Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ビレンドラ ネパール王国国王 「慈愛の同盟」をめざす

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
1  ネパールの朝。
 視界はるかに、雲が割れると、雲よりも純白に、神々しき山々が輝いていた。
 大雪山――ヒマラヤの白銀の頂は、まさに「神の座」であった。人間の心を、高みへ高みへと誘う。
 釈尊も、この絶景を見て育ったのだ。大雪山に劣らぬ偉大さへ向かって、我もまた努めん、と。
 「世界の最高峰」エベレストは、ネパールで「サガルマータ(大空に届く頭)」と呼ばれる。
 ヒラリー卿とともに、この山に人類で初登頂したネパール人、テンジン・ノルゲイは語った。
 「山には友情がある。山ほど人間と人間を結びつけるものはない。どんな難所でも、手をたずさえ、たがいに心を通わすことができる」
 「だから、難問題は山で解決すればいい。フルシチョフも、ジョンソンも、そしてネルーも、毛沢東も」
 世界の指導者よ、ネパールに来れ! 「天に一番近い国」で、下界の塵を払い、高き壮大な境涯で、人類全体の行くえを考えようではないか――。
2  「日本人でネパールを嫌いな人はいないでしょう。だれもが親しみを感じています。釈尊生誕の国であり、貴国がなければ仏教もありませんでした。仏教徒すべてにとって大恩ある国です」
 そう申し上げると、ビレンドラ国王の温顔に、ふくよかな笑みが浮かんだ。
 首都カトマンズ市の王宮を表敬訪問したのは、一九九五年の秋。ネパールに到着した翌日の夕刻である。(十一月一日)
 国王は、私の著作もご存じであり、温かい歓迎の言葉で迎えてくださった。テーブルをはさんで一時間二十分、国王は終始、にこやかに語りあってくださった。「形式ばらないお人柄です」と、元駐日大使のディタール氏が言っておられたとおりであった。
 私は、すぐにお暇するつもりであった。ネパール王国への私の思いは長編詩「最高峰の荘厳 永遠のネパール王国」につづってあり、会見の冒頭、国王に献呈した。
 私が心を打たれたのは、国王が「せっかくの機会ですから」と、私にさまざまな意見を求められた、その謙譲の徳である。
 そこには、ネパールの未来をいかに開きゆくかという、熱いまでの責任感が、にじみ出ていた。
 一民間人にすぎない私が、僣越にも、種々、率直に語らせていただいたのも、国王の真剣さに促された結果であった。
 こうも言われた。
 「ご承知のように、ネパールは発展途上の国です。それだけに、教育がいかに大切か、私たちは知っています」
 国王は二十六歳で、「世界一若い国王」として即位(七二年一月)。以来、教育改革に力を注ぎ、その成果は、ネパールの「有史以来の最大の事件」と評価されているほどである。
 「道のりはまだ遠いのですが、教育は若い世代に対し、将来、彼らが直面するであろう困難に打ち勝つ力を与えます」
3  釈尊生誕の国
 わが国は小国です、との国王のお言葉に、私は釈尊その人の青春を想起した。
 シャカ族の王子として、ネパール南部のルンビニーで生誕した釈尊。シャカ族は、当時の大国コーサラ国に従属する小国であった。誇りは高かったが、軍事的にはつねにおびやかされていた。
 私は長編詩に、王子の苦悩を書きとめていた。
  若き大指導者は 鋭く見つめていた
  釈迦族を取り巻く
  大国の傲慢 小国の悲哀
  
