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日蓮大聖人・池田大作

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「たたき上げ」の英国の宰相 メージャー首相

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  メージャー首相のことを、こう呼ぶ人がいる。
 「ビロードのローラー車」
 傲らず、気どらず──柔らかい天鵞絨ビロードの物腰につつんでいるのは、鋼鉄の意志だというのである。
 IRA(カトリック系過激組織アイルランド共和軍)が、ダウニング街十番地(首相官邸)を狙ってロケット弾を撃ち込んだとき、一発が官邸の裏庭で爆発した。(一九九一年二月)
 会議中だった閣議室も、爆風で窓が壊れた。周辺は大混乱。
 しかし、首相は落ちついて書類をまとめ、部屋を出ながら言った。
 「それでは、ちょっと場所を変えましょうか、紳士諸君」
2  「あの笑顔が、すべてをつつみ込んでしまう」と言われる。そのソフトなスマイルで、私を迎えてくださったのは、九一年の六月。四十七歳の若さで首相官邸の主となってから、七カ月後であった。
 今なお「階級社会」と呼ばれるイギリスで、″サーカスのブランコ乗りの息子″が政界の頂点にたどりついたのである。世界的な話題であった。
 しかも「オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)」の出身者でなければ、社会の顕職にはつけないという風潮が、すたれたとはいえ残っている。
 その学歴社会で、首相は十六歳までしか学校に行っていない。
 まさに「セルフ・ヘルプ」、自助の人である。
 「天は、自ら助くる者を助く」の名言を地でいった人生だ。
 人に頼らぬ「自助の精神」が燃えている国は栄える。
 「たたき上げの人物(セルフ・メード・マン)」を首相にしたことに、私は、イギリス社会の底力を感じていた。
 「これから、どんなイギリスをつくりたいですか?」
 私が問うと、メージャー首相は、徴笑んだまま言われた
 「『自由な社会』です。そのために自由市場・自由経済の発展が必要です」
 首相の言う「自由社会」とは「だれもが努力次第で自分の才能を伸ばし、希望を満たせる社会」
 首相の願いには、階級や学歴という″見えない差別″と血みどろの格闘をしてきた人の怒りが込められていたかもしれない。
 「口先のことは、私は嫌いです」
 首相になって直ちに、ホームレスと呼ばれる人たちの収容施設の改善に取り組んだ。ロンドンの冬は寒い。何とか、ベッドの数を増やせないのか、と。
3  貧しいころの思いを忘れず
 苦労が人をゆがめる場合がある。苦労が人を思いやり深くする場合もある。その違いは、どこからくるのだろうか。
 首相が十歳のころから、メージャー家の家計は、急速に苦しくなっていった。すでに旅芸人をやめていた両親は、園芸用の庭の装飾品づくりを手がけていたが、資金繰りが厳しくなり、とうとう家も手放すことになってしまった。
 それまで住んでいた家は、″労働者階級用の平屋建て″ではあったが、広い裏庭もあった。しかし十一歳で引っ越した先は、ロンドンの中でも最下層と呼ばれた″貧民街″の雑居アパートだった。
 崩れ落ちそうなアパートの最上階。小さな二間の部屋に、姉もふくめて四人家族が住んだという。
 風呂やトイレは他の人と共同。部屋には冬でも暖房がなかった。父はすでに七十五歳の高齢。母は四十九歳。両親とも病気が絶えなかった。
 貧しければ、心が傷つく機会は無数にある。グラマースクール(日本の中学から高校に相当)に入る奨学金を勝ち取ったが、晴れの入学のときも、古着の制服しか買えなかった。それを買うにも、補助金がほしいと申し出なければならなかった。
 そんな思いを何度、繰り返したことか。
 首相は今も、インフレを嫌う。インフレは、一番苦しんでいる人々の生活を直撃するからである。
 家計を助けるため、十六歳で学校を中退した後、メージャー少年は、世間が「学歴のない人間は、中身も無能に違いない」と決めつけてくる現実を、深刻に味わった。悔しかった。
 日雇い労働もやったが、職はあったりなかったり。九ヵ月以上も失業し、わずかな失業手当で飢えをしのいだこともある。このころの思いを首相は忘れない。
4  保健・社会保障省の閣外大臣だったときに、長期の寒波がイギリスを襲った。高齢者に対する特別寒波手当があったが、その支払い規定は、余りにも官僚的であった。すぐにサッチャー首相と大蔵大臣にかけあって規定をあらためた。
 「役人や政治家は、貧しい人たちが苦しい家計の中から払った税金で暮らしているのだ。貧しき人々に尽くす義務があるはずだ」
 こういう心情であったという。
 民主主義。だれもが口にする言葉だが、それを実際に生き生きと働かせるための″血液″は何だろうか。それは指導者の行動に、どれだけ″庶民の思い″が駆けめぐっているかではないだろうか。
 私は首相に申し上げた。
 「政治は庶民のためにあります。ゆえに政治家は、だれよりも庶民の苦しさ、痛み、庶民の心を知る人でなければならないと思います」
5  自分で自分の力を証明
 メージャー少年は決意した。「自分で自分の力を証明するしかない」
 通信教育で勉強を始めた。朝五時に起きた。昼は働いた。夜は保守党の党員として活動した。寝るのは、いつも真夜中だった。
 十九歳のとき、父が死んだ。波澗万丈の人生を生きた父だった。その数奇な体験をいつも話してくれた父だった。父は、どんな地位の人にも、どんな権威の人にも、ひるまなかった。そのかわり、どんな貧しい人にも親切だった。
 母もそうだつた。だから家には、いつも、いろんな人が出入りしていた。泊まるところがない人には、泊まらせてあげた。
 人生の道が開けてきたのは、父の死後である。銀行員となり、死にもの狂いの努力で、実力を証明し、出世していった。その姿を、どんなにか、お父さんに見せたかったことだろうか。
 しかし、派遣されたナイジェリアで、交通事故のため、片足を失くしかける大ケガをしてしまった。一年間の療養生活。それでも、くじけない。
 「『君にはできない』と言い渡されることほど、私の決心を強めるものはありません」
 銀行員を続けながら、地域の区議となり、やがて下院議員に三度目の挑戦で当選した。だれもが、この青年の「黄金の心」に魅せられたという。
 いわば、苦労が、″心の磨き粉″になっていた。それはつねに「学ぼう」という志を失なかったからかもしれない。
6  「人生という大学」で学んだ
 首相は言う。「政治家として大事なのはコモンセンス(良識)です。私には高い学歴はありません。しかし『人生という大学』で学んだコモンセンスがあります」
 コモンセンスとは──貧しき人のことを忘れない人間性ではないだろうか。
 社会で一番大切なのは民衆である。政治も経済も宗教も、全部、民衆のためにある。民衆を幸福にする手段である。
 その目的と手段を転倒するところに「堕落」が始まる。
 「貴族だから偉いのか! 議員だから偉いのか! 大学を出ているから偉いのか!」
 メージャー首相は、人を見下す人間と戦ってきた。そして勝った。
 その勝利とは、首相になったことではない。自分だけは絶対に庶民を見下す人間にはならないという誓いを実行したことである。
 「最近感銘した本」を、私がうかがうと、読書家の首相は「何冊もありますが」と言いながら、小説『バンク・ダムのクラウザー家』(トマス・アームストロング著)を挙げられた。
 十九世紀のヨークシャー地方、綿工場で働く一家の苦闘を描いた小説だという。
 いつも心は、貧しき人のもとにあるようだつた。
 (一九九六年十二月八日 「聖教新聞」掲載)

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