Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アルゼンチン・タンゴの帝王 プグリエーセ氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  母の願いが今‥‥
 八五年、タンゴの歴史に不滅の″事件″が起こった。あのコロン劇場に請われて、プグリエーセ氏のタンゴ・リサイタルが開かれたのだ。
 開会前、氏をたたえるルーチョ・スアルマンの詩が紹介された。
  妥協を拒否する純粋なメロディの男
  場末と摩天楼の男
  鉄格子と冷たい監視のなかで数々の作曲をしてきた男
  街を流れる歌で暁を燃え立たせた男
  このピアノにいまプグリエーセが座ろうとしている
  われら大衆の指名によって‥‥(八八年十月号「ラティーナ」誌、杵築實氏の紹介文から)
 万雷の拍手。氏はあいさつした。晴れの舞台を飾る言葉は、ただ一つ。これ以外、考えられなかった。
 「こよなく音楽を愛した私の母には、このコロン劇場は、天上のものでした‥‥」
 六十五年前の夢が今、実現した。それは凱旋だった。民衆に根を張った人生の勝利だった。
 私心のない方である。ブエノスアイレスの名誉市民、フランスの文化勲章──それらの栄誉を受けたとき、氏が喜んだのは、蔑まれてきたタンゴが認められたことだったにちがいない。
 楽団員の給与を、自分もふくめて組合制にし、公平に分けてきた事実も有名である。引退後も、私財をなげうって、タンゴの歴史保存と後進の育成のための「タンゴの家」に精魂をかたむけられた。
3  「座っていちゃいけない」
 私がブエノスアイレスを訪れた九三年、ご夫妻で空港に出迎えてくださったうえに、私どもの世界青年平和文化祭にも出演してくださった。出演だけでも市の大ニュースであったのに、本番の二日前には楽団を率いて練習に来られ、皆や驚かせた。
 「座っていちゃいけない。皆の中に出ていくんだ。そこで一緒に何かをつくるんだ」との信条そのものの行動であった。
 愛用のグランドピアノが運び込まれたときである。八十七歳の氏は、何とその重いピアノを自分で押そうとされた。何という若さ。本番の日、日本への友情のしるしとして私に作曲してくださった名曲「トーキヨー・ルミノーソ(輝く東京)」を弾く氏の健在ぶりに拍手を送りながら、東京で語られた言葉の真実を私はかみしめていた。
 「私は池田名誉会長とともに力をあわせて、平和へと進みたいのです。悲劇を断じて繰り返さないために。私は戦います。最後の最後まで、死の瞬間まで、『勝利』のために戦います」
 その真摯な姿は、氏の青年へのメッセージどおりであった。
 「学べ、学べ、深く学べ。人生とはいかなるものか。人生はどうあるべきか。それを探究するのだ」と。
 (一九九五年二月十二日 「聖教新聞」掲載)

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