Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに  

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  本書は、「世界の指導者と語る 第二部」と題して「聖教新聞」に一九九六年の秋から翌秋にかけて連載したエッセーである。
 人物論はむずかしい。一人の人間は多面的であるし、まして同時代人である。評価もさまざまであることは言うまでもない。
 それを承知のうえで、私は人物を紹介する心得の一つは「その人の身になってみる」ということだと思っている。
 事実を正視眼で見つめながら、その人の身に寄り添ってはじめて見えてくるものが、あまりにも多い。そうでない、いわゆる「客観的な眼」とは、客観の名を借りた偏見や、意図的につくられた虚像にすぎないことが多いのではないだろうか。
 また「相手の身になってみる」心が、国と国の友好のうえでも決定的に重要であろう。心の国際化とは、そういうことだと私は思っている。
3  どの人も、それぞれの立場で「人間としてどう生きるか」を見つめておられた。「人間として生きる」──その当たり前のことが、時には何とむずかしかったことか。
 そのために、ある人は牢獄に行かねばならなかった。そのために、ある人は自分が持つ権力をどう行使すべきか、毎夜、おののきつつ苦悶しなければならなかった。
 心なき中傷に包囲され、数十年の迫害に見舞われた人もいる。孤独。苦衷。命をささげた人もいる。
 信念ゆえに人生行路を方向転換した人もいれば、運命によってあたえられた使命をまっとうするために苦しみきった人もいる。
 差別への怒り、民衆愛、正義の喜び、歴史をつづる誇り、美への憧れ、親子の絆。
 ドラマは多種多様だが、すべて一筋の光芒を放って美しい。心にしみる「人生の詩」があった。
 その人々から「日本立て直し」の処方箋を学べると私は思う。そもそも、日本が見かけの繁栄に傲って、謙虚に「学ぶ」ことを忘れたときから、崩壊は始まったのである。
 そう言えば、ここに登場するのは世界的著名人ばかりであるが、一人として、いばっている人はいなかった。どなたも、こちらが恐縮するほど謙虚であられた。
 一九九八年一月二十六日  池田 大作

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