Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

反ユダヤ主義と戦うサイモン・ウィーゼン… ハイヤー会長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  嘘を許せば ヒトラーが生まれる
 ハイヤー会長の戦いは、センターがその名を冠するサイモン・ウィーゼンタール氏を継承する。
 サイモン・ウィーゼンタール氏は強制収容所から生還したあと、「生き残った者の義務」として、姿を隠したナチスの戦犯を捜し出し、法の下に裁くために生きてきた。
 氏は主張した。「ナチス狩りは憎しみではない、正義なのだ」「復讐ではない、当然の権利なのだ」と。
 「サイモン・ウィーゼンタール氏がいなかったら、世界はホロコーストに真剣な注意を払うことはなかったでしょう。一九四五年から六〇年代までの『忘れさせるための圧力』は、すごかったのです」(ハイヤー会長)
 その政治的圧力の理由を「死んだユダヤ人は投票しないが、生きている元ナチスは票をもっているからだ」と説明した人もいる。
 こんなことがあった。一九五八年である。
 「アンネ・フランクなんて生きていなかった。ユダヤ人たちがもっと損害賠償金をふんだくるためにでっちあげたものなんだ。これの言葉を一つも信じてはならない。これはインチキなんだ!」(『殺人者はそこにいる』中島博訳、朝日新聞社)
 『アンネの日記』の劇に反対する若者たちがデモを行い、こんな文書を投げつけたのである。
 オーストリアのリンツだった。
 ウィーゼンタール氏は知らせを聞いて駆けつけた。
 調査の結果を氏は書いた。
 「これらの若い乱暴者たちに罪がなく、彼らの両親や教師たちにこそ罪があった。年輩の連中は、彼らが自分たちの疑問に満ちた過去を正当化したいばっかりに、若い世代の心に毒を注射しようとしていた。(中略)彼らは歴史から何一つ学びとってはいなかった」(同前)
 アンネの日記も「偽作」であり、収容所のガス室は「ただ衣服の殺菌消毒のために使われた」という、意図的な嘘がまかり通っていた。
 日本で「南京大虐殺はなかった」などというデマが流され続けているのと似ている。
 嘘は放置すれば、雑草のように、はびこってしまう。その荒廃から生まれてくるのは、第二、第三のヒトラーであろう。
 「過去を忘れた社会に、未来はありません」(ハイヤー会長)
 会長ご自身にも、こんな経験がある。会長はアメリカ育ちだが、ご両親のポーランドの親族のほとんどをナチスに殺された。
 ウィーゼンタール氏に会いにウィーンに来たとき、会長は理容店に行って恐るべきものを見た。ヒトラーのサイン入りの写真が、うやうやしく飾ってあったのである。
 ひどいショックだった。七〇年代も後半である。ネオナチどころか、ナチズムそのものが、この世界に生き続けているのだ。
 こういうなか、ウィーゼンタール氏の戦いが、どれほどの妨害にあったか、想像にかたくない。
 しかも氏の国際的名望は高い。″彼ら″には、氏が目ざわりでしかたがなかった。
 何度も命を狙われ、スキャンダルを捏造され、信用を失墜させようと、あらゆる策謀が仕掛けられた。
 そのなかを半世紀、戦い続けてこられたのである。
3  希望はある! 黙らないかぎり
 平和のために「悲劇を忘れるな」と繰り返すのは、罪であろうか。
 アウシュビッツや南京を否定することは、虐殺された人々を、「もう一度、殺す」ことではないだろうか。
 歴史の真実を教えず、青年の目を閉ざそうとすることは、恥やすべき歴史をもっていることよりも、さらに恥ずかしいことではないだろうか。
 日本がアジアの各地で行った非道さは、ナチスと変わりがない。
 ごまかそうとしても、世界が知っている。嘘を重ねるほど、軽蔑され、孤立するだけであろう。
 戦後、日本のアジア侵略について、「ニッポン・タイムズ」は、こう書いた。
 「日本人は、自分たちが考えていたことと、世界のほかの人々がほぼ常識と受けとめたことのあいだに、なぜこれほどのずれがあるのか、よく考えてみるべきである。これこそ、日本がみずから引き起こした悲劇の根底にあるのだ」(イアン・プルマ『戦争の記憶日本人とドイツ人』石井信平訳、TBSブリタニカ)
