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日蓮大聖人・池田大作

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芸術の万花で民衆を励ます深別大学教授 蘇東天画伯

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  「梅の画人」は寒苦を越えて咲く
 あの文化大革命のなか、画伯の師匠である潘天寿はんてんじゅ先生は、「反動権威」と決めつけられ、四人組の迫害を受けて亡くなった。
 中国の「当代四大画家」の一人であり、本来は「国の宝」の潘先生であった。蘇画伯は″最後の直弟子″である。
 「迫害は、まっ先に潘先生におよびました。続いて弟子の私にも。
 私は十五年間、妻の実家に退きました。革命運動には参加しませんでした。ひたすら学問と絵画の勉強に専念したのです。
 なぜか──。潘先生が亡くなる前に、こう語られたのです。
 『中国の長い歴史と伝統は、一時の文化大革命で、すっかり消えたり、壊されるようなものではない。
 だから、君は絵や歴史を、今、しっかり勉強しておきなさい。文化大革命の破壊が終わったとき、必ず君のような人が必要とされるだろう。″大器は晩成なり″という。君が本領を発揮する時代が必ず来る。だから今は、国のため、人民のため、自分自身のために、勉強に励みなさい』と」
 ありがたい師匠であった。
 思えば、人生の転機には、いつも師の導きの声があった。
 蘇画伯が高校を卒業した後である。美術学校を受験したが、送ったはずの課題作品と答案が、何と紛失してしまった。やむなく杭州大学の歴史学部に進むことにした。
 失意の蘇青年に、潘先生が言った。
 「歴史を学ぶほうが、美術学校に通うよりもいい。良い画家になりたいと思うのなら、万巻の書を読み、万里の道を行かねばならない。中国画は美術学校に通わなくても大丈夫だよ。私も独学で学んだのです」
 蘇青年は、師の励ましに従った。歴史を学びつつ、課外時間で、潘先生に絵の教えを受けた。
 そして、やっと卒業という、その年(六六年)に、文化大革命が起こったのだ。
 冬は長かった。
 十年たった。恩師の悲劇の死が、まぶたに焼きついて離れなかった。十五年たった。この年(八一年)、蘇画伯は、中国芸術研究院の修士課程を優秀な成績で終えた。修士論文は、潘先生の芸術についてであった。
 「先生! 私はやりました」
 恩師の偉大さを、晴れて天下に顕彰できたのである。
 師匠は根、弟子は花。弟子の勝利は師匠の勝利である。冬に耐え抜いた師弟の春であった。
 画は人なり──師の教えのとおりに、蘇画伯は「万巻の書を読み、万里の道を行き」、みずからの境地を高めた。
 その博学は、儒教・道教・仏教をはじめ、古今東西の哲学・史学におよぶ。日中交流史にも詳しい。
 中国最古の詩集『詩経』に画期的な新解釈をもたらした『詩経弁義』(八八年)は、三十年の研鎖の実りであった。
 辛苦の歳月に、白髪は増えた。完成の年の初春は長雨が続き、寒波は絶えず、疲れた体を襲った。
 しかし、ついに「この偉大な古書の実相を明らかにし、父母、民族、人民に対して恥ずかしくない、心の安らぎを得た」のである。
 「天は寒いが、心は温かく」、画伯はその喜びを「咏梅」の大作に託した。紅白の梅が咲き乱れる老梅の画のもとに、したためられた一詩があった。
  宝剣鋒従磨礪出
  梅花香自苦寒来
 宝剣の切れ味は、磨かれ研がれることによって生まれる。
 梅の花の良き香りは、苦しき寒さから生まれる。
 この一詩に、蘇画伯の人生が凝縮している。否、万人にとっての歩むべき「道」が示されている。
 今、人類の心は、冬の枯れ野のごとく、わびしい。画伯は嘆く。
 「現代人は、金銭と享楽を求め、私利私欲に走り、精神文明は極度に衰えてしまいました。この″精神の空白″という重大な危機を救わなければなりません」
 画伯の願いは、ヒューマンな芸術の万花で、人類の心に春を呼ぶことである。
 「絵とは何でしょうか」
 そう問うと、画伯は即座に「私が描いているのは文人画です。その絵を一字で表すとすれば、自分の『こころ』を表現する芸術であると思います」
 「その主題は『道』です。たんに形を描くのではなく、一つの崇高な思想、精神を表現しようとしているのです」と。
3  ″花人不二″の実相を妙筆で
 「梅の画人」の令名は高く、作品は天安門城楼や毛主席記念堂をも飾っている。
 創価大学での「蘇東天先生絵画展」(九五年六月)では、会場は絵のかもしだす芳香に酔う人々のため息で埋まった。
 蘇先生の妙筆にふれると、わが身が梅園に歩み入ったような、否、わが身が早春の梅花に変わりゆくような感に打たれる。
 ″花人不二″とでも言おうか。感応の深き境地を感じるのである。
 雪中の梅。枯れ野の中に「一輪の春」が開くとき、一つの宇宙が目ざめる。雪に覆われた大地の底から、熱は命の炎となって、根を昇り、幹を伝い、枝を温め、枝の先のつぼみに届く。一花が開くとき、地球が花開いたのだ。永遠なる宇宙の生命が、梅の五弁に顕れたのである。
 そして花と人が出あうとき、「ああ!」という美の感動のなかに、何かが通いあう。われも命なり、汝も命なり。一つの大生命の枝に咲く、われは花なり、花はわれなり、と。
 美に出あうとき、人間は根源に立ち戻る。生命に立ち戻る。人間に立ち戻る。
 画伯は仏教哲学にも通じておられるが、法華経では諸法実相と説く。ありとあらゆる万象(諸法)に、共通の大いなる生命(実相)の顕れを観る。
 その意味で、芸術も、諸法の実相を観る修行かもしれない。
 南宋の詩人、陸遊りくゆうは歌った。
  聞道梅花圻暁風
  雪堆遍満四山中
  何方可化身千億
  一樹梅花一放翁
  
  夜明けの風とともに白梅が開く。
  雪のように、四方の山中に遍く咲き満ちる。
  ああ何とか化身できないものか。
  千億の梅花に。千億のわが身に。
 四方の山々は、無数の白梅につつまれて白い。見ている詩人は、わが身が千億の花に変わりゆくのを感じる。我は千億の梅であり、梅は千億の我である。
 その姿のように、冬枯れの世界が人間主義の億兆の花で埋めつくされる未来を、画伯は願っておられるのではないだろうか。
 その億兆の花の海にさきがけて咲く「我は芸術の梅花なり」と。
 (一九九七年二月十六日 「聖教新聞」掲載)

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