  武力主義の覇道 人間主義の正道
  政治とは 権力とは 指導者とは
  若き大哲学者は 深く見つめていた
  人生とは 人間とは 生命とは
  何のために生まれ 何のために死にゆくか
 釈尊は、「力」によっては、人類は永遠の流転を続けるほかないことを知っていた。その流転は今も続く。
 私は申し上げた。
 「川の流れのように、社会も、世界も、人間も、刻々と変化、変化を続けています。宇宙には変化しないものは一つもありません。
 栄華を誇った歴史上の“大国”も今は衰亡しています。現在の“大国”も、永久の繁栄はありえないでしょう。
 大国もいつまでも大国ではなく、小国もいつまでも小国ではありません。
 また、“大国だから幸福、小国だから不幸”とは絶対に言えません。経済の数字だけで国の内実を測ることは、現代の大きな誤りです。
 いわんや、交通と通信の発達で、地球は『一つの世界』に向かっています。これまでのような強権的な大国主義や、自国中心主義は完全に時代遅れです。
 政治による『力の論理』、経済という『利害の論理』だけでは、地球が弱肉強食の世界になってしまうでしょう。それは、もはや許されない時代です。
 それらを超えた『人間性の道』を拡大する以外に、二十一世紀の幸福への根底的な方向づけはできないと私は信じます」
 私は、これからは、「経済の競争」の時代から「人道の競争」の時代であると思っている。
4  「ナマステ」の心
 ビレンドラ国王は、すでに八一年、パリでの国際会議で、こうスピーチしておられる。
 「今日、人類は火星にまで手を伸ばそうとしているのに、自分と同じ姿をした他の人間には手を差し伸べているでしょうか?
 これこそ現代最大の珍事であります。一方では、あり余るほどの富や豊かさ、贅沢があり、他方では欠乏や困窮、堕落が広まっているのです。
 私がこうして世界中の貧しい人々のために話をしている間にも、パンを欲しがって泣く子どもの声が聞こえます。それなのに我々がその子に与えるのは爆弾なのです。慈悲を求めている子どもに我々は虐待を加えるのです。子どもは平和を望んでいるというのに、我々は戦争の準備をしているのです」(八一年九月三日、後発発展途上国問題に関する国連会議での基調演説)
 つねに飢餓にさらされ、平均寿命は短く、読み書きも教えられず、仕事もなく、あっても低賃金で酷使され、不衛生な環境に住まわされ、無力感と屈辱感にさいなまれて一生を送る人々。
 国王は「子どもに本も買ってやれず、授業料も払えず、病気になっても、治療代が払えずに死んでいく」膨大な人々のことを忘れないでほしい、忘れることは「人間としての恥辱」ですと会議で訴えられたのである。
 国王は、折あるごとに、「軍事同盟」や「軍事ブロック」よりも、人類同朋を救う「責任感と慈愛の同盟」が必要なのですと、世界に呼びかけてこられた。
 そして、これが二千五百年前、ネパールが生んだ「釈尊の心」である、と。
 日本も、たしかに「援助」はしている。しかし、各国の現地の人々に心から感謝され、尊敬されているとは言えないのが現状だとされている。
 その要因は、援助金が結局は日本企業に還流してきた仕組みをはじめ、「同じ人間として苦楽を分かちあう」心が感じられないことではないだろうか。
 ネパールの人々は、胸の前で掌を合わせ、「ナマステ」と、あいさつする。「ナマス」は「(自分を)捧げる」。「テ」は「相手に」。あなたの内なる神聖なものに敬礼しますという心である。法華経に登場する不軽菩薩のごとく。人々のその姿は、絵のように美しい。
 「ネパール人の気質・人生観は『他者への尊敬』に表れていると思います」
 そう教えてくださったのは、かつてのビシュヌ・ハリ駐日ネパール大使である。
 大使は、こんな詩も紹介してくださった。
 「だれもが皆、幸せを求めている。幸せは、どこにあるのか? 自分を忘れて人のために尽くす、その人の中にこそ――幸せはあるのだ」(ラクチミプラサード・デウコタの詩)
5  大国意識の醜さ
 日本人は、いつの間にか、大国意識という醜い傲慢にとらわれ、貧しくとも、まじめに人生を生きている人々を尊敬できなくなっているのではないだろうか。
 ネパールで、にわかには信じがたい話を聞いた。仕事で訪れた日本人が車で走っていて、前をあけなかったネパール人の車を強引に止めさせたばかりか、中から運転手を引きずりおろして、殴ったという。
 「人前で、そんなことをやるとは、まるで虫ケラのように思っているのでしょうか」
 余りにも極端な例かもしれない。しかし、「同じ人間として」――これが日本人には、なかなかできないようだ。自分自身が、「人間として」生きるよりも、肩書や立場に生きているからであろうか。
 ネパールの心は違う。
  人間を人間と見る人は
  人間として最高の人間である
  人間を神と見る人は
  その人自身が神なのである(サマの詩から)
 アジアの人々を――同じ人間を見下す傲りがある限り、日本は、その「心」によって衰亡していく以外ないであろう。「近くに友をもてない者は、遠くにももてない」という。世界から孤立して、日本はどうやって生きていけるだろうか。すでに転落は始まっているかもしれない。
 ビレンドラ国王に、私は申し上げた。
 「貴国が生んだ釈尊は教えました。
 『未来の結果を知りたいと思えば、その現在の原因を見よ』と。
 “今”、心に傲りがあり、慢心があり、堕落と油断があれば、どんなに栄えていても未来は下り坂です。
 “今”、民衆の心に決心があり、勇気があり、希望と知恵があれば、未来は明るい。
 『まかぬ種は生えぬ』と言います。今、国王ご自身が、真剣に未来を考え、“種”を植えようとしておられる。すばらしいことです。ご繁栄を祈ります。私どもが熱望しているのは、ネパールのすべての人々の『心からの笑顔』です」
 夜もふけてきた。私は話を終えた。
 「池田会長のネパール滞在が平安で有意義なものでありますように! ぜひ、また、お会いしたいと思います」
 重ねてのご厚情に御礼を申し上げて、王宮を出ると、空は星がふるようであった。澄んだネパールの星空には色が見える。白い星。赤い星。青い星。
 そのまたたきに、釈尊の故郷の悠久を思った。あの星々にとっては、二千五百年の時も、つかの間にすぎないだろう。
 釈尊の心は、まちがいなく、この大地に今も鼓動している。否、これから、いよいよ全世界へ、人間愛の大河を広げていくのだ。今、ようやく、流れは始まったばかりなのだ。
6  「二つの最高峰をもつ国」
 翌日、国王が総長を務めておられる国立トリブバン大学で記念講演を行った。(=著者は同大学の名誉文学博士号を受けた)
 テーマは「人間主義の最高峰を仰ぎて――現代に生きる釈尊」とした。
 宿舎に戻ると、天上には大月天が皓々と輝いていた。突然、大きな流星が、白い尾を引いて、満天の星空を走っていった。
 私は日蓮大聖人が、釈尊生誕の国への私たちの訪問を喜んでくださっている気がした。滞在中、黄金の夕日に染まる峰々も、あまりにも崇高であった。
 荘厳なる自然の王者・雪山。永遠なる精神の王者・釈尊。
 「二つの最高峰をもつ国」に、私たちは学びたい。私たちは敬礼したい。そしてネパール王国が、まばゆき「人間性の大国」として、全世界を照らしゆく日を信じたい。

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