 ナチスは、アーリア民族を選ばれた民族とした。日本の軍国主義は、日本を神国と呼んだ。
 特別に「神聖な民族」があるという思想は、必然的に、「劣等な民族」があるという嘘をつくり出す。
 ナチスにとって、ユダヤ民族やジプシー(ロマ)がそうであり、軍国日本にとっては中国民族や朝鮮民族がそうであったろう。
 この嘘が、あれほどの暴虐を生んだのである。
 ウィーゼンタール氏はハイヤー会長のことを「ダイナマイト」と呼ぶ。「ちっとも、じっとしていない。いつも、だれもやろうとしなかったことに挑戦している」
 知的で洗練された会長の風貌の下に、悪への崇高な「怒り」が燃えている。
 会長は、反ユダヤ主義のデマがあれば、直ちに反撃する。抗議し、謝罪させ、広く事実を知らせ、「毒草の根を抜く」ために、あらゆる方法で戦う。
 講演する。書く。テレビ討論に出演する。各国の指導者と会見する。
 アメリカ議会で公聴会を開き、ネオナチの脅威に警鐘を鳴らしたこともある。
 小さなデマでも許さない。″文明社会″が、あっという間に″悪魔の社会″に転落した歴史の教訓を忘れないからだ。
 そして「人権」を教えるために「寛容の博物館」を創り、ハイテクを駆使して、視覚的に、ホロコーストをはじめとする差別の実態を教えたのも会長である。
 さらに映画会社を創り、みずから製作や脚本まで手がけて、「真実」を訴える。ナチズムに共感している青年たちに対して人権教育をする。休むことがない。
 ウィーゼンタール氏は「希望は生き続ける。皆が過去を忘れないかぎり」と言ったが、ハイヤー会長の活動は、こう呼びかけている。
 「希望は生き続ける。あなた方が黙ってしまわないかぎり」と。
4  私たちは忘れない
 私が「寛容の博物館」を訪れたのは九三年の一月三十一日であった
 二月初旬のオープンを控え、きわめて多忙のなかを、ハイヤー会長は懇切に案内してくださった。
 アウシュビッツの模型があった。ユダヤ人を隔離して惨殺したゲットー(ワルシャワ・ゲットー)が再現されていた。多くの写真が、フィルムが、声なき人々の声を発していた。
 ──だれが、この痛恨の歴史を忘れられょうか。
 ──だれが、この事実を前に激怒せずにおられょうか。
 しかし日本では、このころも、「ユダヤ人の世界支配の陰謀」とか、ナチズムと同じ内容の本が、次々と出版されていた。
 一番の被害者を加害者であるかのように、すりかえて攻撃しているのである。
 何という無残な「反人権」の風土か。
 ハイヤー会長との出会いから、「勇気の証言──アンネ・フランクとホロコースト」展の日本巡回の計画が生まれた。
 各地で百万人の心を揺さぶる展示となった。
 会長は、広島での展示会で、凛とした声でスピーチされた。
 「今ここで大事なのは、人権が侵害されている世界のすべての地において、声高に、はっきりと、また明白に、人権擁護のために立ち上がり、絶対に訴えていくのだという一人一人の決意であります!」
 会長は「ユダヤ社会以外での″人権の英雄″」を世に知らせるために、連続講演会を企画し、光栄にもその名を「マキグチ記念人権講演会シリーズ」としてくださった。
 創価学会の牧口初代会長が、日本の軍国主義に反対して獄死した歴史を顕彰し、私どもとの連帯を宣言する命名であった。
  第一回講演に招かれた私は、最後に申し上げた。
  「偉大なる思想をもった人間と、そして民族が
  偉大なる信仰をもった人々が
  そしてまた嵐の中で
  壮大なる理想と現実に生き抜いた人間と民族のみが
  限りなき迫害を受け、耐え抜いた人間と民族のみが
  永遠にわたる歓喜と栄光と勝利の『太陽』を浴びゆくことを信じて、私の講演を終わらせていただきます」
5  会場には、ホロコーストの生存者の方々もおられた。親族が犠牲にならなかった人は、だれ一人いなかった。
 ヨーロッパで、そしてアジアで、デマと暴力に蹂躙された方々──。
 見えない幾百千万の人々に、私は心で呼びかけていた。
 「あなた方のことを私は忘れません。私たちは忘れません!」と。
 「あなた方を胸に抱いて、耐えます。戦います。ともに『太陽』を仰ぐ、その日まで!」
 (一九九七年四月二十七日 「聖教新聞」掲載)

1
2