Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ラモス フィリピン共和国大統領 ピープル革命の英雄

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
2  “銃”との戦いに“花”が勝った
 マルコス側の兵士が銃口を向けると、人々は叫んだ。「撃つな! あなたのお母さんもわれわれ群衆の中にいるのだ」
 “母”はこのとき、“良心”の象徴であったろう。
 銃を向けられた人々は、代わりに花を差し出した。
 “花”はこのとき、“愛と祈り”の象徴であったろう。
 兵士にサンドイッチを渡し、「君もおなかがすいているだろう」と語りかける人がいた。いたる所で祈りと歌が聞こえた。
 人々が己の「胸中の叫び」に忠実に動き始めたとき、何ものも奔流を止めることはできなかった。
 マルコス大統領が「家にとどまれ」と、いくら呼びかけても、だれも従わなかった。
 「歴史」が、音をたてて、そこに動いていた。
3  独裁者が国外に追放された後、ラモス将軍はアキノ大統領を六年間、支え抜いた。
 たび重なる軍のクーデターや、今世紀最大といわれるピナツボ火山の大噴火。それらのたびに、障害を乗り越えていく氏の抜群の能力が証明された。
 そして大統領選に勝利。ラモス大統領に私がお会いしたのは、就任の約一年後(九三年五月)であった。
 無血の民衆革命への貢献をたたえるため、私は一詩を引いた。
  幸福な安らぎの時は、戦いの後にのみ訪れる
  生命の喜びに何か役に立ったことを知る時に訪れるのだ。
  そして抑圧に苦しみ、抑圧を克服した者こそが
  自由であることの幸福と安穏をかみしめられるのだ
 アメリカの詩人エドガー・ゲストの詩であった。大統領の母堂は教師であり、詩を愛した。大統領の少年時代の愛称エディも、この詩人の名前にちなんだものだという。
 「感謝します。じつに、うれしい。ありがとうございます」
 ラモス大統領の口調は、きびきびしている。
 何を話題にしても明晰であり、あいまいさがない。「中国は日本のライバルとなりうる国です。だからこそ私たちが望むのは、日中両国が友好的関係を続けて、アジア・太平洋地域に貢献してくれることです」とも言われた。
 精力にあふれ、朝の六時、七時から深夜まで働き続けるという。「いったい、大統領はいつ寝ているのか」とスタッフが驚く。
 民主主義を取り戻し、繁栄に向かって働けることが、うれしくてしかたがないという雰囲気が伝わってきた。私はうれしかった。フィリピンの繁栄は、日本人にとって、絶対に“人ごと”ではない。
 日本軍のフィリピン占領下で、どれほどの残虐が繰り広げられたことか。
 フィリピンの民衆は、マルコス政権下でも、自分たちを弾圧する兵士がいれば、「ハポン(日本軍・日本人)」と呼んだという。それほど「ハポン」と「非道さ」が重なっている。
 にもかかわらず日本では、フィリピンを日本が侵略した事実さえ知らない大学生がいるのである。
 このギャップが、こわい。
 これでは人間としての連帯など築けるはずがない。
 これでは「アジア・太平洋時代」などと言っても、内実は伴わない。
 私は申し上げた。
 「私は、貴国の未来を信じます。自分たちの力で、自分たちの歴史を勝ち取った貴国の民衆パワーを尊敬します。貴国に学べと、多くの人々に訴えています」と。
4  「歴史をつくる人間」の条件とは何か。
 大統領は「人間の資質で何を重要視するか」と問われて答えた。
 「二つあります。一つは、大勢の人々に奉仕するという確固たる使命感。自分の使命は必ず成し遂げるという決心がなければならない。二番目は、それと一体のことだが、冷静さです。どんなプレッシャーがあっても、揺るがない不動心です」
 抑圧政権の打倒に立ち上がった理由についても、大統領は「私はプロの軍人として、国民に奉仕するという自分の任務を遂行したのです」と語っている。
 その使命感から、生命をなげうって立ち、「直接、民衆に呼びかける」戦いを開始したのである。
 あの「ヒューマン・バリケード」も、“今、動かなければ”と家を飛び出した普通の人々の「使命感のスクラム」であった。
 その一方で、政府軍は、ただ、上からの指示を待っていた。
 ここに分岐点があった、と私は見たい。
5  国家主義から人間主義へ
 九六年三月、創価大学主催の第五回「環太平洋シンポジウム」が、マニラで開かれた。「技術と文化」をテーマに、十七カ国・地域の学識者が集った。ラモス大統領は、シンポジウムに、わざわざ基調講演を寄せてくださった。
 講演のタイトルは「人類に奉仕するテクノロジー」。大統領は、もはや時代は国益の概念に縛られる「国家主義」を破壊すべきときであり、地球全体の利益を考える「人間主義」から知恵を引き出すべきだと論じておられる。
 そう。アジア・太平洋時代とは、抑圧されてきた側の人々が立ち上がる時代である。国家主義、帝国主義、軍国主義、物質主義によって虐げられてきた「人間」の側からの反撃の時代でなければなるまい。
 桎梏をはねのけ、「人間らしく生きたい」という願いで民衆が連帯する時代。その劇的な幕開けが、ピープル革命であった。それが、三年後の「東欧革命」にも、冷戦の終結にもつながっていったのである。
 ラモス大統領の信念は「呼びかけること」。朝鮮戦争、ベトナム戦争もわが目で見てきた。その体験から、絶対に流血はいやだという。
 身を挺して国内の融和に努力を重ね、九六年九月には、イスラム教徒の「モロ民族解放戦線」と和平の合意に達した。約三十年間、ミンダナオ島を舞台に十数万人もの犠牲者を出した紛争に、ピリオドを打ったのだ。
 和平の調印式。大統領は叫んだ。
 「きょう、われわれは歴史の瞬間を目撃しただけではありません。われわれは『歴史をつくった』のであります!」
 感無量の声であった。勝利の喜びの声であった。新生フィリピンから世界に広がる声であった。

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