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日蓮大聖人・池田大作

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人間愛に生きるオーストリア文部次官、歌… サイフェルト女史

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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2  父よ母よ、精神の宮殿をありがとう
 少女にとって、父は歌の師でもあった。第二次世界大戦中、爆撃で家は壊れたが、音楽の部屋だけは残った。一人娘の女史のゆりかごもそこに置かれた。
 父は、たくさんの生徒をもっていた。一日に十時間、十二時間とレッスンをした。音楽の精妙な手が、日夜、ゆりかごを揺らした。
 母も父と同じく、目が不自由だ父母は戦争中、体に障害があるという理由で強制収容所に送られそうになった。ひどい差別だった。ひどい時代だった。四人の親族も戦争の犠牲になった。
 それでも両親は、いつも朗らかだった。娘のために、あえてそう生きたのかもしれない。「本当に幸せな子ども時代でした」と女史は言いきる。両親の世話や、歌と楽器の勉強のため、他の子どもたちのように自由に遊ぶこともできなかった。それでも苦しいとか、つらいとか思ったことはなかった。
 「すばらしき歌曲の世界。それは『精神の宮殿』でした。毎日、その中で育ちました。それが私の心の糧になりました。盲目であった亡き父母に、今、心から『ありがとうございました』と掌を合わせているのです」
 民音公演で女史が歌ったシューベルトの「音楽に寄す」は、女史の思いそのものであろう。
3   やさしい芸術よ、何と数多くの灰色の時
  人生に容赦なくわずらわされた時に
  私の心に火をつけて暖かい愛情を感じさせ
  よりよい別世界に運んでくれたことでしょう!
  (浅香淳編『新編世界大音楽全集部シューベルト歌曲集4』石井不二雄訳、音楽之友社)
 「より善き世界」を、聖なる何かを──サイフェルト女史にとって、音楽の探求と生死の探求は、一つだった。
 「芸術は私たちの中にある『聖なるもの』の表現なのです私はコンサートのたびにこう言います。『歌っているのは私ではなく、私の心にある″神聖なる魂″なのです』と」
 芸術と宗教性は表裏一体である。芸術なき宗教は殺伐として不毛であり、永遠なるものを求めない芸術は、造花のように、胸を打つ″生命″がない。
 女史はウィーン大学に進み、ドイツ文学、古典文献学をはじめ「興味のあることは全部」ひたむきに学んだ。哲学博士号を得た学位論文は「ショペンハウエルにおける言語構造」であった。
 音楽から遠ざかった娘を、父は少し寂しそうに見ていたという。
 その父が死んだ。すると不思議なことが起こった。「もう一度、歌いたい。音楽のない人生は考えられない」という気持ちが、こみ上げてきたのである。
 父の死とともに、父の歌まで消えさせたくなかった。
 お父さん! 今度は私が歌います──。十年間のブランクを埋めるのは大変だった。一から、やり直した。
 官庁の仕事も苦しかった。「女は家にいればいいんだ」と何度も言われた。
 「無理解との戦いでした。人の五倍は働きました。健康で、どんな苦しみもはね返すエネルギーがなければ負けてしまったと思います」
 モットーである「意志あるところ、必ず道あり」のとおり、努力、努力の毎日だった。女史は今、文部次官で国際文化交流局長。
 早くから東欧との交流も献身的に進めてこられた。民主化以降、旧ソ連・東欧の芸術家は精神的には楽になったが、経済的には苦しくなった。政府に文化を援助する余裕がないのである。
 女史は、才能ある若人にチャンスをあたえたいと東奔西走された。損得ではなく、なすべきことをなすべきときに。それが女史の生き方である。
4  人生は学校、「悩み」はその教師
 「年ごとに痛切に思います。人生は余りにも短い。″何か″を残さなければと。私を必要とする人のために尽くしたいのです。今日が、あるいは明日が、人生最後の日になるかもしれない。だから″不滅の何か″を求めているのです」
 女史は、社会では人間愛に生きる「文化の母」であり、家庭にあっては最愛の夫君ラルフ・ウンカルト博士の良き妻である。
 女史は、日本の女性へのメッセージを語る。「自覚をもち、自分の力を信じることです。人を愛する女性の″愛″は、世界のすべての海より深く強いのですから」
 女史の歌には、ハートがある。苦労など、おくびにも出さない女史だが、魂に、涙でしか洗えなかった光がある。
 「心より来る。願わくば心に至らんことを」。ベートーヴェンのこの祈りのごとく、音楽は心から心への言つけである。
 埼玉での舞台であった(九三年)。コンサートが終わり、女史に花束が贈られた。アンコールで女史は、私の詩による「母」の曲を歌われた。日本語のままで。
 深き心から心へ──。心が心を揺さぶって、会場は一つになった。最前列の老婦人は泣いていた。女史は歌い終えると舞台から降り、婦人にその花束を手渡した。公演終了後も、姿を見つけて声をかけておられたという。苦労してきた人ほど、人の心を大切にする。人のいに敏感になる。
 この舞台で歌われたワーグナーの一曲「苦しみ」では、夕日がやがて朝日として蘇生する姿を見つめ、こう歌う。
  死だけが生を生み出すように
  苦しみだけが 喜びをもたらすのだ
  おお 自然よ
  私は何とおまえに感謝していることだろう!
  このような苦しみを
  私に与えてくれたことに!(浅香淳編『新編世界大音楽全集30 ドイツ歌曲集』佐藤征一郎訳、音楽之友社)
 生きている限り、悩みはつきない。悩みは生の証である。前進しているゆえに障害もある。それらを避けずに乗り越えたとき、生命は晴ればれと、豊かに広がっている。
 そして、自己の内なる世界が豊かになったのを感じることこそ、「幸福」ではないだろうか。
 悩みこそ、生命の宝を教えてくれる教師なのである。
 「『冬は必ず春となる』という仏典のすばらしい言葉を知りました。オーストリアにも『朝がくれば必ず太陽が昇る』『雨のあとには必ず太陽が輝く』という言葉があります。そうした太陽のような生き方を、私は両親から学んだのです」
 両親の「目」となって歩いた少女は、今、「人々の中に光を注ぎたいのです」と生き抜く。
 あなたがくれた、この命で、この歌で、この明るさで! ──女史は今も、お父さんの懐かしい、大きな手を、しっかり握りしめておられるのかもしれない。
 (一九九五年四月二十三日 「聖教新聞」掲載)

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