Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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オザル トルコ共和国大統領 「橋」を架ける人

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
3  この世には二種類の人間が
 共和国の建設の前、オスマン・トルコ帝国は「病める大国」と呼ばれ、列強が食い荒らそうと狙っていた。その意味で、東の大国・中国に似ていた。
 問題は、長い間に、人々が圧迫に慣れ、我慢することに慣れてしまっていたことであろう。
 トルコの父(初代大統領)は、その性根を叩き直そうとした。
 叫ぶのだ、立つのだ、われらの栄光を燦然と輝かせるのだ――。
 彼は誇らかに言った。
 「この世にあるのは、圧迫されるのに甘んずる人間と、甘んじない人間の二種類です。そして、トルコ人は後者に属します!」
 トルコには、こんな、ことわざがあるという。
 「語れば、責められる。黙れば、腹が煮えくり返る」
 どちらかしかないのならば、叫びに叫び抜いて、攻撃を押し返し、喝采を叫ぼうではないか!
 この烈々たる気迫が、オザル大統領の行動にも脈打っていたのではないだろうか。
 “われらの真実”を世界に伝えたいと、みずから『ヨーロッパの中のトルコ』を著して、トルコがいかにヨーロッパと世界の文明に貢献してきたかを実証する戦いもしておられる。
 トルコ民族は、不屈の民である。紀元前から、ユーラシア大陸を縦横に交差し、歴史の絨毯に鮮やかな絵模様を残してきた。
 あるときは、草原の道に君臨し、あるときは忍従の服属に耐え、あるときは最先端の技術者となり、あるときは遊牧の業をも捨てて、土地に同化して生きのびた。
 トルコの民は「変化」を恐れなかった。新しき時代へ「打って出る」ことを恐れなかった。だからこそ、あの広大な地域に広がり、数千年を超えて生き抜けたのだ。
 イスタンブール。世界史を凝縮したかのような、この町を私が再訪したのは九二年(六月)である。三十年ぶりであった。
 オザル大統領は、病後の療養中であり、私の名代として長男が療養先まで、お見舞いにうかがった。表敬訪問を大変に喜んでくださり、長時間にわたって、さまざまなおもてなしをしてくださった。
 アンカラでの私の写真展にも、わざわざ長文のメッセージを送ってくださった。
 訃報に接したのは、十カ月後である。あの豊頬の温顔が浮かび、私は瞑目して合掌した。
 イスタンブールのボスポラス海峡は、アジアとヨーロッパを結ぶ。海峡の二つのボスポラス大橋は別名「ユーラシア大橋」である。
 オザル大統領は、両方の橋の建設に参加しておられる。
 生涯、「橋を架ける人」であった。
 東洋と西洋に。
 自然と文明に。
 伝統と近代に。
 そして何より、人と人との心の海峡に。

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