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日蓮大聖人・池田大作

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国連ルネサンスへ軌道 デクエヤル国連事務総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  時間が迫っていた。
 十二月三十一日。まもなく一九九一年が終わろうとしていた。
 デクエヤル事務総長は、国連本部で、中米エルサルバドルの内戦停止へ交渉を急いでいた。
 事務総長の任期は、年内いっぱいなのだ。任期がきれたら、交渉はストップする。これまで営々と積み重ねてきた合意自体が崩れてしまうだろう。
 あと数時間しかない──。
 エルサルバドルの内戦は、もう十二年も続いていた。政府軍と左翼ゲリラ組織(FMLN=ファラブンド・マルティ民族解放戦線)との全面衝突で、七万五千人もの命が奪われていた。
 四国と淡路島を合わせたほどの小さな国土。農民は土地を追われ、大地は荒廃しきった。
 手足を失い、目や耳を失った子どもは数知れない。教育どころではなかった。女性の六割が、父や夫を、あるいは子どもを殺された。
 事務総長は、双方と繰り返し話しあった。おたがいが相手に対する不信感をぶつけてきた。それを、真っ向から受け止め、妥協案を示して、歩み寄らせようとした。
 総長の「公正さ」には、だれもが信頼を置いていた。
 イラン・イラク戦争の終結(八八年)のさいも、調停成功の「カギ」は、総長へのイランの信頼感だったと言われる。
 イランの外交官は語った。
 「彼のおかげで、数限りない人命が救われた。彼だけが国連とわれわれをつなぐ絆だった。彼は人間としてきわめて誠実であり、信義の人だ」
 私も四回、お会いしたが、いつも事務総長の謙虚さと平和への真摯さに打たれた。哲学者のような風貌。話すたびに、「一個の人間として、どう生きるべきか」を思索されていることを感じた。
 エルサルバドルの政府軍もゲリラ軍も、内戦の不毛さは骨身にしみていた。
 そしてデクエヤル総長の気迫。
 本来なら、三十一日夕、夫妻で国連本部を発ち、休暇をとる子定だった。しかし「少しでも可能性がある限りは、私は国連に残る」と、交渉に臨んだのだ。
 ついに停戦の合意に達したのは、ぎりぎり三十一日の深夜。まさに執念の成果だった。停戦は、総長の″置きみやげ″となり、新年のプレゼントともなった。
 人間、人間、人間で決まる。「平和」といっても。「時代を変える」といっても。
 デクエヤル総長は、私の平和提言もよく読んでくださっていた。
 あるときの手紙には、「軍縮を推進するうえで、『個人が中心的な役割を果たす』という点に、私は全面的に賛同いたします」と感想が書かれていた。(八三年の第八回「SGI〈創価学会インタナショナル〉の日」記念提言〈本全集第1巻収録〉に対して)
 「一人」をあなどってはならない。万も億も「一」を母として生まれる。今は、世界的な巨大な連帯が必要な時代である。だからこそ「一人」をたがいに大切にしなければならない。
 「一人の人間」を軽んずる傲慢。「一人の人間には何もできない」という無力感。冷笑。それこそが平和の敵であろう。
 たとえば、第一回のベルリン危機(四八年~四九年)が急転直下、解決へと向かったきっかけは、国連の廊下で行われたアメリカ代表とソ連代表との、さりげない会話であった。(明石康『国際連合』岩波新書を参照)
 いかなる変化も、まず「会う」ことから、何かが生まれる。まかぬ種は生えない。地味ではあっても、顔と顔を見合って話しあうところから、新しい回転は始まる。
 フォークランド(マルビナス)紛争のさい、アメリカの調停は行き詰まり、デクエヤル総長の出番となった(八二年)。総長の調停は九分九厘成功したかに見えて、挫折した。しかし、総長は絶望するどころか、淡々と言った。
 「今回は周囲の条件が整わなかったから、結論まで行かなかった。しかし自分がまいた種は、いつかきっと芽を出すにちがいない」(明石康『国連から見た世界』サイマル出版会)
