Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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巨視的展望で今日を生きる キッシンジャー博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
10  ″畏敬″を捨てた権力の怖さ
 こう言われたこともある。
 「私は自分に宗教心があるとは思いません。しかし私は、人間が理解できないさまざまな力の存在を信じていますし、本質的に不可知の部分があることも信じています。したがって、人間はつねに、畏敬の念と謙虚さをもつ必要があるのです。
 そうした尊敬の念がなければ、国家権力の執行にも歯止めがなくなります。産業社会の結合力も失われ、人間の個性が真に認識されることもないでしょう」
 多くの世評には表れない″人間キッシンジャー″の奥行きを示す発言として、私の心に残っている。
 博士は、政府の要職を離れた今も、活発に言論活動を続けておられる
 最近も、「二十一世紀の世界は、中国がさらに重要度を増す」とするとともに、「日本の政策は将来、より国家主義的になるでしょう」と予測しておられたのが強く印象に残った。
 ともあれ、いかなる未来も、これから「どうなるか」ではなく、「どうするか」である。
 博士とは、カントの『永遠平和のために』も語りあったが、カントの言うように、永遠平和のためには、その終極の目標に向かって、「限りなく前進を続ける」以外にない。
 「永遠の平和」のためには、「永遠の努力」以外に道はないのである。
 これでよしと、ひとたび油断したとたんに、危機は訪れるであろう。
 だからこそ青年に「限りなき前進」を継いでもらうしかない。
 博士も、こう言われていた。
 「青年は、自分より大きなことに挑戦すべきです。私たちの世界を『過激で残酷な人々』の手に渡すことのないよう、彼らがやりたい放題のことができるような状況をつくらないよう、青年は献身的に努力すべきなのです!」
 語る博士の分厚い眼鏡の奥に、ナチスへの怒りに燃えて大西洋を渡る十五歳の少年の姿が見えた──そう言えば、博士は何と言われるであろうか。
 (一九九七年九月七日 「聖教新聞」掲載)

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