Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

後記 「池田大作全集」刊行委員会

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「人生は、出会いの連続という。さまざまな出会いのつづれ織りが、人生という歴史の絵模様を描くのかもしれない。そういう意味では、この本は、まぎれもなく私の歴史の証言でもある」(「1」の「はじめに」)
3  池田名誉会長の対話旅は、公式の会見だけでも、千五百回を超える。その旅路は、今も続けられている。その回数も驚嘆に値するが、対談者の多士済々ぶりには驚きを禁じ得ない。人民に尽くした指導者あり、人権の闘士あり、知の探求に生きる碩学あり、文化の海原をいく芸術家あり‥‥政治家、教育者、文学者、「女性の時代」を先駆けした女性リーダー等々、国家も、人種も、世代も、人生観も、宗教観も、さまざまに異なる世界の一級の知性が名を連ねる。
 この点について名誉会長は次のように語っている。
 「日本人であり、ロシア人である前に人間である。政治家や芸術家である前に人間である。共産主義者や宗教者である前に人間である。その人間という原点をともに確認し、掘り下げることが、地球時代の今、求められているのではないだろうか」(同前)
 往々にして、こうした書物がおちいりがちな、秘話を披露しただけのものでもなければ、いわんや、自身のきらびやかな交友のアルバムを見せびらかすものとは、まったく異なる。
 「個別」の個人について書いているには違いないが、その個別を掘り下げ、その人物の「人間という普遍」を見つめ、誠実に記している。
4  「人間」を記す──。
 この困難な事業に挑んだ最初の挑戦者の一人に、中国の歴史の父・司馬遷がいる。
 司馬遷が記した中国最初の通史である『史記』百三十巻は、中国の歴史の開闢時代から、司馬遷と同時代の漢の武帝の時代までの、賢相・名将・勇士などの人間像を事績を中心にまとめ上げたものだ。
 司馬遷は、人間の運命を通して時代を記した。後代の史書も、『史記』をモデルとした。
 司馬遷は、歴史を記す史官の父・司馬談の遺命にしたがって、『史記』の編纂に着手した。しかし、この大著を、真に完成させる契機となったのは、時の権力者・武帝の逆鱗にふれて、死刑を宣告されるという悲運に見舞われたことである。権力者に率直に語った言葉が批判と受け取られたのだった。しかし、彼は生きて父の遺命を果たさねばならなかった。それには、宮刑を受けて、忌まわしい宦官かんがんになるしか、道は残されていなかった。
 屈辱であった。憤った。絶望した。しかし、それ以上に彼の身を悲憤の炎で焼き、生涯を賭した使命に火を点じたのは、漢の世の狂った現実であった。彼は書くことによって、「乱世を匡し、之を正に反す」決心をした。書くことによって生きた。
 すべては人間で決まる。だから人間を書かねばならなかった。それが『史記』となった。
 司馬遷は言う。
 「『春秋』を見ると主君を殺害した国が三十六、国そのものが滅びた例が五十二、指導者が自国を保てず逃げてしまった例は数えきれない。その原因を調べると、皆、基本的なものをなくしたことに尽きる。『易経』ではこういっている。『毛すじほどの狂いも末には千里の狂いとなる』と」
 名誉会長は、この司馬遷の心を、こう述べている。
 「一国の盛衰は偶然ではない。『人道』の基本がくずれたとき、すでに滅びは始まっている。反対に、基本・原点を忘れず、忠実に実践しているかぎり、栄えは続く。
 だからこそ、『道』を明らかにせねばならないというのである。
 後の人が、『この道を行けば』と、はっきり分かり、迷わないために堂々と、誇りを持って歩んでいけるために」(九一年五月、創価教育同窓の集い)
 二千年の歴史を超えて、著者と司馬遷の警世の共鳴音が聞こえてくるかのようである。読者は、本巻に収録したエッセーにこの熱き思いが通底して脈打っていることを痛感することであろう。
5  二十世紀は戦争と革命の大動乱の世紀であった。そして、その世紀末は、ようやく「国家の論理」から「人間の論理」へと潮流が変わり、平和と生命の世紀へ進もうとする時代であった。
 名誉会長が、対話を重ねた人々は、この変化に力をあたえてきた人々であり、何より名誉会長自身が、その一人であるからだ。ゆえに、これらの同時代人の人生、行動、事跡、そして人間性を名誉会長の眼で照射し、ともに歩みゆく「人間の道」を描き出したことは、まさに乱れた世を正しい世に返しとの作業にほかならない。二度とふたたび人々を戦乱の非道へと駆り立てることのないように──。この巻のどこをとっても、「人類よ、永遠に平和であれ! すべての人に栄えあれ!」、そのために「希望を捨てるな!」「強くあれ!」「正義のために戦う勇気を!」との著者の叫びが熱く強く伝わってくる。
 それは、登場人物の数ある発言の中から、著者が選びぬいた次の言葉にも表れている。
6  ビロード革命を導いたチェコのハベル大統領。
 「希望とは、きっとうまくいくだろうという楽観ではありません。結果がどうであろうと、正しいことはあくまで正しいのだという不動の信念こそ、希望なのです」
7  「人類の英知」ローマ・クラブのホフライトネル会長。
 「『明日では遅すぎる。今日、何かしなければ』という危機感に突き動かされて、働いています。人類の直面している問題が、あまりにも大きく、深刻で、緊急を要するものですから。自分のしている貢献は、あまりにも小さい。人類のために、もっと何かしなければならない。そう思って、動いているのです」
  
 民主チリのパイオニアであるエイルウイン大統領。
 「ウソは暴力にいたる控え室です。『真実が君臨する』ことが民主社会の基本なのです」
  
 世界的な作曲家、ピアニストであるビエイラ氏。
 「ロボットのような人間になってはいけない。機械のような演奏はいけない。惰性ではなく、つねに新しい境涯にステップ・アップ(上昇)しなければなりません。それが『創価(価値創造)』ではないでしょうか」
  
 べレストロイカの設計者であるヤコブレフ博士。
 「『国家(官)が上、民衆が下』という権威主義のピラミッドを逆転してこそ、民主主義なのです。人間が、このピラミッドの頂点に立たなければなりません。民衆が頂点に立って、国や政府を『雇う』のが民主主義です」
  
 アメリカ国務省長官のキッシンジャー博士。
 「どんな偉大な事業も、はじめは、すべて『夢』にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未踏の道をひとり征くには、勇気が必要なのです。真に新しいものは、何ごとであれ、人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです」
  
 ノーベル平和賞を受賞した「人権の闘士」エスキベル博士。
 「牢獄で私は学びました極限状態にあっても生き抜く力、抵抗する力をその力とは、精神の力であり、魂の力です。牢の中では、体の自由はききません。しかし、心は自由なのです。心は縛られないのです」
  
 ──平和の道、希望の道、信念の道、奉仕の道、真実の道、勇気の道、慈愛の道、文化の道、精神の道、友情の道、教育の道、抵抗の道、民主の道、和楽の道、歓喜の道、価値創造の道‥‥こうした数々の「人間の道」が本書には記されている。
 二十一世紀の人類、そして二十二世紀、二十三世紀と続く未来の人々が、「この道を行けば!」と、迷うことなく、堂々と人生を生きゆくことを強く念願する次第である。
    二〇〇一年十一月十八日

1
2