
 そのガンジーの後継者ネルーは言った。
 「行動しないということは、完全な失敗の告白であり、悪に屈服することであった」(『インドの発見』上、辻直四郎。飯塚浩二・鑞山芳郎訳、岩波書店)
 さらに、こう叫んだ。
 ――どこに害悪を見つけても、必ずこれと闘え!

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