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日蓮大聖人・池田大作

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絶対勝利の信心  

2004.2.23 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  仏法は勝負 君よ断じて勝て
 偉大なる歴史家トインビー博士は、鋭く洞察した。
 「この世はたえて空にもならず、静かにもならぬ闘技場だ」(「詩――世を去るにあたって」篠田一士訳、アーノルド・トインビー、若宮敬『未来に生きる――トインビーとの対談』所収、毎日新聞社)
 人間にとって、この世界は「闘技場」である――これが数千年の文明史を研究し抜いた碩学の結論であった。その戦いの場はまた、人の内面にもある。
 「人間の魂はいずれも、善と悪とが支配権を争って絶えず戦っている、精神的戦場である」(トインビー『交友録』長谷川松治訳、社会思想社)と。
 その通りだ。仏法の生命観にも通じる卓見である。
 仏と魔は、人間の生命の中で間断なく争っている。目には見えないが、ここにも熾烈な「闘技場」がある。
 「人間の本性の善なる面が、悪なる面を克服する積極的な闘争を支持したい」(「世界に生きる日本と日本人 トインビー博士に聞く」、松岡紀雄編『日本の活路』所収、国際PHP研究所)と、博士は語っておられた。
 一個の人間が、己心の善悪の闘争に勝つか、負けるか。その勝負が、やがて国家や文明の命運をも左右する。この一点を深く知るべきだ。
 ゆえに、善は悪に勝たねばならない。勝てば人間は幸福であり、負ければ不幸だ。
 昨年十二月、学会の「永遠の指針」の一つとして、「絶対勝利の信心」を掲げた理由もここにある。
 私は、会員の皆様に、一人残らず幸せになっていただきたい。その心は、師匠・戸田先生と全く同じである。
 「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」――先生が最初の三指針を全同志に贈られたのは、悲願の七十五万世帯の達成に沸き返った、一九五七年(昭和三十二年)十二月の本部幹部会のことであった。
 当時、大半の学会員は信仰歴も浅く、これからが人生の本当の勝負だった。
 その長い前途を思い、先生は、「何のための信心」か、明確な指標をくださったのだ。
 今回、弟子の私は、これまでの三指針に、「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」の二項目を加えさせていただいた。
 「永遠の五指針」は、恩師と私の、師弟不二の″合作″となったのである。
2  最初の三指針が発表される三日前、私は師から頂戴した和歌をノートに記した。
 「勝ち負けは 人の生命いのちの常なれど 最後の勝をば 仏にぞ祈らむ」
 仏法は勝負である。ゆえに仏法の師弟も、厳しき勝負に生きねばならない。
 初代会長の牧口先生は、冷たい牢獄で亡くなられた。最高指導者の獄死は、組織にとって致命的な打撃となり、学会は壊滅状態に陥った。
 だが、牧口先生には、戸田先生がいた。師の仇を討つ、本物の弟子であった。
 ――正義の師を殺した邪悪な魔性を絶対に許さぬ!
 地涌の使命を自覚し、生きて牢獄を出た弟子は、反撃を開始し、七十五万世帯の創価の民衆城を築いたのだ。
 この一事によって、学会は勝った。牧口先生の獄死も、正義の殉教であったことが証明されたのである。
 もしも戸田先生がおられなかったら、今の学会はない。牧口先生の死で、学会も消え失せていたかもしれない。
 しかし一切の歴史は、マイナスからプラスヘ、劇的に変わった。創価の″第二代″の勝利は即、″初代″の仇討ちの勝利となったのだ!
 そして″第三代″の私も、青年らしく戦い、恩師に最後の勝利を捧げた。弟子としてこれ以上の誉れはない。
 七十五万世帯の成就は、いわば″三代″を凝結した勝利であった。これが礎となり、妙法は今や世界百八十七カ国・地域へ広がった。
