Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

アポロ計画推進者 ジャストロウ博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  アメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスに来てくださったときのことである。(一九九三年九月十九日)
 「問い続ける人」の誠実さに私は感銘した。
 宇宙探究の果てに、「道が行き止まりになっていた」とまどいをつつみ隠さずに語ってくださる。
 「私たち科学者は『始まり』以後のことは語れても、それをもたらした″原因″や宇宙の″意味″については答えられません。それは仏教など宗教、哲学の領域でしょう。あるいは地球外の知的生物のなかには、その解答をもつ文明があるかもしれませんが──」
 私は、請われるままに、仏法の宇宙論の要点を語った。
 「有」「無」の概念を超えた「空」の哲学があること。
 宇宙それ自体が巨大な「生命」であり、森羅万象が生死、生死のリズムを奏でていると説くこと。
 人間が生まれ、活動し、老い、死んでいくように、星々も銀河も、あるいは一つの宇宙全体も、成住壊空──生成期、安定期、壊滅期、そして次の生成期まで「空」の状態で潜在している期間──を繰り返すと見ること。
 博士は「なるほど! 星の誕生も、かつて死んだ星々を構成していた物質を集めて行われます。この点、仏法の輪廻転生に通じる面があります」と率直である。
 ビッグバン説──もちろん支持しない天文学者もいる。支持する人のなかにも、この「始まり」問題を乗り越えるために、頭をしぼってきた人も多い。
 宇宙は膨張と収縮を繰り返すと考えたり(振動宇宙論)、「時空間はないが物理法則だけはある」という超空間(スーパースペース)を想定したり、親の宇宙が子の宇宙を生み、また孫の宇宙を生み‥‥と無限に枝分かれしていくと推定する学者もいる(宇宙の多重発生理論)。百家争鳴だが、どれも証明できるものはない。
 家の中にいる人には、家の全体は見えない。それに似て宇宙(時空間)の中にいて「宇宙(時空間)を超えたもの」を客観的に認識することはできないのではないだろうか。
 私は申し上げた。
 「仏法では、宇宙と自分とを切り離しません。一体と見ます。ゆえに自分自身を探究することが、そのまま宇宙を探究することになります。
 科学は今、宇宙を探究した果てに、″探究している汝自身″の限界に出あったのかもしれません。
 一方、仏法では、自分自身を探究して、その奥底に根源的な大生命を発見したのです。
 それは、宇宙と生命と人生を貫く″不可思議の法″でもあります。
 この法は″不可思議(妙)″という点では分析的な理性を超えたものですが、普遍の″法″であるという点では、理性の探究の延長線上にあると言えるでしょう。
 この法に目覚めゆくとき、人間の生命には『平和』と『調和』がもたらされます。そして社会と自然と宇宙に、幸福を広げゆくことになります。ともあれ私は、『空』をはじめとする仏法思想は、これからの科学の探究に、多くの糧をあたえると信じています」
 対話の途中も、博士は、矢継ぎ早に質問をされる。可能な限り答えたつもりだが、もとより私は生命と宇宙の一探究者にすぎない。
 また短い会話で、意を尽くせるものでもなかった。
3  むしろ私は、世界最高峰の学者でありながら、目をきらきらさせて「次は?」「この点は?」と、喜びにあふれて問いを続ける博士の探究心に学びたいと思った。
 「ああ、この情熱をもって、『月へ行とう!』と夢を追いかけ、不可能を可能にされたのだな」と納得がいった。
 「問いの天才」──アインシュタイン博士もそうだつた。彼は「私には特別な才能などありません。ただ好奇心が激しく強いだけです」と言った。
 そのせいか、詰め込み主義の学校では″落ちとぼれ″と言われた。教師は「従順に答えを覚える」生徒でないアインシュタインを、口汚く、ののしったという。
 今、日本の学校は、どうだろうか。
 「うまく答えられる」優等生だけを大切にする教育では、行き場のなくなった子どもたちは「無気力になるか、暴力的になるか」しかないのではないか。
 いわんや、多数に従わないと排除したり、足を引っ張る偏狭な風土からは独創性は育たない。自分で考えず、人の声に簡単に動かされるのは全体主義の風潮であろう。
4  「宇宙時代にふさわしい人間」
 ジャストロウ博士が本格的に開いた「宇宙時代」は、人類に多いなる意識変革を迫っている。
 博士は「アポロ宇宙船が月へ向かう途中、地球を撮った写真です」と贈呈してくださったが、われわれは″宇宙から地球を見た人類初の世代″なのである。
 地球は青く、みずみずしい。宇宙は広大で、荘厳である。何を小さなエゴで、争いあったり、いじめや差別をしているのか。
 「星を見よ!」。私は、こう叫びたい。″宇宙時代にふさわしい人間″へと心の大空を広げるべきである。
 あのホイットマンも「内なる宇宙」を誇りにしていた。
 「空も星も壮大だし、大地も壮大、永続する時間と空間も壮大、(中略)しかしもっと遥かに壮大なものは目に映らぬわたしの魂(中略)進化の歩みもずっと大きく、広大で、難解な、おおわたしの魂よ」(『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 大宇宙の神秘に驚くことが、かけがえなき自分自身の尊厳に気づかせるのである。
 その意味で、博士が「私が所長をしているウィルソン山天文台と創価学園をコンピューターで結んでは」と提案してくださったことは、うれしかった。
 同天文台は、口径百インチ(二・五四メートル)の望遠鏡をもち、科学史を塗り替える発見を重ねてきたか天文学の殿堂である。
 関係者の尽力で、会見の翌年(九四年)から、関西創価学園の教室が「大宇宙への窓」になった。日本の昼間が、カリフォルニアの夜。だから、観測した画面が、そのまま教室のコンピュータに送られてくる。
 日本で初の試みに注目が集まり、アメリカ創価大学とともに、「NASA名誉賞」も頂戴した。
 天文教室に参加した生徒は感動を書いている「星座が好きです。いや宇宙のなぞがいっぱいあるから好きです」と。
 「宇宙から見れば、人生は一瞬かもしれないが、一瞬でも″星のように輝いて″生きたい」と書いた高校生もいる。
 私たちも輝きたい。みずから光を放つ太陽となって。
5  ジャストロウ博士の持論は「生命を進化させたのは、逆境であった」である。″もはや、これまでか″という苦闘に負けなかったとき、その圧迫をはね返すために、生命は創造的に変化したのだという。
 今、新しき世紀も、人間自身の飛躍的な成長を求めている。
 その挑戦を「受けて立つ」創造的人間の連帯こそが、世界を変える希望である。
 ゆえに私どもは進みたい。
 心広々と、限りなく「心の宇宙」を広げながら。
 月と語り、星々と語り、太陽と語りゆく気概で──。
 (一九九七年七月六日 「聖教新聞」掲載)

1
2