2  国連の事務総長は「世界で一番遂行不可能な仕事」(トリグブ・リー初代事務総長)とされる。
 「国連憲章の番人」として、人類全体の利益を基準に行動しなければならないが、そうすれば必ず、どこかの国から非難されることになる。加盟国は自国の利益を優先するからである。
 とくに冷戦時代は、米ソ双方から支持されることはむずかしかった。
 デクエヤル第五代事務総長の十年間(八二年~九一年)も、前半は、国家悪による手枷足枷がはめられていた
 しかし、ゴルバチョフ氏の登場後の激変によって、総長の努力が実り始めた。
3  「静かに動く」男が最後に勝った
 イラン・イラク戦争の終結、ソ連軍のアフガニスタン撤退、ナミビア独立、カンボジア和平協定。
 それは「静かに動く」男の勝利ともいえた。総長はマスコミ受けを一切考えなかった。″ニュースになるような″派手、な言動は意味がない。それは仲介相手を傷つけ、態度を硬直化させる危険もある。
 自分は目立たなくていい、そのほうがいいのだ、自分は何と批判されようとも、水面下で着実に波を起こしていくのだ。──総長の私心なき人格は、だれからも信頼された。その信用が成果を生んだ。
 人々は「国連ルネサンス」と呼んだ。
 総長は私に繰り返し言われた。
 「私がSGIの国連支援を評価するのは、具体的な行動をともなっていることに加えて、精神面での強い支援があるからです。その意味で、SGIは国連支援の模範であり、本当に頼もしい存在です」「仏教思想の根本は平和にあり、仏教の精神が平和を愛する人々に強いインスピレーションをあたえています」「創価学会の哲学、信念は国連の理念と相通じます」
 最後にお会いしたとき(九〇年十一月)は、私とルネ・ユイグ氏との対談集『闇は暁を求めて』(本全集5巻収録)を繙いたと言われた。「序文を読んで、私もまったく同じことを書いて出版したいほど、共通の思想が記されていました」と。
 序文で私は書いていた。
 「人類の危機は、外からきているのではない。人類自身がみずからの″家″を破壊しようとしているのである。この家で幸せに生きていくには、一人一人が考え方と生き方を根本的に変える以外にない」「利益を貧りあい、憎みあうのではなく、愛しあい、守りあい、助けあうことを学ぶべきである」(趣意)
4  国連を支える民衆パワーを
 総長も、「精神の変革」がなければ、人類の流転は終わらないことを考えておられたと思う。
 日本を数十年、見つめてきた印象を、こう言われた。
 「日本も少しずつ、美しい精神的な文化遺産を失いつつあるような気がします。それは服装とか表面的な変化ではなく、もっと内面の深い情緒、感情といったものの衰退です」
 人間の魂が衰え弱まってしまえば、「国家悪」への抵抗もまた弱まることは必然である。
 国連という舞台は、一見、庶民から遠くに見える。しかし、「国家悪を超える」という挑戦において、国連と世界の民衆は直結しているのである。
 その意味で、民衆の「ヒューマン・パワー」を高め、結集していくことが、国連という大船を浮かべ、進める大波をつくることになる。国連への根本的支援ともなろう。
 デクエヤル事務総長の慧眼は、この一点を過たず見抜いておられた。
 総長は「身近な一人」を大切にした。就任第一日に、職員一人一人と、メッセンジャーまでふくめて丁重にあいさっした。エレベーターも専用機をやめて、職員と一緒に乗った。だれもが驚いたという。
 ともに働いてこそ、その人の実像はわかる。
 事務総長の退任が決まった最後の総会。冷静が身上のはずの外交官のだれもが立ち上がって、熱烈な拍手を送った。だれが促したのでもない、自然発生的で、かつてないほどの長い長い喝采であった。
 感情を表に出さない事務総長も、感無量の面持ちで、うなずいた。「静かなる男」の人間としての勝利の瞬間であった。
 (一九九六年十二月二十二日 「聖教新聞」掲載)

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