Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ノーベル平和賞の人権活動家 エスキベル博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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4  あえて茨の道へ
 正義に無頓着な大衆よりも、一人立つ正義の人が強い。
 博士は本来、著名な彫刻家であり、画家である。
 その信念は「大衆の喜び、悲しみ、苦しみをともに感じて、それを形にするのが芸術家である」。アマンダ夫人は音楽家。
 私は、胸の思いを率直に申し上げた。「ご夫妻は、芸術家の道だけを、そのまま歩んでおられたら、静かで平穏な人生だったかもしれません。しかし、あえて波乱多き人権闘争の人生を選ばれた。不幸な人を救うために立ち上がった。立ち上がれば、批判もあります。圧迫もあります。しかし、あえて茨の道に入っていかれた。すばらしい歴史です。権力と戦い抜いた人生は黄金です」
 八〇年、博士にノーベル平和賞が決定した。人権闘争への大きな追い風だった。私は聞いてみた。
 「博士の受賞を一番、不愉快に思ったのは、博士を迫害した権力者たちではなかったでしようか」
 「もちろん、そのとおりです。受賞に対し、彼らが一番抵抗し、反対しました」
 国内のマスコミも、博士の行動の真価や国際的評価については沈黙し、あるいは歪曲し、批判を繰り返したのだという。
 離日される前、博士から私に伝言が寄せられた。
 「私は、私が信頼する人が非難され、悪口を言われ、圧迫を加えられているときは、その人に何も言いません。しかし、その人が、だれからも非難されなくなったときは、私は不満を述べるでしょう。
 ドン・キホーテの物語に、こうあります。『犬どもが吠えている。それはわれわれが馬にのって進んでいる証拠だ!』と」
 「戦う人」ならではの、まさに炎の言葉であった。
 (一九九七年一月十九日 「聖教新聞」掲載)

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