 そして、私の時代に、崩れざる民衆の平和の大連帯が構築されたならば、その完勝劇こそ、創価の永遠の興隆を決定づけるのである。
3  「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり
 王法とは、社会を支配し、律する力である。王は、規範や法律に基づいて、賞讃したり、罰したりする。その賞罰の基準は、時代、社会によって変わるが、仏法は永遠不変の真理に基づいた絶対の法である。
 「御義口伝」には、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」とも仰せだ。
 日蓮仏法は、「成仏」という永遠の勝利を決定する因果倶時の妙法であり、正義の中の正義である。
 だが、その勝利も、最後は目に見える現証として打ち立てなければ、凡夫の眼にはわからない。勝ってこそ仏法の正しさも証明される。だから「仏法は勝負」であり、勝たねばならないのだ。
 王法の賞罰には順番や序列があっても、仏法の勝負は、勝つか負けるか、二つに一つである。中途半端はない。この闘争に勝った人が仏であり、「世雄」という、人間の世にあって最強の勇者となるのである。
 ゆえに″月々日々に強くまた強く″、自身の弱さや臆病と戦い、徹して邪悪を、また極悪を責め続けるのだ。
 逡巡も、甘えも、油断も、感傷も、一切を排して、完全勝利をめざす真剣勝負のなかでこそ、自己自身を磨き鍛えることができるのだ。
4  仏典には、次のような仏の別名が説かれている。
 「勝導師」――勝利に導くリーダーである。
 「十力降魔軍」――仏の十の力で魔軍を全滅する人である。
 悪との戦いには、そして、正義の広宣流布を阻む魔軍や仏敵との戦いには、断じて、中途半端はない。
 「もう、これぐらいでいいだろう」という弱さがあってはならない。その弱さが魔の付け入る隙になる。「まだ攻撃してくるのか」「いい加減にしてくれ」と、相手が身震いし、音を上げるまで責め続けることだ。
 民衆の敵と容赦なく戦った中国の文豪・魯迅には、仇をなす者も多かった。
 「私の敵はかなり多い」(「死」竹内好訳、『魯迅文集』6所収、筑摩書房)と自覚していた魯迅は、自らの死期を悟っても、過去を水に流すことはなかった。それどころか、こう毅然と言い放ったのである。
 「勝手に恨ませておけ。私のほうでも、一人として許してやらぬ」(同前)
 その言葉を聞いた敵たちは、肝をつぶした。
 ″魯迅の執念深さは死んでも直らないのか!″
 彼らは、身震いして魯迅を恐れたのである。
 ここまで敵に憎まれてこそ本物である。
5  「かならず勝とうと堅く決心した者が勝つのだ」(『トルストイ全集』5〈中村白葉訳〉所収、河出書房新社)とは、傑作『戦争と平和』の、私の忘れ得ぬ一節である。
 トルストイはこの言葉を、ナポレオン軍と激突したロシア軍の不屈の闘魂として、書きとどめている。
 ナポレオン軍が撃っても、撃っても、ロシア兵は一歩も引かず、厳然と立っていた。この時、ロシア軍が獲得したものは何か。
 大文豪いわく、「敵をしてわが精神力の優位と、自己の無力を確信せしめる、あの精神的勝利」(同前)と。
 精神力において優位に立てるか否か、ここに実力伯仲の戦いを制する要諦がある。その精神の力は、強靱なる団結から生まれる。各国の混成部隊のナポレオン軍より、全軍あげての「断じて勝つ」という気迫が、ロシア軍は、はるかに勝っていたのだ。
 御書に、「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」と仰せである。
 いかに悪が結託し、卑劣な攻撃を仕掛けようとも、正義の陣営が団結する限り、最後は絶対に勝てるのだ!
 そのために正義の団結を!
 異体を同心とする団結を!
 悪と戦い抜く団結を!
 これが、「異体同心なれば」と大聖人が御遺言の、「絶対勝利の信心」の極意なのである。

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