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日蓮大聖人・池田大作

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世界的作曲家、ピアニスト アマラウ・ビエイラ氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
2  アマラウ・ビエイラ氏(ブラジル音楽学会会長)が、あの人なつっこい笑みをたたえて言われた。
 「この世は二元的というか、すべてに善と悪、プラスとマイナスがあります。そして『不調和』を『調和』へと方向づける力が音楽にはあると思います」
 「現代は、すべてのものが進歩しています。精神だけが進歩していません。こうしたなか、音楽は音の組み合わせによって、『永遠なるもの』『普遍なるもの』『無限なるもの』を表現できます」
 「音楽は人間の感情、生き方をも変える力をもっています。私は音楽の力で、精神の復興を助け、新しき『調和の世紀』に貢献したいのです」
 少年のように澄んだ瞳の方である。水晶の強さと透明さ──音楽という芸術の純粋さが、そのまま氏に結晶している。
 芸術の世界は本来、一番、清らかな、人間向上の世界のはずである。しかし現実は反対の場合が多い。その中で氏は「彼こそ真実の音楽家」と評価されている。
 氏が求めているのは、人気ではなく、人間である。人々の喝采が欲しいのではなく、人々の喜びが欲しいのである。
 「音楽とは言葉をさがしている愛である」(シドニー・ラニエ)。心尽くしという言葉があるが、心を尽くして、人を喜ばせ、励まそうとする愛情が、芸術を偉大にするのではないだろうか。
 小さなエゴに固まり、こわばった心からは、小さな貧しい芸術しか生まれまい。
 芸術は「人を生かす」ものである。大芸術家の心臓は万人とともに鼓動する。
 氏は一回一回の演奏会を絶対に手抜きしないことで有名である。
 「公演に来てくれた人は、生涯に一度しか会えない人々だと思って臨んでいます。私の公演に『希望』を求めて聴きにくる人もいるだから真剣です」
 氏には、いわゆる″芸術家らしい″わがままや、自己中心は少しもない。傲らず、停まらず、流行に左右されず、人間としての素朴な魂を失わない強さが氏にはある。
 「ロボットのような人間になってはいけない。機械のような演奏はいけない。惰性ではなく、つねに新しい境涯にステップ・アップ(上昇)しなければなりません。それが『創価(価値創造)』ではないでしょうか」と。
 不思議な天命の方である。
 六歳でピアノを始めた。しかし一家は音楽家の家系ではない。五歳年上の姉のレッスンを聴いていて、ピアノに魅了されたのである。あまり、やる気のなかったお姉さんに少年は相談した。
 「一時間のうち、姉さんは五分やればいいよ。五十五分は、ぼくがやるから」。両親は姉が弾いているものと思っていたが、じつはその間、お姉さんはずっと本を読んでいたのだった。
 両親に頼み込んで音楽学校へ。「男の子はサッカーでもやりなさい」と反対されたが、くじけなかった。
 ブラジルを代表する作曲家・指揮者のソーザ・リマ氏が、少年の天才を認めた。特別に個人教授が始まった。師は言った。
 「君に教えるが、一つ条件がある。それは『子ども扱いはしない』ということです」
 作曲を始めたのは八歳だった。十三歳で単身、パリへ(六五年)。一家をあげて猛反対であった。無理もない。ご両親は、どんなに心配だっただろう。「十日に一回、必ず電話するから」。そういう約束で説得し、パリ音楽院を受験した。トップ合格だった。
 しかし、料理から洗たく、お金の支払いまで、すべて一人でやらなければならない。電話のたびに、母は言った。「苦しかったら、いつでも帰っておいで」
 「大丈夫です」と答えながら、実際は苦しみの毎目だった。
 「あのころの苦労が、人間として、芸術家としての私の基礎をつくってくれたと思います」
 やがてドイツへ、イギリスへ。勉強は続いた。少年は青年になった。二十五歳のとき、転機が来た。
 イギリスで、音楽の天才少年を教える有名な「メニューイン・スクール」の音楽部長に推薦されたのである。だれもが、うらやましがる地位であり、名誉と経済的安定が約束された。
 しかしピエイラ氏は迷った。「自分はブラジル人。ブラジルのために尽くすのが使命ではないか」。悩んだ。やがて決めた。「帰国しよう」と。
 「黄金のチャンスを投げ捨てるのか」。周囲の全員が反対した。
 しかし今、氏は語る。
 「もしも、あのとき、話を受け入れていたら、自分の成長はなかったのではないかと思います。恵まれてはいても、挑戦のない人生になってしまったでしょう。人間は、挑戦してこそ人間です」
 何のため──氏にはつねにこの探求があり、哲学がある。いつも自分を超えた「大いなるもの」のために尽くそうとされている。
 この使命感こそ、自己を浄化し、芸術を浄化し、社会を浄化する源泉であろう。
3  「魂を調律する」音楽
 ブラジルでも一貫して、「民衆のために本物の音楽を」と努力されてきた。演奏。作曲。たくさんのコラムも書いた。青少年の音楽教育も。外国との文化交流も。
 「ブラジルはエリートのためだけの国ではありません。民衆のための国です。人間以上の人間などいません。皆、同じ人間です」
 「民衆と心を分かちあえなければ、本物の音楽、音楽家とは言えません」
 理想に向かって突進する氏に、妬みによる攻撃も続いたが、真実は隠せない。「A・オネゲル国際作曲賞」「フランス作曲財団国際大賞」「リスト賞」その他、内外の数々の賞が贈られた。
 私にささげてくださった曲「革新の響」もブラジルの「九三年度交響曲大賞」に輝いた。
 氏は私との出会いを喜んでくださり、「求めていた、この人間主義を世界に伝える″音楽の大使″として走ります」と誓われた。
 氏は語る。
 「立派な国になったならば文化に力を入れよう、というのは、さかさまです。文化を興隆してこそ立派な国になるのです」
 芸術は自己の表現である。
 ある人は言う。
 「今の日本人には確固たる『自分』がない。だから本当の芸術も生まれない」
 より高き自己を探求する謙虚さと素直さ、思索と哲学、そして祈り──それらのない芸術は、いかにもてはやされようとも所詮、虚飾ではないだろうか。魂を豊かにはしないのではないか。
 中国に伝説がある。
 衰の楽人が心をこめて琴を弾くと、春にもかかわらず一陣の涼風が吹き、あたりは秋になり、草木は実を結んだ。別の曲を弾くと、今度は夏になり、冬になった。ついには琴の音に合わせて、微風が香り、空に瑞雲が現れ、大地からは清らかな泉が湧き出した──。
4  魂ともる音楽は、宇宙の力とハーモニーを宿している。音楽は神々しい生命の息吹である。プラトンは、音楽が変われば社会万般が変わると言った。
 調子はずれの社会。こんな時代だからこそ、生き生きと、心の窓を開けて歌いたい。
 そして民衆による大文化運動のなかで「一魂の調律」を実現していきたいものである。
 ビエイラ氏はきょうも、人々の心の鍵盤を叩き続けている。
 (一九九五年四月十六日 「聖教新聞」掲載)

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